友に寄せて

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友に寄せて

 実家の自室で高校の卒業アルバムを見ながら、俺はほろ酔いの頭でふと閃いた。  そうだ、影山に会いに行こう。  影山友哉(かげやまゆうや)は、俺の高校の同級生。アイツは今日あった、二十歳祝いの高校の集まりに来ることができなかった。それにも関わらず、久しぶりに会った同級生たちは影山のことなんて忘れたみたいに、今を楽しんでいた。アイツだって、好きで集まりに行けなかった訳じゃないのに。それなら、高校時代によくつるんでいた俺だけでも会いに行ってやろうじゃないか。  久しぶりに影山に会いに行くなら、手土産は欠かせないだろう。幸いにも、明日は予定がない。せっかくの機会だ、明日はアイツのために朝から動いてやろう。手土産は何がいいかな。俺は頭の中で候補をいくつか挙げながら、翌日に酒を残さないため、水をぐいっと飲み込んだ。  翌朝。卒業アルバムの一番後ろ、卒業生達や学校の連絡先が載っているページを開いた俺は、影山の家と母校である高校に今日会いに行く旨を電話で伝えた。電話でやり取りするなんて、まるで小学生の頃みたいだった。 「なんなんだよ、影山の親……むしゃくしゃする」  俺は愚痴を言いながら、親に夕飯までには戻ると伝えて家を出た。さすがに徒歩で移動するのは大変だったので、実家に放置していた、高校時代に使っていた自転車を引っ張り出してくる。タイヤに空気を入れ、一歩ペダルを踏むと、きいー、と錆びた音が響いた。少し恥ずかしいが、乗ることはできそうだ。 「さて……行くか」  俺は影山のところに行く前に、何カ所か巡るつもりだった。それぞれ、影山との思い出がある場所だ。俺はその場所にちなんだ土産を集めて回って、影山に会いに行くつもりだった。アイツ、どんな顔するかな。にかっとした笑顔が特徴の影山を思い出し、俺は懐かしくなって、ふっと笑ってしまう。すぐに俺ははっとなって、マフラーで顔を隠した。通りすがりの人に笑った顔を見られてはいないだろうな。道ばたで急に笑い出すなんて、不審者もいいところだ。  俺は恥ずかしさを隠すように、自転車のペダルを勢いよく踏む。自転車はぐいっと大きく進み、きいーっと大きく音を立てた。  まずは一カ所目。俺と影山の母校である高校へ、恩師である部活顧問に会いに行く。 「白井(しらい)、よく来たなあ。元気にしていたか?」  職員室を訪れた俺を、野球部の部活顧問、官谷(かんたに)先生が出迎えてくれた。恰幅の良い体型といい、丸刈りにされた頭といい、官谷先生は何も変わっていない。二十歳になって一皮むけたような心持ちが、一気に高校時代へと巻き戻された。 「はい、おかげさまで。官谷先生、全く変わっていませんね」 「そりゃあそうだ。まだ白井が卒業して二年ほどだぞ? 大人になったらなあ、二年なんて誤差だ誤差。……と、もう白井も二十歳だったんだな。おめでとう」 「ありがとうございます」 「それにしても、急に学校に電話が来たから驚いたぞ。いや、嬉しかったんだがな」 「いやあ、突然訪ねてしまってすいません。実は、官谷先生にお願いがあって」 「ん、なんだ? 生徒の頼みだ、できる限りやろうじゃないか」 「俺、これから影山に会いに行くんです」    俺が影山の名前を出すと、官谷先生の目が一瞬見開かれ、次の刹那には昔を懐かしむような、優しい瞳になった。 「そうか……。白井は、影山と仲良かったよなあ。ほら、覚えてるか? 一年の頃、どっちが先にレギュラー入りするかで競ってただろう」  官谷先生の言葉に、俺はそういえば、と思い出した。  影山も俺も負けず嫌いで、何故か互いを意識して、練習中でもよく何か競ってたっけ。 『おい、白井! ぜってーお前には負けんからな!』  そう言って俺に宣戦布告した影山の姿が、脳内に鮮やかに蘇った。 「……結局、同時にレギュラー入りしたんすよね、俺と影山」    レギュラー入り競争の顛末を思い出し、俺は耐えきれず、くくっと笑う。  官谷先生もそのときのことを思い出したのか、ははっと笑った。 「全く……ミーティング中なのに、二人ともぽかんした顔をするから、儂もつい笑ってしまってなあ。そっくりだったぞ、あのときの白井と影山」 「え~、似てないっすよ」 「いや、お前たちはよく似とったね。二人とも真面目に、全力で野球に取り組んどった」 「そうですか……」    そして、俺と官谷先生の間に沈黙が訪れる。互いに、影山のことを思い出し、彼のことを想った。職員室で、他の先生達が作業する音がやけに大きく感じた。しばしの時間が経って、俺は本題に入る。 「……官谷先生」 「なんだ、白井」 「影山に一筆書いてやってくださいよ、アイツも今年二十歳じゃないですか」 「ん……そうだな。書くか」    官谷先生は机の引き出しから、封筒と紙を取り出す。紙を丁寧に広げると、傍らのボールペンを握り、紙とにらめっこを始めた。しばらくして書くことがまとまったのか、官谷先生は一文字一文字刻むように、達筆な文字を紙に書いていった。内容を見ようと思えば見ることができたが、それは無粋というものだろう。俺は窓の外へと視線を逸らし、校舎を見ながら高校時代を懐かしんだ。 「……よし」  数分後、官谷先生は書き上げた手紙を封筒に入れ、封筒にも『影山へ 官谷より』の文字を書き、俺にそれを手渡した。 「それじゃあ、頼んだぞ、白井」 「はい。いい手土産ができました」  俺はリュックに入れてきていたクリアファイルに手紙を仕舞うと、名残惜しく感じながらも、職員室を後にした。  一カ所目の手土産、官谷先生からの手紙、クリア。  俺は母校を出ると、通学路に沿ってある場所を目指し、自転車を漕いだ。通学路を辿りながら、小さい町だなあ、と思う。途中、古い民家が建っていた場所が新築の家に変わっていたり、寂れた店が何もない土地に変わっていたりと、二年という短くも確かな時間を感じて寂しくなった。  冬の風が顔に当たる。頬がひりひりとする。こんな寒い日でも、俺と影山は部活に励んだし、学校帰りにはとある場所に寄り道をした。  これから二カ所目、高校付近のコンビニへと向かう。  そのコンビニだけは、何も変わっていなかった。狭い駐車場に、どこにでもあるお馴染みの青い看板。潰れていないのはさすが全国チェーンの力だな、なんて思ったりする。  俺は自転車を駐め、店内へと入った。 「いらっしゃいませー」  愛想のない店員の、気持ちのこもっていない歓迎の言葉が聞こえてくる。だが、今日は影山の親という愛想が底についているような相手と話したからか、そんな店員の発言すら名俳優の台詞読みに感じた。店内に入ると、俺は迷いなくホットスナック売り場の前に行く。 「……良かった、あった」  ぽつり、と呟く。影山のことは、このコンビニの唐揚げなしには語れないのだ。 『やっぱ唐揚げ美味いわ』    育ち盛りの男子高校生であれば、唐揚げが嫌いな奴なんてそうそういない。別に影山だけの代名詞じゃない。アイツを知らない奴はそう言うだろう。だが、アイツは昼飯のときも、学校帰りのおやつにも、このコンビニの唐揚げを食べていた。それも、ほとんど毎日だ。 『影山、よく毎日飽きないよな』  高校一年生のとき、俺は毎日見かける唐揚げのパッケージに辟易したものだ。アイツがあまりにも毎日唐揚げを食べるものだから、俺はよく飽きないな、と影山に言った。  アイツは俺のげっそりした様子にも構うことなく、さらっと言ってのけた。 『だって、毎日同じ味だと安心するじゃん』 『いや、分からん』    あのときの俺は、影山の言葉を分からないと一蹴してしまったが、今ならアイツが言いたかったことが少し分かる気がする。毎日同じこと、変化がないこと、平穏なこと。十八歳のときに成人式を終え、二十歳の誕生日を過ぎた俺は酒が飲めるようになり、いよいよあらゆる面において大人として扱われるようになった。もう子どもじゃいられない。社会に裸で放り出されたような寒々しさを覚えた。 (あっ、そうだ)  ここまで思い至って、俺はあることを思いつく。 (影山にも酒持っていってやるか。アイツの誕生日はまだだけど……まあ、いいだろ)  俺はホットスナック売り場から引き返し、ビールを二缶ほど取りに行った。  二カ所目の手土産、唐揚げ、ビール二缶、クリア。      俺はコンビニでの買い物を終えると、通学路を高校時代と同じように辿った。コンビニを出てしばらく自転車を漕ぐと、段々と住宅街へ町並みが変化していき、坂を上ると河川敷にたどり着く。先ほどのコンビニにはイートインコーナーがない。かといって、コンビニ前でたむろするのは店の迷惑になるからという理由で、俺と影山は買った品物を河川敷まで持っていって食べていた。  目の前に、冷たい川と茶色く変色した芝生が広がる。寒々しい冬の河川敷には、ほとんど人がいなかった。時折ジョギングをする運動家が通り過ぎていくくらいだ。季節がもう少し暖かければ、散歩をする人々で賑わっていたかもしれない。思い出の中の河川敷は、もう少し暖かくて、賑やかだったはずなんだけどな。  ああ、影山、お前が隣にいないからか。  俺はごく当たり前のことに気づき、「ふう」と息をついた。自転車を通行人の邪魔にならないように駐め、河川敷の芝生の上に座り込む。  高校生だった俺と影山も、よくこうやって芝生の上に座り込み、菓子や唐揚げを食いながらくだらない話をしたものだ。学校のテストがやばいとか、部活がどうとか、そんなありふれた話を。もっと話すべきことがあったんじゃないかと、今になって思う。  影山は唐揚げを食い終わると、決まって芝生の上に寝転んでいた。ただでさえボロボロな制服が汚れるのも気にせず、だ。そうやってのんびりした後は、川辺まで行って水切りをしたっけな。  俺は川辺に視線を向ける。そこには、今も変わらず大量の石が転がっていた。 「……確か、平らな石を使うんだっけな」  俺は川辺まで歩いて行くと、できるだけ平らな石を見つけて拾う。水切りには平らな石がいい、と言っていたのは、もちろん影山だ。俺は記憶の中の影山を真似て、石を勢いよく川へと放り込む。  石はぼちゃん、と水底に飛び込んでいった。 「……未だに、お前の方が俺より上手らしいぞ、影山」  ただ石を川に投げ込んだだけになった俺は、寒さと恥ずかしさで赤くなっているだろう頬をマフラーで隠した。そして、ささっと先ほどより平らな石を拾うと、自転車のところまで引き上げて河川敷を去る。  三カ所目の手土産、平らな石、クリア。  これで手土産集めは終わり。最後に、影山に会いに行く。 「……ぼろぼろじゃんか」  比較的新しい、だが手入れはされていない墓石の前で、俺は呆然と呟いた。最後に墓参りをしてもらったのはいつなんだろう。墓石は汚れ、からからに枯れた花が無残に花立てに突っ込まれている。まだ造花でも入れられていた方が、いろんな意味でマシだっただろう。 「……来てやれなくてすまん、影山」  俺は一言謝ると、小さな墓地に備え付けてある掃除道具で墓掃除を始めた。実家の墓は寺にあるから、やり方も一通り分かっていた。黙々と掃除しながら、俺は影山の親とのやり取りを思い出す。 『影山の……友哉の墓参りに行きたいんですけど、場所を教えてもらえませんか』 『はあ』  俺の言葉を聞いた影山の母親らしき女性は、死んだ息子の名前を聞いてもぴんときていないようだった。この人は、本当に影山の親なんだろうか。俺は無性にむかついた。 『墓地の名前さえ教えていただければ、あとは自分で調べますので』 『あー……名前、なんだったかしら、忘れたわ』  電話の向こう側で、影山の母親はあからさまに面倒臭そうに答えた。こう言えば諦めるだろう、と思われているのだ。だが、生憎俺はとてつもなくむかついている。影山の居場所が分かるまで絶対に引き下がらない。   『近くに何か目印になる建物はありませんでしたか? もしそれも分からないようでしたら、道順を教えてください。スマホで調べます』 『……市営の上山墓地です。一番奥にありますので』  がちゃん。つー、つー、つー。 「知ってるなら初めから言えって話だよなあ」  俺は影山に話しかけながら、枯れきった花を花立てから引き抜いた。お前は花なんて柄じゃないよな。しばらくすると、汚れきった墓石も少しは綺麗になった。真冬の寒空の下、冷水でよく頑張ったもんだ、俺。真っ赤になった手を白い吐息で温めながら、俺はひっそりと胸を張った。   「……さて、と」  俺は掃除道具を片付けると、集めてきた手土産を墓石の前に置く。官谷先生の手紙に、唐揚げ、ビール一缶、平らな石。俺は片手にビール缶を握ると、影山の前に置いた缶と乾杯をした。外だから、形だけの乾杯だが。こん、と缶同士が乾杯する音が、墓地に寂しく響き渡った。  突然、踏切の向こう側に逝ってしまった影山。お前、何考えてたんだよ。何か言ってくれてたら、成人式だって、昨日の飲み会だって一緒に行けたかもしれない。お前がいなくなった直後は悲しんでいた同級生達の中で、お前の存在が薄れていく。あいつらは、お前のことなんて忘れてしまったみたいに今を楽しんでたよ。俺はそれが悲しくて、悔しくてたまらない。 「……お前と大人になりたかったよ、影山」  なんかむかついてきた。  俺は手に持っていたビール缶を開け、ごくっと大きな一口を飲み込む。酒が回るよりも先に、目の前が潤んできた。  クソ、帰り、歩きになったじゃないか、馬鹿。 友に寄せて 完
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