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「はぁ」
母の様子を気遣うために差し伸べた手は振り払われ、私は赤みを帯びた手の甲を擦り合わせる。
(風邪を拗らせれば、私はもうすぐ死ぬことができる……)
お客様を出迎えるための部屋は筒路森家から贈られたガスストーブの暖かさに包まれているけれど、私に与えられた部屋には空気を暖める類のものは存在しない。
冬の寒さを乗り切るには、あまりにも心もとない。
(でも、もうすぐ楽になれる……)
私が、蝶に言葉を返さなければ良かった。
私が蝶に言葉を返さなければ、私はまだ家族の輪の中へと置いてもらえた。
今頃は私もどこかの華族に嫁ぐことで、父と母の役に立てたかもしれない。
でも、そんな絵空事を描いてしまう自分に、嫌悪感を抱いてしまう。
「大嫌い……」
筒路森家と妹の縁談がまとまることを祝福するかのような、晴れやかな空が広がる時間帯。
私の話し相手になってくれる蝶が飛ぶ時間ではないため、私の話し相手は一向に現れない。
「こんなときばかり……独りにしないで……」
紫純琥珀蝶が飛ぶ時刻は決まっている。
そんな、蝶が飛び交う時間を知っている自分のことを、自分でも気味が悪いと思ってしまう。
「きゃぁぁぁぁ」
あまりの寒さで体が凍りつきそうになるような感覚を恐れたのか、私はいつの間にか深い眠りに陥っていたらしい。
母の叫びで目を覚まし、障子戸の向こう側に広がる蒼い空を見た。
(まだ陽は沈んでいない……)
空は明るさを保っている。
空が太陽と共に生きることを選んでいる時間帯で、似つかわしくない悲鳴と騒音が鼓膜を叩き始める。
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