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6・ココロ⑤
恋は罪悪です、ってなんのこっちゃ。
唐突に水泳パンツいっちょの先生の口から出た言葉に俺は、新興宗教の勧誘を受けたような気持ち悪さを覚えたのだった。その後味の悪さはしばらく糸を引いた。とは言ってもそれが俺の仕事の邪魔をすることはおろか、二週間に一編完成させる短編小説に影響を与えることもなかった。俺は、下剤と下痢止めを同時に飲んで地球外に出てしまった宇宙飛行士の話を、淡々とパソコンに書き込んでいった。
こうして、プリントアウトした小説を持参して、1月も終わりに近い夕方、授業に伺った俺だったが、しかし、先生は留守だったのだ。
「ごめんなさいね。主人、さっき急いで出かけて行って」
「何か、あったんですか?」
「上野の博物館の展示が今日までだったんですって」
「へえ。何か観たいものが」
「ええ。平成カルチャー展だそうです」
「はあ」
「それで、私に代わりに梶さんの相手をするようにって」
「あ」
「やっぱり、駄目ですかね、私じゃ。これでも短大で日本文学専攻でした」
「だ、駄目なんて全然です。あの。お、お願いします」
どもってしまった。
それで、いつもの先生の書斎ではない一階のダイニング。
奥さんと二人きりの部屋。俺は緊張しながら、目の前でできたばかりの原稿に目を通している奥さんの顔を眺めた。よくよく見ると、いつもはしていない紅が唇に引かれ、目元もくっきりしている。そして何とも言えない妙なる香り。こんな香水も奥さんは今までしていなかった。
奥さんが、「ぷす」と少し笑った。うれしい。
「面白かったです。梶さん、すごい。天才」
「誉めすぎです」
「どたばたかと思ったら、しっとり感動させられて」
「あはは」
「好きな作品です。こんなの書かれてたんですね。これからは私も読ませてもらっていいですか?」
「え?勿論です。大歓迎です」
「あ。一つだけ意見を」
「あ。はい」
「私なら主人公を女にするかも」
「あ、ああ」
「窮地にあった女の人の方が、こう、リアクションがいいかもしれないです。私が女だからそう思うのかもしれませんけどね」
なるほど。俺は、素直にその意見を受け入れ、次は同じ話を女性主人公にして書こうと即座に決めて、それを奥さんに告げた。
「楽しみにしてます。あ」
はい?
「お茶もお出ししてなかった。ごめんなさい」
「いやいや。お構いなくです」
「今日は」
「はい?」
「今日は、ご飯食べていかれますよね、夕飯」
へ?
「そんなつもりは全然」
「準備しちゃったし、三人分」
「いや」
「食べてくれないと無駄になっちゃうな」
「いや。あの」
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