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渡された電球を持って、壁に立てかけられた長いはしごをのぼる。確かにガタガタはするが、なんとか問題の電球には手が届いた。古いのを取り、新しいのを付ける。無事、全部点灯した。
「すごいすごい!助かったよ!ありがとう」
キャッキャと喜ぶレンさんの拍手に迎えられて、はしごを降り切る。
「お礼に……何かいいのないかな。あ、クロワッサンでも食べる?」
「うん」
レンさんは上機嫌にオーブントースターにクロワッサンを並べだす。ショートパンツから白くて長い脚がのぞいている。
「この家、中古で買ってね、自分で掃除してたんだけど、あそこの照明だけどうしても届かなくて。ひとつだけ電気切れてるのムカつくでしょ?イライラしちゃって。だから助かったよ!ありがとう。あ、そこのイス、座って座って」
丸い木のテーブルにイス3脚。そのひとつに座って部屋を眺める。
「レンさん、ここに1人で住んでるの?」
「うん。そういえば君の名前聞いてなかった。なんて呼べばいい?」
「大和です」
「大和くん」
「はい」
テレビ横に大きなキャビネットがあった。そのガラス戸の中には学校の理科室にあるホルマリン漬けのように、植物らしきものが漬けられた標本たちが並んでいる。ソファ横のサイドテーブルには大量の資料と本、ノートパソコン。
「レンさんって本当に研究者なんだ」
「そうだよ。とある企業の研究職」
「へー。すごいね」
「まあね」
だんだんとバターの香りが漂ってくる。
チィン。
トースターの音。レンさんはニコニコと美味しそうなクロワッサンを取り出して、冷えたお茶と一緒にテーブルへ持ってくる。
熱々のそれを2人で向かい合い食べる。
「ん。うまい」
「ふふふ。誰かと一緒に食べる朝食っていいね。いつもひとりで食べてるからさ」
「ひとり暮らしって寂しい?」
「私はもう慣れたけど。でもやっぱり人が居ると嬉しいかな。そういえば、大和君の高校って遠いの?」
「いや、駅の向こう側。駅からバス。そんなに遠くない」
「あれ、もしかして坂上高校?」
「そ。新参者なのによく知ってますね」
「樹齢300年の桜の木があるでしょ」
「いや。知らないっす」
「知らないの!?」
用の済んだ皿とコップをキッチンに運ぶと、レンさんは目を見開いて、えらいねぇと呟いた。そこにあったスポンジを手に取ると、レンさんはそれに洗剤をビュッと出した。
2人シンクの前に並び、俺が洗い、レンさんが拭く。
レンさんのゆるい首元から白い肌がのぞいていた。
「あのさ。レンさん、上がらせてもらっといてなんだけど、あんまり男を家に上げない方がいいよ」
「そりゃあもちろん、知らない人はあげないよ。大和くんだから上がってもらったの」
「彼氏に怒られるんじゃないですか」
「彼氏なんか!いたらとっくに呼んで電球かえてもらってるよ」
「そう……。でもほんと、気をつけて。レンさん、隙ありすぎ」
「心配ありがとう。でも大丈夫!この家は私にとって要塞だから。庭に出ちゃえば私、無敵だし」
リビング横の大きな窓から見える、色んな植物がギュギュッと肩を寄せ合う庭。
あそこにどんな植物が植えられているのかはわからないが、あの場所でレンさんの「触れた植物を操る」特殊能力を使えば……
あちこちからツタが伸びてきて巻きつかれそうだし、トゲとか枝にブッ刺されそうだし。それにもし、毒草なんかがあったら……。
確かに。あの庭でこの人に勝てる気がしない。
「それにね、大和くんがいい子なの、わかってたから」
「昨日会ったばかりのやつの何がわかるんすか」
「勘です」
「勘って……」
「女の勘は当たるんだよ、長年の経験でね」
「長年て。俺と7歳しか変わらないし。まぁでもレンさんがいいなら俺、また来てもいい?」
「もちろん!何か植物を持ってきてくれたら、なおよしです」
「りょーかい。そういやあのあと、見つかったんですか?エンジェルストランペット」
「ふふん。それならちゃんと見つかりました!そこの放置されてた空き地に生えてたの。大和くんにまた会えたら見せたくてね、失礼してもらってきた」
そういって皿の片付けを終えたレンさんは、リビングの窓を開けて、ショートブーツを履き、庭に出て振り返り、こちらに手招き。
サンダルを借りて庭に出る。レンさんは庭の隅の一角に向かい、うれしそうにジャジャーンとポーズをとった。
「わ。まーじでトランペットだ。しかもでかい」
そこには昨日レンさんのスマホで見たのと同じ植物――エンジェルストランペットが生えていた。名前の通りトランペットのような形の花がいくつも、天から吊り下げられたように咲いている。株全体は横に並ぶレンさんと同じくらいの高さがあり、かなり大きい。
(筆者撮影)
「空き地に生えていた株の成長を早めてタネを作らせて、そのタネをまいてさらに成長を早めて、開花させてみました」
「出たなチートパワー。レンさんなら農業に革命を起こせるんじゃないすか。……でもほんとにこれ、毒なんかある?甘くていい香りがするけど」
「原生地の南米では昔儀式の時にシャーマンたちが使ったんだって。幻覚を引き起こす成分が入ってるから。この甘い香りも、嗅ぐだけで吐き気や目眩が起こることもあるみたい。アトロピン……っていう成分が入ってるから、瞳孔を拡大する作用もある。汁が目に入ると失明の恐れもある」
「マジすか。怖えー。天使のトランペットって言っても、終末に吹かれる方だな」
聖書の「ヨハネの黙示録」には、世界の終わり……週末がくるときに、七人の天使が順にラッパを吹くと書かれていた。
「ほほう、大和くん、聖書に詳しいね」
「いや全然。にしてもこれ、そんな毒があるって知らずに育ててる人、多いんじゃないすか?」
「そうなのよ。日本でも誤食事件が何件かあったかな。結構危ないよねぇ」
「それで、コイツを庭に植えて、レンさんはなにをするつもりなんですか」
レンさんはくるっと俺を振り返って、真面目な顔をして、腕を組んだ。
「大和くん」
「はい」
「私には夢がある」
「牧師にでもなるの?」
「その夢を叶えるために、私は植物を集めている」
「ほう」
「大和くんは、暇か」
「暇そうに見えます?」
「半分」
「半分ってなんすか。一応、これから学校行きますよ」
「え!今日俺の中では学校休みって言ってたじゃん!」
「俺の中でさっき開校されました」
「えぇ。そうと知ってたら引き止めなかったのに!ごめんね、学生の本分を邪魔してしまった」
「大丈夫ですよ。学校にはあれ、見に行くだけなんで」
「あれ?」
「樹齢1000年の木。ほんとにあるのか見てきます」
「300年ね。行くなら授業もちゃんと受けなよ」
「えー。じゃあちゃんと授業受けてくるからさ、あとでレンさんの夢、教えて」
「あ。うぅん、うん。ちゃんと学校行ったらね」
「レンさん明日は家にいる?」
「うん。基本在宅ワーク、その合間に採集してる」
「わかった。じゃ、また来るから」
「うん。行ってらっしゃい」
レンさんの家を出て、ブラブラと歩き出す。
学校にそんな古い木なんてあったかな。毎日ちゃんと通ってたころにも気づかなかったくらいだ、よほど目立たないところにあるのだろう。
夏休みが明けて、よりサボる頻度が上がった高校。教室に入るとちょうど1時間目が終わったところだった。
何人かの視線を浴びて、席に着く。手ぶらできてしまったので、筆記用具は隣の席の安田に借りる。真面目で成績優秀な安田は、俺に貸す用のシャーペン・消しゴム・マーカー・赤ペン、それにルーズリーフまで常に一式揃えてくれている。
いつもありがとよ。なんとなく御礼を言ってみたら、安田はぐんと目を開いて身を引いた。
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