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20年前に、東京都内某所の小さな飲食店が突如として半壊した。
建物の構造的な問題は無く、どう調べても問題は無かったそうだ。
この事件で、店員夫婦は死亡。
客を合わせて重軽傷者は16名。
犠牲になった一般死亡者は1名。
半壊直後に店の前を歩いていた男性が、飛んできた破片で頭部を損傷して
即死だった。
多くの目撃者の証言によると、雨が降っていたので誰もが傘を差していた。
雨が小降りになり、次第にやんていき、男性が差していた傘をたたんだ。
その瞬間に、爆発音響いて人々が何事かと立ち止まり、店の割れた
窓ガラスから破片が飛んできたのだそうだ。
たった1人にだけ致命傷だったのは、とてつもない不運だった。
要するにそれが......今回、記念上映された監督なのだ。
監督の映画は、ヒットしたとはいえ大規模ではなく、単館上映における
異例の集客数と、数々の国際的な受賞...という意味のほうだ。
少しだけマニアックな方面なので、よほどの映画好きでないと知らない。
だから監督の死亡に対してのマスコミの喰いつきは、わずかだったし、
その直後に、芸能人関係のもっと大きな事件が起こり、こちらの件は
触れる者がほとんどいなかった。
それは亡くなられた店員の年配夫婦にとっても幸か不幸か......だった。
この2人は互いに親類どころか身内もいなかった。
こちらもマスコミに突かれることが無かったからだ。
それでも監督の才能は業界では認められ、語り継がれ、ときに再上映も
されながら『一本の名作』が、生き続けている。
そうして今回のような機会も生まれたのだ。
「監督が犠牲になった事件そのものを調べてみたんですけど
ほどんど資料が無いんです。
死亡した店員夫婦は身内がいない境遇だったし。
被害者の方々にしても個人情報の問題もあるし、
なにもわからなくて......」
天地は肩を深く落としてうなだれた。
そこには、必死に調べ尽した労力の疲労が見えた。
いや、私には確かにわかった。
私もまた『足を使って』仕事をしているからだ。
いまも、昔も......。
「持ってるよ、詳しい詳細を」
私がそう言うと、彼が勢いよく立ち上がり、また弾みでふらついたので、
また両腕を出して支え、再び椅子に座らせた。
「20年前......26歳の私はね、駆け出しのライターだったんだ。
それでね、この事件について単独で取材したんだよ。
被害者の方々のところへと直接、地方に住む方の元にも出向いて、
話しを聞かせていただいた。もちろん無理強いせずに。
その当時の記録もまだ手元にある」
「え、そんなに?」
「個人的に悲しかったからね...ほんとうに監督の作品が好きで。
そして、報道されなかった部分が気になったんだ。だって爆発だよ?
建物の崩壊は免れたが中は酷い有様だった。
だけど原因は、何もわからないまま。
わかったとしても納得できないが、犠牲者はやりきれないだろうし、
心の傷も深いだろう。
重軽傷者と、ひとまとめに言うけど......大怪我や後遺症が深刻な人も
いるだろうし。
私はね、そういう方々に気持ちを吐き出して欲しくて、事件に挑んだんだ。
誰だって誰にもわかってもらえないと悔しいものだろ?」
「ものすごい思慮深さだ...尊敬します。俺、そこまで考えてなかった」
天地が上半身を折り曲げて、更にうなだれていった。
「いや、なんだかんだで、才能は無かったよ。5年ほどで辞めてね、
いまは普通の会社で営業をやってて結婚して子持ちだよ。
当時にコミュニケーション能力を鍛えたおかげで仕事がスムーズにいくから、
まあ、無駄じゃなかったかな。
ただね、取材をしたのは、もうひとつ理由があったんだ。
『ノンフィクション大賞』っていう公募に出して、ひと山あてて、
のし上がろうとしたんだけど、一次選考さえ通過せずに落ちたんだよ」
「一次選考にさえ......」
「そう、とんでもない黒歴史だけどね、かけがえのない時間だったと
思ってる。
取材したことも、執筆したことも......。
それに、この件でルポライターは向かないことがよくわかったんだ。
あまりにも被害者側に寄り添い過ぎていて、客観性が持てなかったんだよ。
それはプロ失格とも言えるからね。
一次さえ無理だったのも、そこが原因だと自覚してるよ」
「あの、ということは、作品の著作権は発生してないことになりますよね?」
「え?あぁ、そうだね。どこにも属してないから」
「すみません、その作品を読ませていただけませんか?
こんな、初対面で図々しいことを言って申し訳ないんですけど!」
彼の目は輝き、そして潤んでいた。
「いやいや、さっき初対面に映画に出てくれないかって頼んだよりは
ずっと普通じゃないかと」
「す、すみません!すみません!必死過ぎですよね。
僕の情熱は常軌を逸してる......」
「それはいいけど、なんで読みたいのか、聞かせてくれないかな?」
「映画にしたいんです!あの半壊事件そのものではなく、
そこから着想を得て映画を作りたいんです!
事件を起こす心の闇を......。
それから......それから!あなたの話しを聞いて、
人の心の傷の、その在処もそれに寄り添うものも、描きたくなりました!
挑んでみたいです!」
あの暗い劇場のなかでひっそりと泣いてから、声を上げて泣いた彼は......。
明るい場所で、力強い声で、真っすぐな瞳で、訴えてきた。
私には、何も断る理由は無かった。
「天地くん、お腹、空いてる?」
「は?」
「いい感じに夕飯時だし、何か食べながら話そうかなって。じっくりと」
私は彼に手を差し出した。
天地日向はその差し伸べた手を取り、今度は自身の力で立ち上がった。
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