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「ねえ。菫。一緒に遊ぼうよ」
菫の腕に腕を絡めて、ぐい。と、身体を密着させて、沙夜が言う。
正直、沙夜の容姿は可愛い。その辺の男子高生なら放ってはおかないだろう。けれど、先日衝撃的事実を知ってしまった菫は正直全くそそられない。というよりも、元々、菫は現在、鈴以外には全くそそられない。
「無理。忙しい」
だから、少し食い気味に菫は返答した。
ここまで付き合ってしまってから言うのはなんだけれど、鈴との時間を邪魔されたくない。この狐の眷属にかかわることを鈴はあまりよく思ってはいない。100歩以上譲って菫の行動を許してくれてはいるけれど、本当は菫だって鈴に嫌な思いをさせたいわけではなかった。
「えーつまんない。こんなに可愛い子が誘ってるのに、その反応おかしくない?」
全く空気を読まずに、ぐいぐい。と、身体を押し付けて沙夜が言う。いや、この場合、わざと鈴に見せつけて揶揄っているのかもと、疑ってしまう。
「おかしくねーし」
引きはがそうとするけれど、びくともしない。こう見えても、これは怪異だ。ごくごく普通のとりわけ何のとりえもない菫が引き離せるわけがない。いや、それ以前に『これ』は男だ。簡単に引きはがせはしない。
「こら。はな……」
せ。と、言う前にいきなり菫と沙夜の間ににゅ。と、腕が割り込んできた。そのまま、無理矢理に引きはがされた。
「いい加減にしろ」
ひやり。と、周りの温度が下がる。まるで、スポットクーラーの前を通り抜けた時のようだ。
「鈴……」
もちろん、二人を引きはがしたのは、鈴だった。さっきまでの上機嫌は何だったのか。というくらいにあからさまに不機嫌な顔になって、沙夜を見下ろしている。
「悪戯は……」
鈴の呼気に氷が混じって、吐き出されている言葉が端から凍り付くようだ。
「狐狸の性。だが。過ぎれば。あの社から。出られなくなる。だけでは。済まないぞ?」
一言、一言に、重量を感じる。重い。鈴の言葉が重い岩に変わって押しつぶされそうに感じる。
鈴が。怒っている。と、わかる。
「やだなあ。心が狭い男の子は、嫌われるぞ?」
一瞬で、鈴の目の前に移動して、その顔を下から覗き込んで、沙夜が言った。鈴が怒っているのはきっとわかっている。けれど、全く意に介してはいない。それどころか、明らかに楽しんでいる。ように見えた。
その瞳が赤く揺らめく。
燐が燃える匂い。
きっと、触れたら燃え上がる。
思わず、菫はごくり。と、唾をのんだ。
「沙夜」
しかし、その炎は一瞬にして消えた。本当に、じゅ。と、花火が水に浸かって消えるときの音が聞こえたような気がした。
「やめな」
右手に持った牛串をかじってから、臣丞が続ける。そこには何の緊張も籠ってはいない。
「今の。沙夜が。悪い」
それでも、もぐもぐ。と、咀嚼の合間に、ぼそり。ぼそり。と、臣丞が呟くように言うと、それだけで、沙夜の炎が萎んでいった。
「だってえ。菫と遊びたかったんだもん」
拗ねたように沙夜が言う。口には出してはいないけれど、臣丞には逆らえないという力関係が垣間見えた気がした。
「沙夜。鈴に。謝る」
ぼそり。ぼそり。と、臣丞が続ける。そして、ぺこり。と、臣丞自身も鈴に頭を下げた。
「黒様。元気になって、沙夜も。はしゃいでた。調子に乗って。悪かった」
素直に頭を下げられて、鈴は少し困っているようだった。どうしたらいい? という顔で、菫を見ている。
「別にいいよ。じゃ、ちょっとそこまで一緒に行こうか? 知り合いの店のブースあるから」
一瞬。鈴がえ? という顔をした。したのを見逃さなかった。けれど、鈴も仕方ないとため息をつく。
「一瞬だけなら……」
不承不承というように、鈴が言った。きっと、『心が狭い男の子は嫌われる』を気にしているのだ。もちろん、心が狭かろうが、いまさら菫が鈴を嫌いになることなんてないけれど、そんなことを気にしてしまうところが可愛い。
「ねえねえ。鈴」
菫が歩き出すと、隣に並んだ鈴にさっきまでのやり取りなんて何もなかったかのように沙夜が話しかけている。鈴は嫌そうな顔をしているけれど、お構いなしだ。人間相手だと殆ど無表情な鈴があんな顔をするのは珍しい。鈴はそんなことは言わないし、聞いたら否定すると思う。けれど、きっと、菫と同じで、鈴にとっても『その世界』は、人のいる場所よりも近いのかもしれない。『その世界』は、いつか新三が言っていた。きっと、夜と呼ばれる場所だ。
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