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  カリフォルニア州パシフィックグローブの静かな町で、新婚のカップルがバカンスを楽しんでいた。  エンタープライズのエースになれなかったのが心残りだったが、アメリカ海軍が保有するトムキャットを手足のように操り、数々の紛争を鎮圧するミッションに関わった誇りを胸に、最高の妻、最高の未来を得て貸別荘が並ぶこの地で年中変わらぬという過ごしやすい空気の中でまどろんでいた。  この1,100平方フィートのシングルレベルコテージは、ラバーズビーチとレストランまで徒歩1ブロックという立地で、すぐに遊びに繰り出せるのだが、(かたわ)らのキャサリン・ホワイトの笑顔の方が、よほど魅力的だと思っていた。  サングラスをかけて、プールサイドベッドに横になったケイ・ホワイトはトロピカルな雰囲気の庭を尻目に空を眺めて足を組んだ。 「はい、オレンジジュースよ」  白いブラウスが陽射しを反射して、天使のような(まぶ)しさだった。  そう、手を血で汚した男にとって、綺麗(きれい)すぎるほど真っ白な天使。  傍らに置かれた背の高いグラスには、輪切りにしたオレンジを刺したジュースに白いストローの口がこちらを向いていた。  このストローに口をつけるのは、何度となく鎮魂の言葉を吐き、絶叫を繰り返した男の口である。  ここにいれば、サイレンが鳴りスクランブルがかかることもない。 「ばかな ───」  頭を振り、ジュースに手を伸ばしたケイは、努めて笑顔を作り、キャシーを心配させまいと振舞った。 「良い天気よね」  少しの間、一緒に空を眺めていた彼女は、片付けものを思い出した、という風でコテージに戻って行った。  キッチンに立って皿を洗うキャシーの顔には、なぜか影があった。  夫が戦闘機乗りだったことは承知で結婚した。  人を殺す仕事であっても、世の中を平和へ導く大義があってのことだとわかっていた。  だが、時折見せる殺気は心の闇を垣間(かいま)見せた。  なぜか彼女は、傍らにあったナプキンを噛みしめ、庭を鮮やかに彩るハイビスカスを(にら)みつけたのだった。 「ケイは、何も悪くないわ。  争いごとを起こす人間が悪いの。  己の欲にまみれて好き勝手にする独裁者が。  戦争で金儲けを目論(もくろ)む悪魔が」  プールサイドから眺めていたケイの視界に、鮮やかな飛行機雲が流れていった。 「空は、いいなあ ───」  オレンジジュースの鮮やかな色は、空の青とは対照的に心をそこに押し留めようと迫ってくるような圧迫感があった。
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