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席を立つ前は菊池くんとだいぶ盛り上がってた様子だったのに、抜けてしまって大丈夫なんだろうか。
「放っといて大丈夫かって顔してるね。平気平気、もう連絡先交換したし、来週末一緒に釣りに行く約束まで取り付けたから」
「うわあ、やり手すぎて怖い。ぜひその技を伝授して頂きたいわ」
「そうしたげたいのはやまやまだけど、相手がいないことにはねぇ」
「ホントそれ、まじでそれ。……どうしよう祐奈、私また手ぶらで帰ることになりそうだよ」
「なんて言うか……そうだね、さすがにこれはあからさますぎて引くレベルかも」
そう呟いてグロスリップを塗り直す祐奈。その言葉の意味を理解できなくて、私は首を傾げて祐奈の横顔を見つめた。
「気付いてない明日香も相当だな~。鈍感なとこは魅力だしカワイイと思うけど、ちょっと気を付けた方がいいよ」
「え、気を付けるって、何に」
「磯貝くん。あいつさ、明日香のこと」
「ねえねえお2人さん、そろそろ河岸変えようって話出てるんだけど、次行くよね?」
再び開いたドアから顔をのぞかせたのは、光山さんだ。いい感じにお酒が回っているようで、少し舌足らずになった口調がなんだか色っぽい。
「菊池くんが来るなら行くって伝えてくださーい」
「じゃあユウは参加ね、オッケー。メー子は……聞くまでもないか。参加するって言っておくわ」
いやいや私だって断ることも、というセリフが私の口からこの世に発信されることはないまま、レストルームの扉は閉じられた。
「ねえ、祐奈……。私、次に行く意味ある?」
祐奈に倣って私もリップを塗り直しながら、鏡越しに祐奈に視線を送る。
「桜庭くんが間に合えば万事解決なんだけどなぁ。神様にお祈りしといてあげることしかできない女でごめんね」
「祐奈は何も悪くない。悪いのは仕事の調整ができない桜庭律だよ……」
「見たことない年下の男の子を悪者扱いしたい気持ちは痛いほど分かる。でも、諸悪の根源は見間違えちゃダメよ、明日香ちゃん」
祐奈はそう言って、私の首元に小さなアトマイザーに入った薄いピンクの液体を吹きかけた。途端に、辺りに少しスパイシーで甘やかな香りが立ち込める。
「何、これ。すごくいい香り」
「願いが叶うおまじなーい。“奇跡”って意味の香水だよ。この香りはね、男を虜にしちゃうから」
奇跡か。奇跡的な出会い、私にも訪れる日が来るといいんだけど。
「……桜庭くん、来るかな」
「来たら運命の相手だと思いな。あたし、全力で応援するよ」
祐奈が男だったら良かったのに。いや、男じゃなくて良かったのか。だって私、いま祐奈に思いっきり抱き着いてちゅっちゅしてやりたい気持ちでいっぱいになっているから。
「変なこと考えてないで、さっさと行こ。置いてかれちゃう」
「う、うん」
メイクポーチにお化粧品を片付けて、祐奈の後を追う。さっきまであんなに激しく波打っていた心は、すっかり落ち着いて凪いでいた。
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