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アヤメさんの後ろについて都会の真ん中を歩く。
本来の仕事じゃないからか、狙った魂の場所は大まかにしかわからないらしい。だからこうやって地道に歩いて狙いを探す必要がある。
アヤメさんがどんな基準で魂を集める相手を選んでいるかは知らない。わかるのは全員が殺人に関わった人間ってことくらいだ。
既に集めた魂は九十九個になっていた。願いを叶えるまでに必要なのはあと一つ。
つまり、あと一人の人間が死ぬ。
魂を抜き取られた身体は遠からず死ぬ。犯罪者だからといって魂を刈り取っていいのか。アヤメさんの判断基準は僕にはわからない。気がついたらアヤメさんの助手だった僕には、ただアヤメさんの判断に従うしかない。
それに、走っているときは不思議と僕が僕であるという自己を強く認識することができた。
「――見つけたっ!」
アヤメさんの言葉で物思いに耽っていた意識が引き戻される。アヤメさんの視線の先にはズボンのポケットに手を入れて背を丸めて歩くトレーナーの男がいた。
アヤメさんが近づくと男は寒気でも覚えたようにブルリと震え、振り返ると顔をひきつらせた。人間にはアヤメさんや僕の姿をハッキリと見ることはできない。ただ恐怖の象徴としてその存在を感じるらしい。
「悪いけど――いや、悪くないか。お前の魂、私が貰うよ」
アヤメさんはそんな言葉とともに空中から大鎌を取り出す。
その瞬間、男は引き攣った顔のまま僕たちに背を向けて走り出した。アヤメさんの存在をハッキリと見えていなくても、良からざるものが迫ってくる気配に対する生物の本能的な行動だ。
そして、ここからは僕の仕事だった。
「助手君!」
「最後まで、いつも通りなようで!」
男を追いかけて走る。魂を集めるためには、男の動きを止める必要がある。普段は神様を自称するアヤメさんだけど、人間の動きを無理やり止める魔法みたいなことはできないらしい。
それだけではなく、そもそもアヤメさんはこの世界に物理的には干渉できない。死神とは須らくそういうものらしいけど、人に触れたり物を動かしたりができない。つまり、男の動きを止める術をアヤメさんは持っていない。
死神ではない僕は人に触れる事こそできないけど、この前の段ボールみたいに物に触れることはできるから、それで動きを止めることが僕の役目だ。
「って、速っ!?」
いつものように追いかけるけど、男の動きは素早い。それに、走っても疲れる気配がない。
僕の身体が疲労とかとは無縁だから追いすがることができてるけど、それでも引き離されないので精いっぱいだった。
「その男、腐ってもマラソンの日本代表のなり損ないだから!」
「うへえっ」
後ろから追いかけてくるアヤメさんの言葉にため息が溢れる。なんでそんな人間の魂を集めようと思ったんだろう。魂を集めるためには動きを止めなきゃいけないわけで、それなら運動神経が悪い相手を狙った方が間違いないはずなのに。
「絶対逃がさないで!」
魂を集めているときだって、いつも余裕な態度を崩さないアヤメさんが必死だった。
ちらりと振り返ると、後ろを飛ぶようにして追いかけてくるアヤメさんの瞳はいつになく鋭く男を見据えている。
なんだろう。この男に対しては並々ならない執念を感じる。
「助手君! お願いっ!」
どうしてアヤメさんがこの男に拘るのか。その理由はわからない。
わからないけど、その真剣な声に確かに背中をぐいっと押された。
ピッチを上げる。男の背中が少しずつ近づいてくる。男がぱっと振り返って、ペースを上げる。ひたひたとその後を追いかけつづける。
いつの間にか血が熱くなるのを感じていた。人間でない僕にそんなことありえないはずだけど。
大きく腕を振って加速する。グイグイと男との距離が詰まる。横に並んで、一気に抜き去る。前に出れさえすれば、後は足止めするためのものを探すだけだ――
「あ、ああっ……!」
だけど、その前に絶望に包まれた声とともに男が足をもつれさせた。なまじ凄いスピードで走っていたからか、男は大きくバランスを崩して頭から地面に倒れ込んだ。パッと身を起こした男だったが、足に力が入らないのか、膝をガクガクと震わせながら僕を見ている。
それはまるで、アヤメさんではなく僕を怖がっているかのようだった。
「ひ、ひいっ! 嘘だ! まさかお前っ、助則――」
男の言葉は続かない。後ろから追いついてきたアヤメさんが無言のままに大鎌を男の胸に突き立てていた。その身体を引き裂くように抜き取られた釜の先にはドロドロとした黒色の靄がまとわりついていた。
百個目の魂。アヤメさんはどこか感慨深そうにその魂をじっと見てから、いつものように空中から取り出した麻の袋の中に収めた。
「この男、何したの?」
これまでアヤメさんと九十九個の魂を集めてきたけど、そのどれともアヤメさんの反応は違っていた。アヤメさんは大鎌を肩で担ぐと僕を見てから空を見上げる。
「私怨で一人の人間を殺した――いや、殺しかけたの」
「殺しかけた?」
今まで集めてきた魂は人数の多寡はあれ、人の命に手をかけてきた人間だった。
それが最後になって、殺しかけた。釈然としない思いのままアヤメさんを見るけど、アヤメさんはそれ以上何も答えようとしない。
僕をじっと見て、それから疲れたような笑みを浮かべた。
「さ、疲れたでしょ。今日はもう帰って寝ちゃいな。願いを叶えるのは明日にするからさ。気になってるんでしょ? 私の願い事」
「それは、まあ。うん……」
アヤメさんが無理やり話を終わらせようとしているのはすぐに気づいたけど、ここで問い詰めることが正解なのかがわからなかった。
結局、それ以上何も聞けないまま、僕はアヤメさんと別れてその場を後にするしかなかった。
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