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「助手君! そっち行ったよ!」
「ああ、もう! 人遣い荒いんだからっ!」
アヤメさんの声が響いたのと、蒼い顔をした男が飛び出してきたのは同時だった。小さく悲鳴を上げながら男は足をデタラメに動かして走っていく。恐怖に縛られるかのように時々足をもつれさせていた。
男はそんな状態だったから走ればすぐに追いつくことができたけど、問題はここからだ。
大都会のど真ん中。人も物も数多く行き交っている割に、足止めに適したものは多くない。男に飛び掛かって止めることができれば手っ取り早いんだけど、あいにくそれもできない。
辺りを見渡しながら男としばらく並走すると、少し先の方のビルの入口に搬入を待つ段ボールがおあつらえ向きに積み上げられているのが見えた。これしかない。男に先回りしてビルの方に向かい、男がビルに差し掛かる瞬間を狙って、積み上げられた段ボールを押し倒す。
「ぶべらっ!」
段ボールが男に直撃することはなかったが、急に目の前に倒れ込んできた段ボールの山に突っ込んで奇天烈な悲鳴とともに倒れ込む。
「アヤメさん!」
「はいよっ!」
黒い装束に身を包んだ女性が姿を現すと、手足をバタバタと動かして段ボールの山から抜け出そうとしている男に素早く近づく。
女性が宙に手をかざすと、微かに空間が歪み、どこからともなく身の丈を越えるような大鎌が出現した。女性は流れるような動きで大鎌を男の胸に突き立てた。
さくり。
大鎌の先端が男の左胸を貫くと同時に魂を穿つ音が響く。男はまだバタバタと藻掻いていたけど、先ほどまでのように動きに明確な意図は感じられず、ただ惰性でその動きを繰り返しているようだった。
「よっこらっせ、っと」
黒づくめの女性――アヤメさんが弾んだ声で僕の方に近づいてくる。右肩で大鎌を担ぐように持つと、左手を空に掲げて、こちらも人の身長くらいはある麻袋を空中から取り出した。しっかりと口が閉じられた袋はもぞもぞと動いていて、そこはかとなく気味が悪い。
アヤメさんは袋の口を開いて大鎌の先に付いた黒い靄を押し込むと、ふうっと額を拭って息をついた。
「よしっ! 収穫終わり!」
そんなアヤメさんの向こう側で、倒れた段ボールに気づいた人たちが血相を変えてビルの中から駆け出してきていた。
「おい、何が起きた!」
「人が巻き込まれてるぞ!」
「あれ、この男どこかで……」
「昨日テレビで見たぞ! 強盗殺人で指名手配されてるやつだ!」
瞬く間に周囲がパニックになる。その喧騒の蚊帳の外にあるのは僕とアヤメさんと、段ボールの海の中で手足を動かし続けている男だけだった。
もう何回も繰り返し見てきた光景なのに、いまいち慣れる気がしない。きっとこの先も慣れることはないんだろう。
「よし、そろそろずらかろっか」
「アヤメさん。それ、悪役の台詞」
「あれ、もしかして善良な市民のつもりだったの?」
悪びれる様子もなく、くしゃりと笑うアヤメさんの姿は騒然とした辺りの様子とちぐはぐで。その対照はアヤメさんがこの世の存在でない――死神だということを色濃く際立たせていた。
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