本編

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優希「ニャンニャンニャーン。かわいいね。このこの」  アフターファイブが少し経過した18時頃。都内の猫カフェでベージュのカジュアルスーツ姿のOL、優希は華奢な黒猫を愛でていた。 正輝「ほんとお好きですね。アズキのことが」  黒のスキニーパンツ、クリーム色のセーター、黒いエプロンという服装の店員、正輝が優しそうに微笑して言った。  アズキと呼ばれた黒猫は、眠そうに優希の方を見ながら欠伸をした。 優希「この天使、マジで連れて帰りたい」  優希は正輝に真剣な眼差しを向ける。両手はアズキを掴んだままだ。 正輝「優希さんの住んでるマンション、ペット飼えるんですか?」  シルバートレイを小脇に抱えながら、正輝が訊いた。 優希「ダメだね」  優希は真剣な眼差しを全く変えずに返した。 正輝「じゃあ、連れて帰るもへったくれもないじゃないですか」  呆れたように笑いながら、正輝は言った。 優希「だから、ここで猫成分を、癒し成分を充電するんだよ。ニャンニャンニャーン」  優希はアズキに視線を戻すと先ほどよりも猫なで声になった。そしてそのままアズキを撫でる。 正輝「もう優希さんが、『ネコ』でしょ」  そう言うと、正輝は再び微笑した。そして一息おくと再び口を開く。 正輝「でも最近、マイブームなのかってくらい、よく来ますよね?」  トレイを小脇に抱えて、腕を後ろに回しながら訊いた。 優希「生きがいだよね。このために生きてる」  少し微笑みながら先ほどと同様に真剣な口調で生きがいを語った。 正輝「そうなんですか」  正輝は相槌を打った。 優希「そういう正輝くんは、なんかマイブームないの?」  優希はようやくアズキから目を離すと、正輝の方を向いて何気なく訊いた。 正輝「僕は……。『ネコ』集めですかね」  言いづらそうに、でも少し微笑して言った。 優希「家で猫を多頭飼いしてるの?」  すぐにアズキに視線を戻して、撫でながら訊いた。 正輝「まぁそんなところです」  肩をすくめて、言葉を返した。 正輝「いっぱい集めて、『ネコ』観察とかするんですよ」 優希「そんなに猫好きだったんだ」 正輝「えぇ。『ネコ』、大好きなんです。あっ、紅茶、新しく淹れましょうか?」  正輝はカップを指差しながら訊いた。 優希「えっ、でも追加料金とか発生しちゃうでしょ?」  少し心配そうに訊いた。奨学金の返済や生活費工面などの事情で、金欠なのだ。 正輝「常連の『ネコ』さん、特別に僕がおごりますよ」  金銭事情を把握している正輝が、『ネコ』を強調しながらも優しく返す。 優希「ほんとに……?」 正輝「えぇ」  優希の恐々とした問いに、正輝は優しい微笑みを見せて返した。 優希「ありがとう!」  明るい声を出すと、アズキの腹部に顔をうずめた。  優希が店の常連になったのは約1年前から。仕事のストレスで何かに癒されたいと考えていた時に、ペットという選択肢が浮かんだ。  しかし、ペット不可のマンションに住んでいたこと,経済的かつ生活能力等の理由で猫が飼えなかった。  そんなときに近くにできた猫カフェを知り、すっかり魅了されてしまった。  お気に入りは唯一の黒猫。様々な種類が店内にはいるが、なぜか黒猫に惹かれた。恐らくは一目惚れだろう。  華奢な体に、すらりとした足。鋭いようでどこか優しさや愛おしさを覚える目。モデルのようなカリスマ性を持つ全てに魅力を感じた。  そして、それは自分だけでなく、他のお客も感じたようで、黒猫のアズキは店内の1番人気の猫だった。  それに店員の正輝も優しく、女性客にとても人気だった。  白く整った顔立ち、清潔感のある黒髪、170cmほどの身長、長く色白な手足に低くも優しい声。    優希は、彼と関わるとどこかドキドキした。  その日も優希はドキドキしながらも、正輝の淹れ直した新しい紅茶を味わいながらアズキを十分に愛でた。  そして後日。  優希は仕事の打ち合わせで喫茶店に訪れていた。 店員「こちらどうぞ」  窓辺に近いボックス席に案内された。優希は手前の通路に近い席に座った。 店員「ご注文は?」 優希「えっと、レモンティーで」  注文を聞かれ、極力金額の安いものを注文した。経費とはいえ、いかんせん金が無いのだ。 店員「かしこまりました」  返答すると、奥へと移動した。 優希(えっと、資料はあるよね……)  腕時計と持ち物を気にしながら待機していると、後方のテーブル席から女性2人組の話がメイクの話から猫カフェの話へと変わった。 茶髪「ねぇ? 最近できたあの猫カフェの噂、知ってる?」  ウルフカットの茶髪が向かいの金髪に訊ねた。 金髪「噂って?」  金髪の女性がホットココアに口をつけながら訊いた。 茶髪「あのお店に有名な画家の絵があるんだって。SNSの画像投稿で分かったらしいよ」  茶髪が写真を見せながら言った。そこには優希が常連になっている猫カフェが写っている。  話を聞いて優希は思案する。金欠な自分にとっては、その絵があれば、潤うのだろう。なんなら返済してもお釣りがくるはずだ。 金髪「でも、あのお店、確かよくない噂もなかった?」  金髪が髪を軽く直しながら訊いた。 茶髪「何それ?」 金髪「詳しくは知らないけど、カフェのお客さんが何人も行方不明になってるっていう噂。それも女性客ばっかり」  茶髪の問いに言葉を返すと、金髪は携帯を取り出し時間を確認した。 茶髪「それ、初耳なんだけど」  茶髪が軽く怯えながら言った。 金髪「前に通ってた女性客が行方不明になったらしくて。頻繁に通った後に行方不明になったんだって」  怯える茶髪に金髪が妖しく笑いながら追い打ちをかける。 茶髪「怖くね? でも、それってたまたまじゃないの?」 金髪「だけどさ、用心するに越したことはないでしょ?」 茶髪「怖いからやめてよ」  誤魔化すように茶髪はメニューに視線を向けた。 優希(絵画……。行方不明……)  話を口の中で反芻しながら、優希は再び思案した。  もし噂が本当なら、口を回して絵画を手に入れたい。あまり詳しくはないが、密売ルートなどを介せば高い金額が手に入るだろう。  その後に始まった打ち合わせも、優希は少しだけ上の空で絵画のことを考えていた。  そして数日後。  優希は再び猫カフェに来ていた。優希の他に、お客は誰もいない。  お気に入りのアズキを愛でながら、店内を改めて見回す。 優希「あった……」  先日聞こえてきた話の通りだ。レジカウンターの壁、天井に近い箇所に1枚の絵が掛けられていた。  片手で愛でながら、スマホで絵画の詳細な情報を調べる。検索すると、狙い通りの情報が出てきた。  有名画家 ルイ・スミスが描いた、『青の皿』。陰鬱そうな暗さのある青を基調とした背景が描かれ、絵画の中心には白いテーブルクロスのかけられた木製のテーブルに、影のついた深い青色の皿が一枚置かれていた。どこか美しさがありつつもどこか陰鬱という繊細で複雑な作品だ。  そして、その『青の皿』と同様のものが店に飾られている。ネットには様々な情報が載っているが、売れば最低でも3000万にはなるとされている。 優希「確定だね……」  素人ながらも密売ルートを調べて売れば、きっとバレないだろう。 優希「これが売れれば、奨学金返済もペット可のマンションにも引っ越せる……」  企むように呟いた。近いうちに空き巣にでも入って奪うしかないだろうか。そんな大胆な考えを巡らせていると、店の奥から正輝が出てきた。 正輝「あっ、来てたんですね」  優希を見つけて、正輝が優しく声をかけた。 優希「あっうん」 正輝「アズキー。常連の『ネコ』さんが来たよー」  正輝は優希の手元で甘えているアズキに声をかけながら、その頭を撫でた。 優希「常連客を猫呼び?」  常連の『ネコ』と呼ばれた、優希が笑って返す。 正輝「だって、『ネコ』でしょ?」  軽く微笑みながら、正輝は優しく訊ねた。 優希「誰がよ……」  少しドキリとしながら、しょげた顔で軽く呟く。それを横目に正輝はさらに微笑んだ。 優希(待てよ……)  優希は先ほどの思考を止めて、考え直した。 優希(空き巣よりも交渉で手に入れた方がいいかもしれない……)  犯罪に手を出すのは気乗りしない。正輝が来たこともあり、優希は譲りもらうことにした。 優希(よしっ……! そうと決まれば……!)  優希は正輝に悟られないように息を整えた。そして、視線を絵画に向けた。 優希「正輝君。あれ、いい絵だね」  話を変えるように、優希は絵画を指差して言った。 正輝「あぁ。あれね。綺麗でしょ?」  正輝が少し得気に返す。 優希「正輝君が買ってきたの?」 正輝「はい。ちょっと前に、骨董屋で買ったんです。オーナーに訊いたら飾っていいよって、言われて」  正輝は何気なく言葉を返した。 優希「作者が知ってる人だったとか?」  純粋な質問を向ける。しかし、正輝は首を横に振った。 正輝「俺、かわいいものとか綺麗なものっていう、ジャケットっていうか見た目重視なんです。買ったのも一目惚れしたってだけで」  薄く笑って言った。 優希「そうなんだ。なんか気まぐれの猫みたいだね」  優希はクスっと笑って言った。 正輝「どっちが『ネコ』だろうね? なぁ、アズキー。この人こそ常連の『ネコ』だよなー」  正輝は優希の手元にいるアズキに再び声をかけながら、先日と同様に、『ネコ』の部分を主張した上で言った。 優希「やめなさいっての……」  優希は少し真剣にムッとしながら呟いた。そして、一度深く呼吸をした。 優希「ねぇ。もしよかったら、あの絵、譲ってくれないかな?」  優希は微笑みながら、それでいて真剣な口調で正輝に訊ねた。 正輝「えっ?」 優希「いや、綺麗な絵だし。それにね、猫カフェにある絵だから、猫の癒しパワーも宿って癒されるんじゃないかなって思って。お店に来られない時もあるから、その絵で元気もらいたいなぁ、なんて」  建前の言葉も含んで、優希は続けた。 正輝「いやぁ、でも一目惚れとはいえど、飾っておいたら愛着も湧くと言いますか……」  正輝は困ったような笑いを優希に向けた。 優希「そんなこと言わないでさ。じゃあさ、譲ってくれって言っても、お金払うよ。買った時の倍の値段でどうかな?」  ここで食い下がれない。なにせ奨学金やら生活費やらで金欠なのだ。優希は少し早口で訊いた。 正輝「いやぁ。でも、オーナーに聞かないと分からないところもありますし……。ねぇ……」  正輝は困った微笑みを続けている。優しいくせになかなか強情な男だ。 優希「じゃあ、ちなみに買った時はいくらだったの?」  作戦変更。優希は話題を変えた。 正輝「そうですね……。買った時は確か……。15万くらいだった気がしますね」  正輝は少し上を向いて、思い出しながら言った。想像以上の金額だった。だが、引くわけにはいかない。 優希「じゃあさ、倍だから30万! 30万円払うからどうかな?」  優希の住んでいるマンションの家賃に換算すると、半月分だった。 正輝「優希さん、そんなお金ないでしょ?」  倍の金額にも揺れずに、正輝は冷静に訊いた。 優希「あるよ!」  正直、ハッタリだった。だが、絵を手に入れた後の儲けに比べれば痛くはない。もうひと押しだ。 正輝「ねぇ! お願い! 譲ってよ!」  優希は催促するように、でも真剣に言った。 優希「そうですか? まぁ、じゃあ、オーナーに確認してみますね」  これ以上は、という顔で正輝は話を終わらせようとする。ここで話が終わると逃げられてしまう。 優希「いや、確認とかじゃなくてさ。君が買ってきたんだ。所有権は君にあるはずでしょ? できればすぐにでも、売って欲しいんだ」  優希は催促する姿勢を強くして言った。 正輝「そんな催促するみたいに……。いやぁ、でも……」  正輝は渋らせる。その姿勢に、優希は徐々に苛立ち始めた。 優希「君こそなんでそんなに渋るのさ! 素直に渡してくれたらいいじゃん! なんでなの!?」  優希は鋭い怒りを含んだ強い口調で訊いた。 正輝「いやぁ……。なんと言いますか……。優希さんはご存知ないかもしれませんけどね、あの絵はルイ・スミスが描いた『青の皿』と言いまして、生前のルイがひっそりと描いた『青の作品』と呼ばれる絵画の一つなんです。現代で売れば、約3000万は下らないだろうっていう有名な絵画なんです」  正輝は少し声を潜めると、困ったように、それでいてわずかにしたり顔をしながら言った。  なんだ知ってたのか。 正輝「僕も後々調べたんですけど、こういう絵を手にできたのは何かの縁ですから、大事にしたいなぁなんて思ってまして」  頬を搔きながら、正輝は申し訳なさそうに言った。 優希「そうなの? でも、あんな陰鬱そうな絵、とてもそうは見えないけどなぁ?」  諦めきれずに、優希はとぼけるように訊いた。 正輝「えぇ、確かに深い青が中心となった陰鬱そうな絵で、とても有名画家が描いたようには見えないところはありますけど、それこそが魅力のあるとこなんですよ」  困った顔が微笑む表情に変わり、正輝は言った。そして、一息ついて続ける。 正輝「まぁ、骨董屋の方は見る目がなくて、約15万円でしたけど。調べてみたら有名な絵で、お得な買い物をしたかなって思ってます」  少し嘲笑するように言いながら、正輝は幼子のような微笑みを向けた。 正輝「それに別に、綺麗な絵とはいえど、猫の力までは宿ってないと思いますよ。あの絵、どこか綺麗ですけど、陰鬱さもあって、猫は嫌がるんです」  何かを含んだような微笑みと声に変わると、正輝はゆっくりと言った。  その様子を見て、優希は何も言えないという顔をし、軽く息を吐いた。 優希「猫は嫌がる、有名な絵で売りたくない。じゃあ訊くけどさ、そんなに大事なら、なんで店の中に飾ってるの?」  息を吐いた後、優希は顔をしかめて少し不機嫌そうに訊いた。  正輝は透明な微笑を優希に向けて、少し言いづらそうに、でもどこか嬉々とした様子で口を開いた。   正輝「はい。この絵を飾っておくと、簡単に『ネコ』が集められるものですから」 【終】
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