Angel of Station

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 誠一(せいいち)は都内の工場で働いている。今年の春に大学を卒業して入ったばかりで、まだまだ慣れない事ばかりだが、頑張っている。最近では上司の信頼も得て、充実した毎日だ。もっと頑張って、もっと信頼を得ないと。  誠一は今日の仕事を終えて、駅のほうに向かっていた。今日は金曜日。明日は休みだ。いろいろあったけれど、今週もよく頑張った。今日は仕事帰りに居酒屋で飲もうかな? 今週も頑張った自分へのご褒美として。 「今日も疲れたなー」  誠一は辺りを見渡した。もう夜で、辺りは暗くなっている。秋になり、徐々に朝と夕方が涼しくなってきた。夜も涼しく思え始めた。 「さて、明日は休みだから、飲んでから帰るかー」  誠一は駅の近くにある居酒屋の前にやって来た。今週の仕事が終わると、よくここで飲んでいる。この時間、多くの人が来ている。  誠一は店内に入った。店内には何組かの客がいる。誠一を見ると、すぐに店員がやって来た。 「いらっしゃいませ」 「1名様で」  誠一は人差し指を立てて、1人だと伝えた。 「こちらへどうぞ」  誠一は店員に案内されて、カウンター席にやって来た。カウンター席には、自分の他に中年の男性もいた。中年の男性はかなり飲んでいるようで、酔っ払っている。 「いらっしゃいませ、お飲み物は何になさいますか?」 「生中で」  誠一の晩酌は決まっている。まず1杯目は生中だ。 「かしこまりました。生一丁!」  誠一はあたりを見渡した。ここはどこか懐かしい風景で、心がほっとする。この居酒屋の魅力って、ここにあるんだろうか?  と、すぐに店員が生中を持ってやって来た。注文していた生中ができたようだ。 「お待たせしました、生中です」  誠一はメニュー欄を開けた。つまみはもう決まっている。 「えーっと、冷奴とねぎまお願いします」 「かしこまりました」  店員は厨房に向かった。注文の品を伝えに行ったようだ。それを見て、誠一は生中を飲んだ。そして、少しいい気分になった。 「やっぱ今週の仕事が終わった後の酒は最高!」  誠一はゆっくりとくつろいでいた。明日は休みなんだ。今週の仕事はこれで終わりなんだ。そう思うと、自然に気持ちが楽になる。誠一の飲む量は様々で、飲まない日もあるが、飲む日もある。飲む日はとことん飲む予定だ。  1時間ぐらいゆっくりしていた誠一は、店を出た。そろそろ終電が来る。乗り遅れないと、タクシーで帰る事になってしまう。タクシーは高いからごめんだ。 「さて、帰るか」  誠一は人通りの少なくなった駅前を歩いていた。朝はあれだけ騒がしかったのに、それがまるで嘘のようだ。終電が迫る時の、独特の静けさが漂っている。  誠一は牛尾(うしお)駅のホームにやって来た。牛尾駅は2面2線のホームで、準急の停車駅だ。この辺りを通る電車は、普通、準急の他に、急行、快速急行の他に、特急がある。 「もうすぐ終電か・・・」  誠一は空を見上げた。今日は満月だ。月がとてもきれいだ。思わず見とれてしまう。誠一はほっとした。これから家に帰って、ゆっくりしよう。 「心が落ち着くなー」 「ねぇ」  と、誰かの声がした。誠一は横を見た。そこには羽の生えた女性がいる。その女は戦時中の人のような服装で、名札を付けている。天使だろうか? 「えっ!?」  誠一は驚いた。まさか、天使に会うとは。 「これから帰るの?」 「そうだけど、天使?」  誠一は戸惑いながら、本物の天使なのか問いかけた。まさかここで天使らしき人物に会うなんて、驚いた。 「うん。そうだけど」  やっぱりそうだった。どうして牛尾駅のホームに天使がいるんだろう。ここで死亡事故が起こったんだろうか? それとも、戦時中に牛尾駅で死んだ人だろうか? 「驚いた?」  天使は笑みを浮かべている。初めて出会ったのに、一目惚れするぐらいに可愛い。結婚したいぐらいだ。 「うん。かわいいね」  ほめられて、天使はもっと嬉しくなった。 「みんなには見えないの?」 「うん」  やっぱりみんなには見えていないようだ。周りの人は天使に気が付いていない。 「ここで何をしてるの?」 「私、この駅の戦後をずっと見てきたんだ」  牛尾駅の戦後をずっと見てきたとは。ずいぶん昔からいるんだな。で、天使がいるのに気が付いた人って、どれぐらいいたんだろう。自分が最初だろうか? 「ふーん。そうなんだ」 「私、終戦直後に栄養失調で、この駅で死んじゃったんだ」  その女は昭和の初期に生まれた。兄がいたが、兄は空軍で、太平洋戦争末期には特攻隊になり、沖縄の海に散っていったという。陸軍の父は戦死、母と祖母は東京大空襲で死んだ。自分は十分な食料を与えられないまま、この辺りで暮らしていた。だが終戦直後、この駅で栄養失調で死んでしまった。 「そうなんだ。歴史で知ったんだけど、戦時中とか戦後は食糧が不足してたって」  今では全く想像がつかない。ここ最近、米不足が深刻になってきたが、それ以外の食料は問題なく手に入る。戦時中の事がまるで嘘のようだ。 「うん。そして、この駅の戦後をずっと見てきたんだ。ここって、本当に発展したね。まるで戦争がなかったかのように」  天使は空を見上げた。死んだ時と同じ空が広がっている。だが、街並みはがらりと変わってしまった。人口が増え、乗降客も増え、ホームは長くなった。そして、駅舎も変わってしまった。日本はいろいろと変わってしまった。だけど、空は今日も変わらない。 「そうだね。だけど、戦争があったのは、まぎれもなく事実だ。だからこそ、平和を願わなければならない。そして、普通に今を生きていられる幸せをかみしめなければ生きていかなければいけない」  誠一は思っている。どんなに時代が変わろうと、戦争があったのは紛れもない事実だ。それを伝えていかなければならないのは、今生きている人々の使命だし、これから生まれてくる人々の使命だ。  と、天使は誠一の肩を叩いた。誠一は驚いた。 「いい事言うじゃないの」 「ありがとう」  誠一は褒められて、笑みを浮かべた。今さっき、上司から褒められたのに、今度は天使からも褒められるとは。  と、そこに今日最後の電車がやって来た。そろそろ行かないと。 「あっ、終電が来た。今日はありがとう」 「どういたしまして。また会えるといいな」  誠一はベンチを立ち、電車に乗り込んだ。天使は電車を見ている。電車も移り変わった。茶色の短い電車が走っていたが、今では銀色の長い電車が走っている。こんなに日本は変わってしまった。まるで戦争なんてなかったかのように。 「さようなら」 「さようなら」  誠一を乗せた最終電車は、ゆっくりと牛尾駅を後にした。誠一はベンチに座っている天使を見ている。やがて、牛尾駅は見えなくなった。それを見て、誠一は下を向いた。  突然、誠一は考えた。天使に出会った事で、感じた事がある。 「今日、平和にいられる幸せか・・・」  今日、日本は平和で豊かな日々を送っている。だけど、今日も世界のどこかで戦争が起こっているだろう。こうして平和でいられることが、どれだけ幸せなのか、普通に生活できているのがどんなに幸せなのか、考えなければならない。
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