2000年・馴れ初め

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2000年・馴れ初め

長子は画家だった。 世界各地を旅して風景画を描き、現地やWebサイトで売りさばいた金で生活を送っていた。ま、現代のロマだ。古くはジプシーか。知り合う以前は海外で個展を開くことも数回あったらしく、籍を入れてからは月に一回、ウズベキスタンの大学で特別講師として渡航を重ねていた。 当時、二十四年前の俺は、風が吹けば屋台骨さえ簡単に消し飛んでしまう、極小のブローカーとして糊口(ここう)(しの)いでいて、長子とは商品を買い付けに向かった海外現地で知り合った。ウズベキスタンの寂れた路面店だ。 陽に灼けた微小の砂粒が風に舞っては肌を削る。人間の穴という穴に入り込んでは神経を蝕んでくる。軒を連ねた店先には、艶のない(なにがし)かの爛熟した果物が列を為していて、咽返(むせかえ)すほどの甘い腐乱(ふらん)臭が日を追うごとに衣服に染み付いた。 なんだここは? 真っ当な神経を持った人間なら、回れ右をして空港に直行するのがベストな選択だ。暑くて、臭くて、汚さに充ちた無気力な街。 現地の通行人が狭い通路の真ん中で立ち止まり、胡乱な目つきで空を見上げた。一人が見上げると、まわりも一斉に。子供も老婆も外国人観光客も、俺のようなしがないブローカーも。 そこに神がいるわけでもないだろうに。 ああ、日本から打ち上げ花火の二、三発でも持ってきて、ぶっ放したい。そうしたら気分も上がって活気に満ちるか? バラック屋根のすきまから覗く空に思い描いてみる。七色に輝く花火が爆音と共に鬱屈を吹っ飛ばす。夏まつりのクライマックスのように。士官学校の卒業生が帽子を投げるハットトスのように。王族の即位式のようにだ。 そうしたら面白くなりそうだ。きっと腐乱した果物も美味いはずだ。現地の女の手をひいて踊るのもいいだろう。そうだ。それがいい。音楽を鳴らして。キャンプファイアを焚いて。楽しい! 笑える! あははっ。 しばらく、ぽかん、と上を向いていたら首が痛くなってきた。 俺は何をしにこの国に来たんだろう。 地球の裏側まで足を運んで死にたくなった。深いため息と共に一歩踏み出すと、先ほどまでの無気力な街は、望遠鏡を逆さから覗いたような遠い世界の景色として、異端である俺を拒んでいた。 当て所もなく街を放浪する。すると路肩に植栽されたノーフォークマツの陰で、華美な民族衣装に身を包んだ女が、謎の残る虚空を眺めて物思いに耽っていた。東洋の女だ。 「日本人か? 金になりそうな目ぼしい物を探しているんだが」 彼女は涼しい顔を寄せて日陰で椅子を鳴らした。 「日本人よ。わたしは絵をお金に変えてくれる人をさがしているの」 「金になるなら売ってみせる。任せてくれ」 俺は絵画に関しては素人で、芸術を理解することが出来ない。感性の世界は足し算や引き算ではないらしい。けれども、足し算や引き算の世界で物を売り捌くのが俺の仕事だ。絵画は売れれば一発がある。 共に世界各国を謳歌しながら、お互いの暮らしを温め合うことに、さほど時間は掛からなかった。 三年後、敬一郎が生まれた。
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