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本編1-1
都内私立清見高等学校。
秋口10月の昼下がり、文化祭初日を迎えた校内は来場者や在学生で賑わっていた。
養護教諭の高瀬 智衣は黒のスキニーパンツ、紺色セーター、少し大きめの白衣を翻しながら、自慢の細身を活かして混み合っている1階廊下を抜け、2階の東教室、美術部展示会場に向かった。
智衣「お疲れー」
智衣は片手を挙げて声をかける。
ポニテ「おっつー」
受付担当の黒髪ポニーテールの女子生徒が、スマホから目を離し、少し気だるそうに返した。
ボブ「あれ? 智衣先生、彼氏来ないの?」
隣にいたボブカットの女子生徒が、したり顔になりながら訊いた。
智衣「おいこら。独身女性へ嫌味を言うのはやめろ。そのいじり、クドいっての」
口にして、悲しさを覚えた。歳を重ねたことも悲しいが、心ときめくような出会いが、ちっとも訪れないことも悲しかった。清見高校に来て4年も経つというのに。
ポニテ「いやー。だってさ、28でしょ? そろそろ作った方がいいって」
ポニテがスマホに目を戻して、軽口を叩いた。
智衣「余計なお世話」
悲しく、苦い感情を引きずりながら言葉を返した。
ボブ「好みとかないの? それとも高望みしすぎとか?」
ボブカットが受付机に置いた缶コーラを弄びながら訊いた。
智衣「できれば年下かな。なんかちょっと小動物みたいな子がいい」
素直な好みを口にした。
ポニテ「そんな都合のいい男性はいません」
ボブ「現実見た方がいいよ。28歳」
素直に話したにも関わらず、各々から冷酷な言葉を向けられた。
智衣「やかましいわ」
このくだりも慣れたものだ。お互いの距離が近くなりやすい養護教諭としては、気軽さやフレンドリーな感覚が大切なのだ。
傷つけられ、現実を突きつけられるのは別の話だが。
言葉を返した後、足を進めて会場内に目を向ける。生徒の個人制作の展示が壁に並んでいる。観覧客はそれらの個人制作を鑑賞しながら、目玉となる作品に目を向けていた。
会場内の中心、その位置に部員全員が取り組んだ力作が展示されていた。
ポスター用のロール紙をつなぎ合わせて作ったとても大きな作品だ。
題名は『勇気』。流行となっているRPGゲームをモチーフにしたようで、右半分に深紅色の大型のドラゴンが炎を吹き出し、その炎が中心で爆炎となっている。
左側には体格差を示すように爆炎に立ち向かう勇者と思われる人物が小さく描かれていた。
圧倒的に不利な状況にも関わらず、勇者である彼は武装を固め、一歩も引かずに立ち向かう。流行に乗りつつも、どこかメッセージ性がある。
考えすぎかもしれないが、『すごい』という言葉だけで片付けてしまうのは、ひどく乱暴だ。
加えて、作品自体が細部まで丁寧に色づけられており、生徒たちの努力と気持ちが伝わる。
智衣はしばし、作品に見惚れた。
青年「色の集合体だな……」
その時、消え入るような声が聞こえた。
智衣は声の方へ顔を向ける。
声の主と思われる青年が隣で作品を鑑賞していた。
高校生くらいだろうか。170センチくらいの背に、小さなリュックを背負っている。橙色の肌着にネイビーのジャケット、黒のスキニーパンツは裾を織り込んでいた。
言葉を呟いた後、青年はひどく暗い表情と視線を向けていた。
感性は自由だが、その言葉はあまりにも温もりがない。
言葉が気になった智衣だが、それ以上に青年が持つ暗い雰囲気が気になった。
暗く光のない双眼に、痩せ細った体。纏う暗い雰囲気に合わせて存在がかなり希薄で、肩が震えている。まるで、全てに怯えているかのようだ。
そして、養護教諭の立場でわずかに脳内警報が鳴る。この子は精神が危うい可能性がある。
智衣「ねぇ。ちょっと」
気づいたら声をかけていた。
青年「なんです……?」
青年がこちらに暗く怪訝な表情を向けた。
智衣「えっと……。お茶とかどう? ちょっとお話したいんだ」
無意識で声をかけた自分自身にも驚きながら、なんとか言葉を繋いだ。もっと上手い言い方があったのではないかと後悔しながら、反応を伺う。
案の定、不信感溢れる視線を向けられた。わずかに空気が凍りついた後、青年がゆっくりと口を開いた。
青年「オレ、金ないんですけど」
表情と同じく声も沈んでいた。
智衣「奢るから」
気まずくなって、即座に返した。
とにかく、ここから離れなければ。
智衣「こっち」
同意の有無もなく、智衣は青年の左手を掴んで、早足で会場内を出た。
ポニテ「あれ、ナンパ?」
ボブ「知らね」
スマホを見ながら各々が無関心そうな反応をした。
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