運命の一冊に残された指紋

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「お待たせしました、すみません。清川さんの部屋、ヒトミさんが来た時、鍵がかかっていたそうですね?」 「……それがなにか?」 「それが、いつもは鍵なんてかけないそうなんです。それがちょっと気になると」 「……ああ」  もちろん、鍵は、酒を買ってきた時におれがかけた。  これから人を毒殺しようというのに、無施錠でことに及ぶ馬鹿はいない。  こういう時のコツは、ミステリで慣れている。  さっきと同じだ。ほとんど本当のことを言い、少しだけ嘘をつくことだ。 「それはね、おれが鍵をかけたんです。なにしろ発表前の作品を読ますんですからね、施錠くらいします」 「ははあ、納得しました」 「それはよかった」 「あとですね、ノートパソコンなんですが」 「パソコン?」 「ヒトミさんが部屋に入った時、電源が入ってデスクトップが開いていたそうなんです」 「……それがなにか?」 「清川さん、いつもロックをかけていたそうなんですね。で、彼の死亡時、清川さんは田沼さんの作品を紙で読んでいた。なぜデスクトップ画面が開いていたのでしょう?」 「ああ、それはですね。なにか調べ物をしていたんじゃなかったかな。ミステリって、下調べが執筆の半分みたいなものですから」 「しかしあのパソコン、オフライン専門のようですが」  ……確かに、そんなことを言っていた。 「そうそう、そうでした。おれがあいつに、最近書いたものを見せてくれと言って、開けてもらったんですよ」 「なるほど! どんな作品がありましたか?」 「よく見ていません」 「見ていない? ならなんのために開けたんでしょうか」 「もどかしくなってね、だっておれはおれの作品を読んでもらおうと思って来たんだから」 「うーん、なるほど。ならもとからノートパソコンを開ける意味がない気がしますが、作家さんてそういうものかもしれませんね」  ……なんだ。  なんだ、これは。  もしやおれは、疑われているのか? 「ところで失礼ながら、田沼さん。その原稿は本当に田沼さんのものですか?」  心臓が止まるかと思った。  しかし、なに食わぬ顔で答える。 「もちろんです」 「いえね、実は、ヒトミさんからの情報なんですが、このところ清川さん、食事に誘っても全然乗って来なかったんですって。それは大抵、なにか作品を書いていて、その執筆が佳境に入った時だということなんですよ」 「……へえ。それじゃなんですか、警察は、おれが清川を殺して、作品を横取りしたと」 「とんでもないとんでもない! ただ、こういうことをしらみつぶしにするのが捜査ってものなんです。たとえば、清川さんはなんでこのタイミングで亡くなったんでしょう?」 「……というと?」 「いくらショックを受けても、その作者の方の前で毒をあおるというのは」 「腹いせでしょう。目の前で死んでやると。人間の心理として、不思議でもなんでもないのでは」 「でもねえ、助けられちゃうかもしれないじゃないですか」 「は?」 「喉に指突っ込んでその場で毒を吐かされたら、田沼さんに命を救われることになるわけで。心理というなら、才能に打ちのめされた人ならそのほうが屈辱なんじゃないでしょうか?」  この野郎。ああ言えばこう言うな。
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