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シエリは少年の目隠しを解き、頬に張り付いた青みがかった髪を払う。触れた少年の頬から感じる体温に、シエリは少しだけ安堵した。が、同時にその命が今にも途絶えそうな危うさを感じ取っていた。早く冷たく硬い棺から出してやりたいが、今のシエリにはとてもそんな力は残っていない。
シエリは少年の手を握ると、残りの力を注ぐように治癒音を施した。 シエリは疲れ果てながらも、イリアーテから目を離さなかった。彼はまだ意識を取り戻していない。だが、かすかな呼吸音が聞こえるたびに、シエリは希望を感じた。
イリアーテが目覚めたとき、そこには赤銅の美しい人魚がいた。握られた手は温かく、滑らかな肌と水掻きの感触にほんの少し驚いた。洞窟内は、海底にしては穏やかな空間で、発光植物や蛍光を放つ鉱石が岩場に点在していた。そのかすかな光が、イリアーテの目には刺すように眩しく感じられた。青白い光が彼らの周囲を淡く照らし出し、洞窟内の静寂な空気と相まって不思議な安らぎを与える。蛍光を放つ鉱石や、岩場の隙間に息づく発光する生物が、海底の暗闇の中で生命の灯火をともすように輝いていた。
イリアーテはシエリと名乗る人魚の姿を見つめた。水を吸った赤銅色の鮮やかな髪を背に張り付かせ、同色の瞳をイリアーテに向けて微笑む。
「起きたか。今は無理に話さなくていい。大丈夫だ」
シエリの瞳には強い意思と慈愛が宿っている。だが、イリアーテはそんなシエリに対し、まだ不審が拭えなかった。
「……なんで助けたの?」
「お前が、まだちゃんと生きてたから」
シエリの答えは、イリアーテを納得させるものではなかった。しかし、少なくとも絶望させるものでもなかった。ただ、シエリにとっては揺るぎない理由なのだろうと、それだけは感じ取れた。
だからだろうか。イリアーテは握られた手を振り払う気にはなれなかった。顔を伏せたまま、己の手を握る白く美しい手をじっと見つめていた。
イリアーテが再び眠りにつくと、シエリはその呼吸が穏やかであることを確認してから行動に移した。
少年を陸に戻す。シエリはそう約束したが、いざ彼の足を目にしたシエリは現状が一筋縄ではいかないことを理解した。あの姿では例え陸へ送り出したとしてまともな生き方はできない。ならば、どうすべきか。シエリは人魚に様々な情報と技術をもたらす存在、魔女ハディーゼを頼ることにした。ただし、人魚の間で囁かれている魔女ハディーゼの噂はあまりいいものではない。彼女との取引は等価交換が原則。少年の足をもとに戻すには、同等の対価を支払わなくてはならない。シエリは考えるも恐ろしいその代償を覚悟し、一人彼女の住処へ向かった。
シエリにとって少年は全くの見ず知らずであり義理もない相手だ。しかし、助けると言った。陸に返してやると、大丈夫だと。ならば、その言葉には責任がある。それに、噂は噂だ。シエリにはもしかしたら、という淡い期待もあった。
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