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危険
チャイムが鳴って、皆が席につき始める。
一分前行動ができるほど、ここの生徒は真面目ではない。
教師が教卓の前に立つ。
生徒、隣の席の生徒がいないことに気づいてあたりを見回す。
教師 あれ、赤坂くんは?
ずっと名簿に視線を注いでいた教師もそれに気づいたようだ。
生徒 いや、居ないんですよ。
教師 朝は?学校には居た?
生徒 はい、さっきまでは……。
教師 おかしいな……。誰か体調不良とか、聞い
てない?
教師は生徒たちに尋ねる。
しかしこれといって申し出はなく、トイレじゃね?とか帰った?なんて無責任な言葉が飛び交うのみであった。
生徒 俺、トイレ見てきましょうか?
教師 ……いいの?じゃあ頼むわ。
生徒 はい。
生徒、教室を出る。
教師 それじゃ始めようかー……。
日直 起立!礼!
一同 お願いしまーす。
生徒は歩いていた。
このクラス……二年三組の教室は廊下の端っこにあり、すぐ後ろがトイレになっている。
そのトイレの前にしゃがんでいる人影を見て、生徒は固まった。
生徒 赤坂……?
壁にもたれて、うつむくのは赤坂で間違いないのだが、床に落ちた、彼がいつもつけているマスクは耳紐まで赤黒い血に染まっている。手と顔も血まみれだ。
生徒は赤坂に駆け寄る。
胸元に耳を近づけ、息をしていることを確認してからその場を去った。
生徒 先生!!来てください!!
生徒の緊迫した声が、気だるい教室の空気を切り裂く。
教師 どうしたの。
生徒 とにかく来て!!
教師 ええ、でm
生徒 早く!!
教師は生徒に手を引かれて出ていく。
そのまま、赤坂のいるところまで行く。その衝撃的な姿に、やはり固まってしまった。
教師 赤坂君?!大丈夫……じゃないよな……。
息はしてる。脈も……(脈をとる)うん、失
神だね。
教師は冷静に赤坂の様子を分析して、
教師 おーい、起きれる?起きてる?
と赤坂に声をかける。
赤坂はというと、まったく反応しない。麻酔で深い眠りについているかのようだ。しかし、この出血と血なまぐさい臭いがその異様さを演出している。
教師、生徒に向き直り、
教師 先生……他の先生を呼んできてくれ。保健
室に運ぶから、担架も頼んで。
生徒 はい。
そしてまた、赤坂を呼ぶ。
教師が赤坂の肩を掴んだときだった。
赤坂 あああああっ゛!!
赤坂が突然絶叫して逃げたしたのだ。まるで天敵に食われそうになったうさぎのように、手足をバタバタとさせて、走るのだ。
教室がざわつき始める。
生徒 赤坂?!ええ、おおお!!
赤坂は数メートル壁にぶつかりながら走ったあと、異変を感じた生徒によって止められた。
ただこの時、両腕でガシッと掴んでしまったのが悪手だったようだ。
赤坂 うあ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あっ!!!!
赤坂はパニックや癇癪などという既知の言葉では到底表せないような暴れようで、ふだん仲良くしている生徒をも傷つけながら逃げようとする。
生徒 赤坂!どうしたんだよ!!どうしち
まったんだよ!!
赤坂にはもう周りが見えていない。
すると赤坂の肘が生徒の顎に当たった。生徒は手を離し、顔を歪ませた。
赤坂は声をもう忘れていた。唸りを上げながら、教室の壁際に張り付いてこちらにやって来る教師を睨む。
四軒家 どうしたの……、……わぁぁ……。
その時、隣の教室で授業をしていた男性教師の四軒家が教室を覗いてその足で状況を悟る。
教師 四軒家先生、そこをガードしておいて
ください。俺はコイツを捕まえます。
四軒家 いやいや、だめだよ。俺に任せな。
四軒家 赤坂、わかるか?
四軒家は捕獲しようとする教師をなだめ、赤坂に問いかける。
赤坂 ゔゔぅ……。
赤坂はなおも変わらない。
四軒家 赤坂、大丈夫や、変わらんよ!
赤坂が走り出した。トイレのさらに向こうは土間になっていて、そこから外に出られる。四軒家と教師、生徒は互いに目も合わせずただ赤坂を追いかけて消えていった。
赤坂は外に出て、どっと疲れを感じていた。いつも起こしてしまうパニックとは明らかに違う、心の根っこに染みるような、まったく記憶にはないのにまるで経験したかのような辛い感情が心に巣食っている。
赤坂 ……。
あがっていた息が整ってくる。
赤坂は外壁にもたれて座った。
秋の日差しはうっすらかかる雲によって程よくやわらいで、ほんの昨日までの平熱の日々を思い出させるようにゆるやかな入射で注ぐ。
それはただでさえ疲れた身体を休めようとするに足りる温かさだった。
目を閉じる。頭がまどろむ感覚。その感覚が、心に染みた血を乾かしてくれた。
生徒 ……あ!
しばらく経って、生徒は赤坂の姿を見つけた。最初トイレの前で見つけたときと、奇しくもおなじ格好で寝ている。あの時よりは表情が穏やかな気もするがまだ手も顔も血まみれだし、なによりさっきのあれが軽くトラウマ。
むしろ生徒のほうが不審者みたいな挙動で赤坂に近づく。
息はしていた。おそらく眠っているのだろう。
ここは校舎の南側の中庭。秋の晴れ間、適度に乾いた暖かい気候。南向きで壁の白い校舎に囲まれた中庭はまるでジブリ映画のようにきれいだった。
生徒は赤坂の前にしゃがむ。
生徒 どーしちまったんだよぉ……。
頭を撫でようとして手を止める。なんとなく、触れなかった。
教師 あ!!赤坂くん!!
四軒家 おお、おったか!!
すると先生たちが騒がしく走ってきた。
この気温でも汗ばむほどの日差しが揺れる。
教師は赤坂に駆け寄りしゃがむと、肩に触れた。
赤坂 ん……?
赤坂は目を覚まし、顔を上げる。顔についた血が乾いてパラパラと落ちてきていた。
赤坂 せんせぇ。
麻酔がまだ切れていないみたいに、語尾を濁し蕩けた喋り方をする。
教師 大丈夫か?なにがあった?
このあと何を尋ねても、同じことしか言わなかったのは彼の最後の謎である。
赤坂 おぼえてません。けど……かなしぃ気
持ちだった……、
【2】
暗転(※)。
あのあと赤坂は保健室に連れられた。本人がまるで痛がりもしないので気づかなかったのだが、彼は頬の内側と舌の一部を自ら噛み切っていた。あの大量の血はそれだったのだ。
教師 でも結局、本人もよくわからないみた
いだしね。
生徒 そうですか……。
教師 君は何かしらないのか?
生徒 いえ何も……。ただ……。
教師 ただ?
生徒 あのときの赤坂は、絶対に何かが乗り
移ってましたよ。先生のことじゃなく、
人間という生物を怖がってた。
なにか腑に落ちない。
あのときの赤坂のようすは異常だった。まるで獣みたいに血走った目で、唾液も涙も垂れ流しで逃げ惑っていた。
生徒 俺、昔この辺りにイノシシが出た時に
イノシシと出くわしたことがあるんで
す。その時のイノシシの、なんだろうこ
う……。怖いから立ち向かうみたいな、獣
の目……同じ目をしていました。
しかし本人すらわからないことをわかるすべはなく、このもやもやは消えることを知らなかった。
明転。
生徒は検査入院で三日間入院することになった赤坂のもとを訪れる。
赤坂 あ、おはよ。
生徒 おう。
赤坂はニタニタと笑う。
生徒 ……。
赤坂 フフフ、アハハ、アッハハハ!
生徒 ……。
赤坂 簡単に引っかかってくれて助かった
よ〜。やっぱりあの人最高だわ!!
赤坂は棚から茶封筒と古いノートを取り出す。
赤坂 弟の形見だっけ?そんなノートに殺した
後悔なんか書いて、なんで形見まで汚せ
るかなあ。
そのままノートと封筒を渡す。封筒は結構重いようだ。
赤坂 何、その顔。手間賃っていうより、謝礼
だからね。そのお金でまたノートでも買
えば。
生徒 ……兄さんは絶対、おまえのことなんか愛
さない。
赤坂 だから何?愛なんて盲信だよ。
赤坂、立ち上がる。
赤坂 愛させれば勝ち。
生徒 ……!
生徒、気味悪そうに出ていく。
入れ替わりで教師が入ってくる。
教師 大丈夫か?
赤坂 せんせぇ!もー口の中痛すぎ!!
教師 ハハハ。お前が噛み切ったんだろ。血
の量やばかったぞ?
赤坂 覚えてないっつーの。
二人、笑う。
教師 ま、学校は気が向いたら来いよな。
赤坂 先生には会いたいので保健室登校しまー
す!
教師 いや来れるやろー!
二人、大爆笑。
教師 じゃあ仕事あるから行くわ。
赤坂 え途中で寄ってくれたの?
教師 おう。今から教員研修。
赤坂 えお疲れ様〜。
教師、去る。
扉が閉まり、足音が消えてから、赤坂はずっと布団の下に隠していた左手を口元にやる。左の薬指には、赤い糸が巻かれている。
赤坂 (どことなく嬉しそうに)ああ……痛って
ぇ。怪我の功名だわ。でもこれで先生は
僕を見てくれる……!
赤坂、腹を抱える。
赤坂 先生……。愛してます。
暗転。
End
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