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第三話【平穏な日の黄金色の昼下がり】
小さな喫茶店だ。
丸いテーブルが四つだけ。ドレスのお嬢さんが気楽に歩けるようにと通路は割と広めに造られている。全体的に華やかで暖かい色彩を多用しており、まるでお花畑みたいでいかにも少女趣味な装飾に満ちていた。ちなみに各席には乙女の秘密を守る為にと遮音の術式が仕込まれている。
入口から最も離れた位置にある四番テーブルには三人の奇妙な人物が座っていた。一番背の高い男は道化師めいた服を着てシルクハットを目深に被っている。子供にも思われる小柄な人物は長すぎるツインテールの髪を目隠しとし、ついでに首にマフラーの如く巻き付けていた。最早毛布だろうってくらい厚いローブを着た糸目の人物は口元を黒い布で隠している。
「善い報せと悪い報せがあります」
帽子の男が喜悦でトーンを高めた声を発する。
「忌まわしき黒蝕の魔王が斃されて邪魔な眷属達も消失しました。しかし討伐任務に参加した由緒正しき聖騎士と魔術師が戦死し、無事に帰還したのは卑しき平民勇者と気狂いの公爵令嬢の二人だけです。国民への発表をどうしたものか上層部は頭を悩ませていますよ」
「もひとつありますやろ?昨夜から既に噂は酔歩して教会の方にまで拡がっとる……下手に勿体ぶんなや。寒いねん」
帽子男が失笑で締め括ると、糸目の人物が冷めた声を発した。
「ギルドにも漏れとるぞ。大分盛られたような話ぢゃがのう」
ツインテールの人物は渋い声で老獪に笑う。
「お二人共ご存知とは、ふふっ……失礼しました。では酩酊者の妄想じみた酔い報せについてもお話しましょう」
豹変した悪徳令嬢の狂演について帽子の男が話し始め、児戯のような秘密の会合が本格的に始まる。
カウンターで微睡む特筆不能の店主は三日月の笑みを浮かべた。
「……ここに入るのか?」
ちょっと嫌そうにする剣士を無視して天使が扉を開けたのは【黄金の昼下がり】という名の喫茶店。白いプレートには金色の文字で『お入りなさい夢の子よ』と書いてあった。絵本から抜け出たみたいに可愛らしくも不可思議な外観は童女が好むような代物で、大人ぶったルーナなら幼少期であれ興味を示すような店ではなかった。
「糖分を摂取できるようだし、酔っ払いやむさ苦しい男とは無縁そうだからね。座ってゆっくり話すのが目的なんだ。周りが五月蝿くて気が散るなんてことは避けたい」
振り向いた蒼い瞳には悪戯っぽい好奇心。小さく飛び跳ねるように境界線を跨いで、白いドレスは吸い込まれるように内側へ。躊躇う青年も少女の手に引かれて店の中。
耳障りの良い鈴の音を伴って扉が閉まる。外側ではプレートの金文字が『ただいま貸し切り』へと早変わりした。
「……座ろうか」
入店してすぐ、奥のテーブルで異様な雰囲気を醸し出す三人を一瞥した天使の微笑は固まった。さっと目を逸らし入口に近い窓際の席に座る。アーノルドも奇天烈な三人組に気付いて瞠目しつつ少女の向かいの席に腰を下ろす。凍えるような畏怖を覚えた顔をして、青年がやや前のめりになり小声を発する。
「不味いぞ。あの人達は」
「お前の気持ちは解るけど、あれも多様性というものだ。目の保養にはならないが無害なら無視しておこう。単なる背景とでも思えばいい」
「いや違」
「アーノルドくん」
若干の圧が込められた声調に青年は口を噤んだ。
「そこのメニュー表を取ってくれる?今日はまだ何も食べてないでしょ?先ずは適当に脳を満たそう」
「……そうだな」
腹じゃないのかと思ったアーノルドだが、素直に頷いてメニュー表を手にした。どうにも天使は不機嫌な様子だ。あの三人の素性には触れない方が寧ろ穏便に済むかもしれない。青年は背中に突き刺さるような視線を感じながらも努めて平静を装う。
噂に聞く程度で実物を見るのは初だが、あれだけ特徴的だと一目瞭然だ。糸目の酷薄そうな奇人はレヴィン・クライネル、アイテル教会の司祭にして陰の処刑人。独特なツインテールの怪人はコヤン・ダーコスタ、魔術師ギルドの副総帥且つ統括ギルド幹部。教会とギルドは仲が良いわけでもないのだが、何故こんな女の子向けの店に集っているのか理解不能だ。
そして千匹の魔物の皮から作ったという衣服と帽子を身に付けている人物こそルサード・シャイナス。第七階梯の賢者でありながら戦闘狂と呼ばれる変態的人物は、互いに嫌い合っていて交流が断絶しているもののルーナの実の兄である。目の前の少女はそうと知っていて無視してるのかとも思ったが、挿絵付きのメニューを食い入るように見つめる姿は無邪気にして無防備。
「うーん。どれも気になるし選ぶの面倒だから、全品頼んでしまおうか」
天使のような無垢な笑顔でとんでもないことを言い出すから流石に黙っていられなかった。
「残して無駄にしては店主に申し訳ないだろう。食べ切れる量にしないと」
「じゃあ一緒に考えて選んでくれる?」
「……君が望むならそうしよう」
二人でメニュー表を覗き込む。そうして甘味に疎いアーノルドは大いに頭を悩ませる羽目になった。
「マスター?注文よろしいでしょうか?」
「ハーイ」
涼やかな声と共に片手を上げた帽子の男に、店主は巫山戯た調子で応えた。カウンターから姿が消えた次の瞬間、特徴のない店主が帽子の男の傍らに姿を現す。奇怪な三人組は特に驚かない。傍目には不審な店主だが昔馴染みとなれば見慣れた挙動といつもの態度でしかない。
「この僕が貸し切りにしたというのに何故あの子達を招き入れたのか、納得のいく説明を頂けます?」
「あれれー?気付いていないんですか?それとも帽子のせいで見えてないんですかね?」
「シャルボネ。僕が求めているのは質問ではなく説明ですよ」
あくまでも柔和な表情を貼り付けた帽子の男に対し、店主は三日月の笑みを深めて一番テーブルを密かに指差す。三人組の視線が純白のドレスを纏う少女の、メニューを注視する天使の美貌に向けられた。眩しい光に晒された猫みたいに店主の瞳孔が細くなる。
「あちらの女の子は今話題の悪徳令嬢ルーナ・シャイナスです。ルサード、貴方の妹でしょう?」
その名を聞いた途端、帽子の男の顔色が変わった。
「あの子がルーナですって?僕の妹があんなに可愛いわけがありませんし、こんな子供騙しの店に来る筈もないですよ」
「しかし白銀の頭髪と天色の瞳という身体的特徴は色合いまで完全に一致ぢゃな。よく見れば顔立ちも似とるわ」
硬い声で即座に否定したルサードと少女を見比べ、ツインテールのコヤンは面白がるような声で指摘した。
「せやったら一緒にいる小僧は例の平民勇者やな」
ふと気付いたように糸目のレヴィンが呟く。
「男の趣味に合わせてイメチェンしたんちゃう?」
「は?僕や父の命令に逆らい続けた愚妹が、孤高にして冷酷な氷の悪徳令嬢が……平民剣士の色には易々染まったとでも言うのですか?」
「単なる憶測やろが。殺気立つなやボケ」
ルサードが物騒な魔力を溢れさせる前にレヴィンが軽く頭を叩いた。コヤンはくすくすと笑う。
「じゃじゃ馬な妹を自分好みに塗り替えたのが他所の男だと想うと我慢ならんか。解らんでもないが店内を荒らすのはいかんぞ。出禁にされては困るからのう」
「皆さん先ずは落ち着いて様子を探るとよろしいかと。紅茶はいかがです?長居しても怪しまれぬよう食べ物も頼んでみては?」
店主はルサードにメニューを差し出す。不機嫌な男は帽子を更に深く被って受け取りを拒否し、目もくれずに注文を口にする。
「では紅茶を三人分お願いします。それと金はいくらでも出すので、作るのにも食べるのにも時間がかかる一品を適当に用意してください」
「かしこまりました」
予め知っていたように店主はメモも取らない。カウンターに戻ると自身は紅茶を淹れる準備をしつつ厨房に向かって小さく声を掛けた。
「ウィーディングケーキを一つ」
「ウェディングケーキの間違いではないのか?」
「これが正しいみたい。草木が伐採された不毛地帯をイメージしたケーキらしいね」
「白砂糖の砂漠にブラックチョコレートの家、いや城か?もしかして北の果て……魔王の領域を模しているのでは」
「言われてみれば似ているかもね。だとしたら、どうして二段構成でこんなに大きいんだろう?中に何か仕込んでいるのかな」
「或いはこの世界の未来の姿かもしれない。パンケーキ状の星を覆う灰燼と、巨大な墓標じみた文明の名残……なんてな」
「あはは。お前にしては中々面白いこと言うじゃないか。悲観的と言うべきか現実的と言うべきか」
メニュー表の最後のページを見ながら二人が話し合っていた。少女は値段や大きさに注目し、店内をちらりと見て計算する。
「ねえ、やけに高価だと思ったらとんでもない大きさだよ。直径はテーブルにぎりぎり乗るくらいで、高さは天井にぎりぎり届かない程度。一人で頼んだら正気を疑われちゃうね」
「パーティーで大人数に振る舞うものだろうな。ケーキが気になるなら前のページにあったコレはどうだ?食べ切れない分は俺に任せるといい」
「それは有り難い。お言葉に甘えるよ」
なんて喋りながら知らず和気藹々な雰囲気となっている二人は奥のテーブルの三人組など忘れかけていた。というのも殺気立ったルサードの魔力を隠す為に店主シャルボネが軽い認識阻害魔法を四番テーブルに発動したからでもあるのだが。
メニュー表を閉じ、天使が顔を上げる。四番テーブルに紅茶を運び終えた店主はカウンターに佇んでいたが、ふと一番テーブルを振り向いた。蒼い眼差しと無色の双眸が交わる。個性のない店主はゆっくりと立ち上がり、可憐な少女に姿勢を正して歩み寄る。
接客用の笑みを愛想笑いが迎える。
「御注文は決まりましたか?天使のようなお嬢様」
「はい。来てくれて助かりましたわ。呼ぶ手間が省けました」
天使は甘ったるい声とお嬢様口調で公爵令嬢を騙る。
「森の中の少女パフェと魔女の家のパンケーキ、赤い女王のタルトを一つずつお願いします」
「お飲み物はどうしますか?」
「紅茶、と……私はこのハーブティーにしますわ」
無意味にメモをしながら尋ねた店主へ、少女はページを開いて人差し指で示してみせる。
「かしこまりました」
嫌味のない笑みを浮かべてみせて店主はカウンターに戻る。天使の微笑が青年に向けられ、蒼い瞳がふと翳る。
「さて、ここから先は退屈な情報開示の時間だけど……解り切ったことを他者に伝えるという作業は実に億劫だなあ。嗚呼ほんと面倒臭い」
気怠げな調子の少女に青年が遠慮がちに言う。
「その話だが、君が嫌なら説明は要らない。魔力無しと呼ばれるのは慣れたし魔法なんて今更使いたいとも思わないからな」
「いやいや、無知の蓋を開けたからには放置しておけないよ。何より悪巫山戯や冗談なんて受け取られたままじゃ僕の気が済ま」
気配を察知して少女が口を噤む。店主がお茶と、夜空の色をした皿を持って来た。
「失礼します。紅茶とハーブティーをお持ちしました。こちらの砂糖菓子は当店を選んでくれたお嬢様へのサービスです」
皿には砂糖で作られた菓子が七つ乗っている。赤青黄緑紫橙と白色、宝石のような結晶は不思議な透明感があった。
「あら、気が利きますのね。有り難く頂きますわ」
店主の背中を見送りながら少女は熱々のハーブティーを平然と一口飲み下す。カップを置くと綺麗な砂糖菓子を愉快そうに眺めながら唇を開いた。
「うん、先ずは人間側の認識について確認しようか。お前はルーナの従僕として学園生活も共にしていたんだろう?魔法とか魔力の仕組みについてはどれくらい知ってる?」
「授業には同席できなかったし魔法なんかどうせ使えないんだ。魔力とは魔素を操る力のことで、魔力によって人為的に引き起こされる現象を魔法という……なんて基礎しか覚えていない」
「ルーナの記憶にある基礎知識とも合致するね。そして人間は魔法を七つの属性に分類している。昔は魔力の色で赤魔法とか白魔法とか呼ばれたりもしてたけど現代は違うようだ」
少女の細い指先が砂糖の結晶を順番に小突いて動かしていく。
「赤は火属性、青は水属性。黄色は風で緑は土と、この四つが一般的で使い手も多い」
赤青黄緑の砂糖菓子が皿の上に四角を描く。
「特異的なのが紫の減退と橙の増進、そして白の聖属性」
紫と橙を動かして白を頂点にした三角形を作る。
「……減退と増進の二属性は現代では喪失魔法と呼ばれている。おそらく聖王国内には使い手がいない。魔王城で初めて見た時は驚いた」
「そうなの?じゃあ紫と橙はもういいや……アーノルドくん、ちょいと目を閉じて口を開けてくれるかな?」
「……こうか」
指示に従った青年の口に少女は砂糖菓子を一つ放り込む。
「お利口さん。では味わってどの色か当ててごらん」
言われるがまま口腔内で砂糖の結晶を咀嚼する。ほっとするような甘味が舌の上に広がっていく。嚥下して、アーノルドは首を傾げた。どちらかなんて判別できない。二択だからと当てずっぽうに答えた。
「橙」
「不正解。皿の上を見て」
「……引っ掛け問題か」
皿の上から消えたのは純白の砂糖菓子だった。
「ではもう一度。次はちゃんと紫か橙かどちらを入れるから食べてちょうだい」
「わかった」
命じられた青年は再び餌を待つ小鳥のように口を開く。二つ目の砂糖菓子が甘く溶けていくが、一つ目との違いはないように感じられた。
「どっちだと思う?」
「紫」
「正解。目を開けていいよ」
何となくで答えた青年が目を開けると、天使が橙色の砂糖菓子を摘み上げていた。
「味に違いはあったかい?」
「……ないと思う」
味覚音痴なんて言われそう、なんて懸念を抱いたがアーノルドは率直な感想を口にした。
「それも正しい答えだね」
桜色の唇が砂糖菓子を咥える。少女は薄い口唇で感触を楽しむようにしてから、青年の見ている前で橙色の結晶を小さな口に迎え入れた。遊ぶように頬の内側で転がしてから何度か噛み締める。こくりと喉を鳴らして嚥下する様が少し色気を帯びて見えた。
「どの色の砂糖菓子も味は同じなんだよ。人の手で着色されてるだけでその本質は変わらない。属性なんて枠組みは邪魔でしかないし、分類なんて無意味で怠いだけ」
少女の手が備え付けの食器入れに伸びて、銀色のフォークを取り出す。雑に黄色と緑の砂糖菓子を刺し貫いていく。二つまとめて食べてから、天使は意地悪く微笑んだ。
「ここまで話した内容は全て無駄話さ。人間に都合良く捏造された意味なんて忘れてしまえ」
赤と青の砂糖菓子も同様にフォークで刺して、食べようとした少女の手が止まる。怪訝そうに眺めていたアーノルドにフォークの先端が向く。蒼の瞳が悪戯を思いついた子供みたいに煌めいた。
「はい、あーん」
無機質な天使の微笑みに促されて青年は二つの結晶を頬張る。血の赤と空の青、なんて想っても口にしたら同じく甘いだけだった。
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