第一話【勇者は魔王と心臓で繋がれる】

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第一話【勇者は魔王と心臓で繋がれる】

北方を広く支配圏として勢力を拡大している聖王国アタラクシアにとって、黒蝕(こくしょく)の魔王アレイストはまさに目の上の瘤だった。 魔族同士の衝突を避けて均衡を保つため、現在この世に君臨する四体の魔王は東西南北に分かれて活動している。人類に対し好戦的な南の魔王、侵紅(しんく)のジアホートス。全ての種の融和を目論む東の魔王、碧懐(へきかい)のウルティス。不規則且つ無秩序に破壊を生み出す西の魔王、白実夢(はくじつむ)ファリアネン。北の魔王である黒蝕のアレイストは他三体に比べれば怠惰とも呼べる消極的な穏健派だが、悪戯に生み出す眷属が厄介にして悪夢的に過ぎた。主に支配する魔族は屍食鬼(グール)戯死体(リッチ)屍食鬼(グール)は前傾した二足歩行の人に似た姿だが、鋭い牙と爪を有しており魔犬のように吼える。食糧とするのは人間や動物の死骸及び排泄物。生きた人間を襲うことはないが、敵意を向ければ手痛い反撃を食らう。腐敗を好んで取り込む墓荒らしの常習犯にして、周囲に不快を撒き散らす悪食の鬼。 戯死体(リッチ)は更に醜悪で不愉快な存在だった。権威ある人族が長年羨んできた不老不死を体現する魔物は、一見すれば人間と同様の外観なのに出鱈目な構造をしていた。知能は幼児並みで戦闘力は皆無に等しいのだが再生能力がとにかく驚異的にして脅威。有機質も無機質も関係なしに肉体を構成する要素とするため破壊してもすぐに修復されてしまう。八つ裂きにしても頭を潰しても関係なし。泥を肉に石を骨に置換して治癒する節操のなさと、時には他人の臓物を自分のものにして生き延びる意地汚さ。刺激しなければ飯事のような活動を繰り返す無害な魔物だが、その歪な在り方は人間に強烈な厭悪をもたらす。 聖王タリス三世は魔王の殲滅を企てていた。 長きにわたり聖王国は魔王アレイストの存在に頭を悩ませていた。魔法大国として華々しく繁栄するアタラクシアにとって、禍々しき魔王の支配域が近接し不定期に被害を受けている事実は耐え難い屈辱だったからだ。 若き天才剣士アーノルド・レナーリオンが平民出身で初の第六階梯に到達した時、タリス三世は勇者による魔王退治のシナリオを作り上げた。第五階梯の聖騎士ノーゲンと同じく第五階梯の魔術師ラニラ、加えて第四階梯の治癒士としてシャイナス公爵家が持て余す令嬢ルーナを選抜。勇者アーノルド・レナーリオンを筆頭としたパーティを結成し、魔王アレイストの討伐を命じた。 北の果てに近い場所、極小規模の砂漠地帯。 白砂の海上に聳える黒瑪瑙の城で魔王アレイストは微睡み続けている。 勇者一行は黒の支配域に散在する屍食鬼(グール)も、ごっこ遊びの集落を形成する戯死体(リッチ)も極力無視してひたすら根城を目指した。拠点を防衛するのは人間をモデルにした多種多様な魔王の分体。例を挙げるなら上半身が魚の魚人や下半身が蛇の人蛇、それを悪趣味にアレンジした化け物だった。何の意図があるのか裏返したみたいに剥き出しの粘膜や臓腑、出鱈目な位置にある感覚器官、頭や腕や足の数もてんでばらばら。腐った血を撒き散らし濁った膿汁を纏いながら這い寄る魔族は戦闘力は低いものの、とにかく見た目の癖が強過ぎて女性陣のルーナとラニラは初見で吐いた。 臓物や肉腫を捏ねて形成したような異貌の魔物達をアーノルドの剣が容易く斬り捨て、光魔法を付与したノーゲンの聖槍が貫く。後衛のラニラは四属性の魔法で援護し、ルーナは創傷の治癒と魔力供給を担う。嫌がらせのように長い螺旋階段を駆け抜けて、広々とした最上階に辿り着いた四人が目にしたのは世にも冒涜的な竜の異形だった。 魔王の本体と思われる黒い竜の大きさは精々三メートル程度。鱗替わりに体表を覆うのは異常増殖した人の爪、穴だらけで意味をなさない翼は雑に継ぎ接ぎされた老若男女の面の皮。三つの首に目の代わりとして嵌め込まれているのは六個の宝玉、眼球は半開きの口腔の中に敷き詰められている。角に見えるのは魔術師が用いる杖だし、鋭利な爪と牙は比喩ではなく剣や槍でできていた。肉は爛れた腫瘍じみて腐敗の悪臭を放ち、床を踏みしめる四本の脚は半ばから大小入り混じる触手に変じて何本あるのか数えられない。いかにも悪夢の眷属を生み出す母体に相応しい狂った造形だ。 「……まさかコイツが、黒蝕の魔王アレイスト?」 聖騎士ノーゲンが呆然と呟く。直後、四人分の気配と動揺に反応して竜が起動した。地獄から響くような悍ましい咆哮と同時に頭部の宝玉が発光、赤青黄緑紫橙と六色の輝きから魔力が溢れる。六つの魔法陣が同時展開、悪竜は攻撃体勢をとる。 「この魔力量はマジでヤバいわ。ウチじゃ防げない。ルーナの協力があっても無理」 特大の防御魔法を紡ぎ始めるラニラだが、紺色の髪は汗で頬に張り付き顔は引き攣っている。魔術師の肩に手を乗せて魔力支援するルーナも青ざめていた。光を纏う聖槍を油断なく構えながら赤髪の聖騎士の表情も緊張と畏れに固まる。 アーノルドが一歩前に進み出た。紫苑の瞳には鋼の如き覚悟。常識外れの魔物を前にして天才と呼ばれた剣士の心は静かに凪いでいた。 「俺が注意を引く。ノーゲンは二人を守りながら、逃げてくれ」 剣士が駆け出すと同時に竜が二つの首を振った。渦巻く火焔と数多の氷の礫が前方から侵入者に襲い掛かる。上からは斬首刑の風刃が、下からは串刺し刑の岩槍が現れて咎人の命を絶とうとする。アーノルドが腕を振り抜く。魔を断つ剣が疾走し四属性の魔法攻撃を切り裂いて散らした。無効化されるなり竜は新たに同様の攻撃を繰り出すが、難なく斬り捨てながら剣士が距離を詰める。竜の周りの空気には毒々しい瘴気が混じり、魔力による干渉を阻む結界も生成されていた。それさえも勇者の剣は断ち切っていく。魔法だけでは仕留められないと悟った魔竜は剣や槍から成る前脚を持ち上げる。刀剣を内包する無数の触手が弾けた。剣先は標的に到達する直前で更に何十何百と分岐する。全方位からの連撃が開始され、捌き切れない猛攻で勇者の体が刻まれ鮮血に塗れる。物量に押され防戦一方になった剣士は後退しつつ、秘めていたもう一振の刀を抜く。右手に持つ祓魔の剣は国からの借り物であり真の名を教えられていない。左手で新たに抜いた小太刀は恩師の形見だった。 「君の名を解き放つ」 その妖刀は持ち主の生命力を啜り今際の際を彩るように咲き誇る。己より強い相手を前にして何かを守るために抜くことでしか解放されない異能の刀。魔王相手なら存分に機能すると確信して勇者は小太刀を回転、己の腹に突き刺す。鮮やかな血を啜り上げ、熱い温度をも吸収した刀身が緋色に染まる。 「散華」 勇者は眼前に迫る鋼の群れを魔剣で切り払い、左手の妖刀を悪竜へと突き付けた。真の名が鍵となり小太刀に閉じられていた妖力が解放された。深緋の切っ先が爆発的に拡散、無数の花弁のように刃が舞い散る。意思持つ緋色の嵐となり醜悪な竜を包み隠し、武装も魔法も関係なく一切を切り刻む、というよりは削り喰らうようにして分解していく。断末魔の咆哮が黒い魔力と瘴気を伴い発せられる。最後の悪足掻きを満身創痍の剣士が両手に握った祓魔剣にて切り伏せる。 やがて花弁の如き緋色の刃が魔竜の全てを喰らい尽くし、散華の妖刀は元の姿に戻った。死闘の後には燃え尽きたように透き通る刀身だけが凛として床に突き立ち、瀕死の勇者は魔剣を手にしたまま倒れ伏していた。 激しい攻防の末に破壊された壁や天井から月明かりが射し込む。もうじき死にゆく剣士を悼むような静寂はすぐに台無しとなる。隠蔽魔法で存在感を消していた三人が壁際から現れ、辛うじてまだ息のある剣士の元にゆっくりと近付く。 「魔王まで倒すとは恐ろしい平民だな」 「もうドン引き過ぎて寧ろ虚無なんですけど」 「……ノーゲン、念の為にとどめをお願いしますわ。往生際の悪い彼の心臓を貫いてちょうだい」 この場でアーノルドを助けられる可能性を秘めた唯一の人物は凍りついた微笑を浮かべ、勇者の命を完全に剥奪する宣告を言い放った。 「はいよ。公爵令嬢様の仰せのままに」 軽薄に応えたノーゲンは横たわる剣士の上で聖槍を振り翳す。勢いよく落とされた穂先が至極浅く動いていた胸を正確に穿つ。死に瀕した末期の呼吸さえも完全に途絶え、勇者アーノルドに永劫の眠りが訪れる。 「魔王アレイストの討伐に成功。平民出身の勇者様は相打ちで斃れ、損壊の激しい亡骸は見るに堪えないので魔剣だけ回収しました……という報告で皆さんよろしいですね?」 治癒士ルーナは無慈悲な微笑みを浮かべ、冷たい眼差しと確認の問いを他二人へ交互に投げた。 「異議なーし」 「オレもだ」 魔術師ラニラが淡々と応え、聖騎士ノーゲンも短く同意する。満足気に頷くルーナの背後に人影。 「僕は異議ありだね」 「……ッ!誰ですの?」 聞き慣れない声の乱入で三人が臨戦態勢となる前に、床に仕込まれた魔法陣が刹那の輝きを発する。一秒にも満たない転移魔法の起動に誰も回避どころか、景色が変わるまで気付くこともできなかった。 どこまでも続くような白い空間に飛ばされた三人の前に黒衣の青年が現れる。その足元には勇者の屍もあり、祓魔の剣と妖刀も一緒に転移していた。 「魔王城の最下層、秘密の空間へようこそ」 謎の乱入者は優男風の整った顔立ちに卑しい笑みを貼り付けて悠々と佇んでいた。 「テメェ何者だ!?」 ノーゲンが女性陣を庇うように前に出る。 「僕の名はアレイスト・C・ソフェン。この世界の人間には黒蝕の魔王だなんて小っ恥ずかしい通り名で呼ばれているよ」
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