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涅色の蓬髪に真紅の瞳の青年は飄々と嗤いながら応える。討伐対象の名を出されて聖騎士は鼻で笑った。
「魔王アレイストだと?冗談にしてもつまんねーな」
「どう考えてもハッタリじゃん。魔力弱過ぎ」
「手柄を横取りしに来た隣国の諜報員かもしれません。生け捕りにして情報を吐かせる必要がありますわね」
口々に意見を述べながら三人は戦闘に備える。
「悪いけどお前らを壊すのは後回し。コレの修理が先だから少し待っていてくれ」
自称魔王は三人に背を向け、うつ伏せに倒れたアーノルドを爪先で転がして仰向けにする。胸に暗く開いた穴を診て眉を顰めた。
「おやまあ、心臓が跡形もなく消し飛んでいるじゃないか。継ぎ足す部品もないし、とりあえず僕のを移植しておこう……自分を裏切った仲間の臓器なんて欲しくないだろうしね」
黒衣の青年は傍らに膝を着いてしゃがみ込むと躊躇いなく手刀で自らの胸を穿った。平然とした貌で真っ赤な血に濡れた器官を取り出し、アーノルドの虚無の穴に埋め込む。無防備な黒衣の背に聖騎士が攻撃を仕掛けようとして、間合いに入るないなや胸を押さえて崩れ落ちた。物音と呻き声を聞き付け振り返った真紅の双眸に呆れと嘲りが滲む。
「阿呆だなあ、蘇生中に無用心に近寄るから巻き込まれるんだよ。言われた通りに待っていれば良かったのに」
ノーゲンは急激に発生した胸痛に悶え苦しみながらも口を開いた。
「糞がッ!一体何しやがった?」
「もしかして言葉の意味が解らないの?それとも単純に人の話を聴いていないのかな?蘇生中って言ってんじゃん。お前は術式の効果範囲内に入ってしまったんだよ」
青年の説明の最中にも聖騎士の顔が徐々に赤く変色し、耐え難い胸痛に加えて頭痛まで生じてきた。離れてその様子を見ていたラニラが治癒士に何か聞きたそうに視線を向け、察したルーナが私見を述べる。
「……蘇生というのは初耳ですし、名前的に治癒魔法の類だと仮定しても人体に有害な効果をもたらすなんて有り得ませんわ。多分あの男は毒か呪いを発動しているのではないかと」
「銀髪のお嬢さんは治癒士のようだけど、まだまだ想像力が足りてないね。薬も使用方法を誤れば毒となるように治癒も過ぎれば害となる。蘇生の術も使い用さ」
青年は語りながらゆらりと立ち上がり、空色の眼差しを捉えた。怪しく艷めく真紅の双眸に魅入られたようにルーナが竦む。治癒士を注視したまま男は黒衣の裾を揺らし緩慢な歩みでノーゲンに近寄る。心臓を摘出したばかりの胸元は未だ赤黒い血を零しているが平気そうにしていた。
「健常者に心臓マッサージを施しても苦しいだけだろ?元気な肉体に電気ショックを与えれば不整脈を起こすし、昇圧剤なんかぶち込めばさあ大変。勇者くんは失血が酷いから今は造血術式を発動してるけど、自ら巻き込まれたお莫迦さんは多血でしんどいみたいだね」
悪魔の微笑で地べたを転がる聖騎士を見下し、ふと片足を上げる。赤色の頭髪を振り乱して苦しんでいたノーゲンはハッとして緑の瞳に恐怖を浮かべた。腹部を狙った踏み付けを転がって躱した聖騎士は満足に力の入らない手で狙いも定まらないまま聖槍を突き出す。黒衣の男は軽く腕を蹴って武器を手放させると、空になった掌を縫い付けるように踏み潰した。悲痛な叫びが上がる。青年が足を退けるとノーゲンの指は複雑に折れ曲がり骨が皮膚を破って出血していた。
「指の複雑骨折くらいで大袈裟に喚くとは、つまらない聖騎士だね。余りにも情けなくて逆に情けをかけたくなるよ。サービスってことで治癒してあげよう」
黒衣の男は嘲弄を吐き捨てて左手を翳す。普通の治癒士が治癒魔法を発動する時には聖なる白き光が発せられるものだが、そんなものは何もなかった。無色透明な魔力と呼べるのかも分からない異能の波動が淡々と干渉し現象を操作する。
「創傷の治癒は要するに組織の再構築だ。血管新生に細胞増殖と、やり過ぎればこうなる」
青年が軽く指を振ればノーゲンの傷口から腫瘍のように肉芽が溢れ出した。表面には異常に増えた毛細血管が張り巡らされている。
「オマケに神経も増設しておいたから感度も良好。ねえ今どんな気持ち?」
地獄の責め苦じみた疼痛と不快感に悲鳴も真面な音にならず、敵を前にして聖騎士は手を庇いながら仰け反った姿勢で硬直した。愉しげに笑う黒衣の男は頭を狙って足を上げる。
「可哀想に。いっぺん死んで楽になるかい?」
「もうやめてぇ!延螺炎焱嵐!」
恋仲にある男の危機に魔術師ラニラが動いた。隙を狙って発射するつもりで準備していた炎と風の複合魔法が形振り構わず放たれる。二重螺旋状の火焔が嵐に匹敵する威力を伴って自称魔王を貫かんとする。
「おいおい、その勢いだと仲間まで燃えちゃうよ?それとも他人の手で殺されるよりは自分で殺したいとか?」
青年は呆れながら前方に右手を伸ばす。
「お前らは魔力だの魔法だの大袈裟に考えるけど、僕の解釈では世界に干渉する意思の延長に過ぎない。閉じた世界を弄るのに詠唱も魔法陣も本来なら要らないのさ」
螺旋の炎を当たり前のように掴み取った。
「自由に勝手に我がままに、夢も現と想えばそれが全てだ」
語りながら握り締めれば帯状の炎は赤い一本の糸に変わった。片方の端は男の手に、もう一方はいつの間にかラニラの首に巻き着いている。握り込まれた右手が軽く引かれ糸がぴんと張って、いとも容易く魔術師の首が刎ねられた。涙に濡れた琥珀色の両目は最期に、愛しの聖騎士が踏み殺される光景を焼き付ける。長い紺色の髪が宙を泳ぎ一瞬遅れて鮮血が噴出。すぐ近くにいたルーナは突然の悲劇に声も出せず瞠目していた。役に立たない治癒士に蔑みの眼差しを注ぎながら足早に男が近寄る。最早笑みを作るのも億劫と曝け出した無表情のまま唇は低い声を発する。
「怠け者で引き籠もりな僕にとってはさ、遠路遥遥こんな場所を訪ねて来た客人を歓待するのが娯楽なんだ。他の魔王みたいに迷宮領域なんて面倒なもん作りたくないしね。来訪者に冒険の愉しみを与えられない分、せめて張りぼての偽魔王を仕留めさせて達成感くらい味わってから死んでもらいたいわけ」
銀髪の治癒士を真紅の眼で睨み据えながら、黒衣の男は片手で背後の剣士を示してみせる。横たわるアーノルドの指先がぴくりと動いたのを、視線を誘導されたルーナは見ていた。
「用意していた魔王の贋作を頑張って倒したのは彼処に転がってる勇者くん唯一人。隠れて見ていただけで挙句の果てには仲間のため孤軍奮闘した彼を裏切ったお前らはおもてなしする価値もない。加えて順番待ちもできない上に騒ぐような迷惑客となれば、もう屍になってもらうしかないよね」
殺すべき相手が残り一人となり、魔王城の主は自分の愉悦を邪魔された苛立ちを隠す気もなくなったらしい。黒衣の人影が纏う陰鬱なオーラに気圧されながらも公爵令嬢としてルーナは優雅に拝礼した。
「魔王アレイスト様、先程までの失礼な言動の数々をお詫び申し上げます。私はシャイナス公爵家の」
「今更態度変えても遅いよ」
アレイストは軽く右手を挙げ、不意に蹌踉めく。不思議そうな真紅の視線が下に向かう。胸の中央を祓魔の剣が貫いていた。深々と刃は貫通して前方に飛び出していたが、至近距離にいたルーナは頭を下げていて無事だった。
「……これは予想外だな、勇者くん」
魔王は口から血を垂らしつつ感心したように背後に声を掛ける。その隙に治癒士は気配を遮断して離れた。
「完全に死んだ後の無理矢理な蘇生だから凄まじい苦痛を伴うはずなのに、お前はどうして動けるのかな?常人なら耐え切れず悶絶し意識を進んで手放しているよ」
アレイストは両手に力を込めて刃を握り、ずるずると湿った音を立てながら剣を自らの体内から引き抜く。片手に持って振り返れば、金髪の青年が紫苑の瞳に殺気を宿して佇んでいた。
「その人に、ルーナに手を出すな」
「ん?嗚呼そっか。勇者くんは死んでいたから裏切られたことを認知していないのか。知らず仇を庇ってしまうとは可哀想に。もしも治癒士に恋慕の情でも抱いていたのなら更に残念で愉快なことだね」
隠蔽魔法で白い背景に同化したルーナを魔王は認識していたが、アレイストの興味はひたすら剣士アーノルドに集中していた。
「お前は仲間だと信じていた三人に裏切られたんだよ。偽りの魔王を倒した直後、まだ蘇生は間に合うのに治癒士はお前を助けなかった。それどころかトドメをさせと聖騎士に命じたんだから酷いよなあ……お前にはこの治癒士を殺す権利があるし今すぐにでも復讐すべきだよ」
無言のままでいる勇者にアレイストは歩み寄り陰鬱な期待を込めて祓魔の剣を差し出す。
「剣は返すからそこの薄情者に仕返しするといい。僕は邪魔しないし、何なら他二人も蘇生して殺させてあげようか?裏切り者は許してはいけないからね、っと」
魔王の言葉を無視してアーノルドは思い切り拳を突き出した。顔面を狙った拳打をアレイストは左手で軽々と受け止める。
「おいおい、これが命の恩人に対する態度かい?死にたての勇者くんを僕が修理してあげたことは理解しているよね?お前の心臓は僕のものなんだから嫌でも繋がりを感じるだろ?」
「裏切りも恩も関係ない。俺は勇者だから魔王を倒す……ただそれだけだ」
体がバラバラになりそうな錯覚を抱く程の激痛に意地一つで耐えながらアーノルドは再び拳を繰り出す。ダメージで鈍った動きを魔王は容易に見切り、勇者の横っ面にやる気のないカウンターを入れた。動きが止まったところに追撃、加減した膝蹴りを腹部に減り込ませる。
「がはっ!……んぐぅ……」
魔王は左手で勇者の首筋を抑え、その腹筋へ執拗に何度も膝頭を叩き込む。苦しげな呻き声に構わず続けながら心臓を介して得た記憶情報も元にアレイストは思考する。
「成程、平民で孤児だったお前にとっては勇者であることが唯一の誇りで存在意義なのか。裏切り者への復讐は望まず、魔王を討つことでしか欲求を満たせないのなら……あの治癒士は別に要らないね」
魔王はアーノルドから左手を離し勢いを付けて蹴り飛ばすと、振り向きざまに治癒士が隠れている方へと祓魔の剣を投げた。公爵令嬢は躱すこともできず飛来した刃に右足を切断される。筆舌に尽くし難い悲鳴が白い空間に甲高く響き渡り、朦朧としていた勇者の意識が覚醒する。
「やめろ魔王!殺すなら俺を殺せ!」
這いつくばったまま勇者は怒りと憎悪で声を荒らげる。血反吐を零しながらも起き上がろうとするが体は言うことを聞かない。焦りと悔しさに顔を歪ませるアーノルドを魔王は悪魔じみた微笑で見下していた。
「殺して欲しいというのは心からの願いかな?じゃあ叶えてあげるよ」
アレイストが右手の指を鳴らす。アーノルドの胸に納まっていた借り物の心臓が機能を停止、即座に血液供給も途絶えて視界は黒く染まり意識が闇に落ちる。勇者は死んだ。
「……やだ。嘘でしょう?」
切り離された足を前に血の気の引いた顔でへたり込んでいた治癒士は、ぴくりとも動かない剣士の姿を目の当たりにして動揺を露わにした。
「アーノルド?なんで寝ているの?早く立ってちょうだい。私を守ってくれるんでしょう?怪物みたいな強さはどうしたの?あなたは勇者なんだから今すぐ私を助けてよ!」
「裏切っておきながら助けてなんてよく言えるな。流石は貴族様、度し難い面の皮の厚さだ。勇者と煽てて平民出身の初心な童貞野郎を使い潰す心算だろうけど目論見が外れて残念だったね。それもう死体だから起きないよ」
冷たく言い捨てながら魔王は治癒士の傍らにしゃがみ、落ちている膝から下の部分を掴んだ。
「あ、私の足……」
「自分の肉体も繋げられないのかい?鎮痛と止血はしてあるけど治癒士としては良くて二流だね。魔力供給も大したことないし、どうして魔王討伐パーティにお前みたいな半端者が混じっているのか解らないよ。否そもそも遊べそうなの勇者くん一人だったか……もしかして僕って舐められてるのかな?」
至近距離で魔王に射抜くような眼差しを向けられ公爵令嬢は息さえままならなくなる。過呼吸気味に喘ぎ始めた治癒士の頭にアレイストは優しく手を乗せた。開かれた五指の先には紫電が宿る。
「死を受け入れる覚悟もない甘ったれた子供を送って寄越すなんて、どこの国か知らないけど気に食わないな。お前らを派遣した連中の顔が見てみたいから、悪いけど頭ん中ハッキングするね……嗚呼、脳に痛覚はないから安心して」
ルーナの蒼い瞳が上転。情報の交接が開始される。
電気信号の波間から掬い上げるのは現在の世界情勢と、聖王国アタラクシアの王侯貴族についての情報。遊覧の途中で身分と性別という枠に縛られた公爵令嬢の退屈な人生を盗み見て、魔王は歪な笑みを浮かべた。
「そういうことか。僕としたことが早合点してしまったね」
独り呟くアレイストの人差し指に微弱な電磁波が収束する。
「お嬢さん?お目覚めの時間だよ」
猫撫で声を発しながら電気刺激によって治癒士の意識を覚醒に導く。星間飛行の記憶を垣間見ていたルーナは夢見心地から引き戻された。魔王の貌を見るなり蒼い眼を畏怖と崇敬に見開く。察してアレイストは悪戯っぽく微笑む。
「僕の記憶を覗いたなら話は早い。一つ提案があるんだ。お前を殺すことに変わりはないけど、僕と契約するのなら秘めた願望を叶えてあげるよ。お前らを閉じ込める箱を壊して、理不尽は全て均して正してしまおう。甘ったるい夢物語でも僕みたいな規格外の力があれば現実にできるんじゃない?」
魔王は接吻でもするような距離感で囁く。
「さあ、どうする?」
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