第二話【悪徳令嬢は平民剣士を虐げる】

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第二話【悪徳令嬢は平民剣士を虐げる】

白砂の海を漆黒の球体が進む。 アーノルドが知る由もないが黒瑪瑙の乗り物はカプセル型の小型宇宙艇にも似ていた。魔王の操縦で白い砂の波間を泳ぎ渡り、もうじき砂漠地帯の外に出ようとしている。 ぎこちない距離感の二人の間に会話はなく、魔王城を出発してから長い沈黙が船内に積っていた。勇者の心の整理がつくまではと気を遣って触れずにいたが、とうとう少女の姿を模したアレイストは募らせた苛立ちを露わにした。 「ねえ、アーノルドくん?ずうっと思ってたんだけど、物言いたげな視線が少々鬱陶しいんだよね。言いたいことがあるなら言いなよ」 「すまない。これから君をどう呼べばいいのか考えていたんだ。ルーナに成り済ます必要があるのなら今後は魔王ともアレイストとも呼ぶわけにいかないが……俺はどうしても」 「はいはい解ってるよ。僕のことルーナって呼ぶのは嫌なんでしょ?抵抗感を抱くのも無理はないし呼んで欲しいとも望んでないさ。予想はしていたから代替案も既に考えてある」 操縦桿から手を離しアーノルドに向き直る。 「運転はいいのか?」 「最初から自動操縦だし大丈夫。悶々としているお前とお喋りするのが億劫だから運転する振りしてたんだよ……労るとか慰めるとか苦手なんで」 「気を遣わせてしまったようだな」 「そりゃあ一応は協力者だもの。とはいえ長年魔王として振舞っていたからね。人間との会話は専ら戦闘中の殺伐とした掛け合いだし、無意識に出るのは煽るか脅すか傷付けるような言葉ばっかり。さっさと新しい配役を決めて演じないと無駄な喧嘩が勃発しかねない……とりあえずは悪の魔王の正反対を目指そうか」 話しながら纏う黒衣の組成を変化させていく。治癒士が着ていた衣装を模していたが、余計な装飾をなくして簡素に仕立て上げる。 「胸の詰め物も要らないな。邪魔」 暗黒を潔白に、濁富を清貧に塗り替える。 「詰め物とは?何のために付属していたんだ?」 「或いは防具なのかな?お前に胸ぐら掴まれた時に何も感じなかったし。まあ、どの道この僕には不要だ」 女性の胸を大きく魅せる部品など知らぬアーノルドは首を傾げ、そこまでは知識を拾っていなかった魔王はあっさりと胸元の欺瞞を省略した。 「これから僕が演じるのは善良な天使の如き治癒士。手に入れるべきは第七階梯の肩書きだ」 銀髪の少女は質素な白いローブを纏い、無邪気を装った笑みを浮かべてみせる。 「どうしたらそんな結論に至るんだ?」 「聖王国アタラクシアに帰還後、アーノルドくんの処罰を回避するために先ずはルーナの公爵令嬢としての権威を利用する。しかしながら悪徳令嬢として王族にも貴族達にも疎まれる以上、地位を主張しても金を積んでも説得力が足りない。そもそも父であるシャイナス公爵すら味方ではなさそうだしね」 「確かにそうだろうな」 ルーナの父親の姿を想起してアーノルドの顔が曇る。 「そこで僕は神憑りを演出して天使を騙る……詳しい話はまた後でね。砂漠を抜けたから船を降りよう」 魔王の口から神や天使という単語が出てくることに不安しかないが、全く警戒することなく外に飛び出した少女の背を勇者は慌てて追う。 聖王国アタラクシアの領土に入り、二人は森の中を歩いていた。魔王討伐に向かう際には頻繁に目にした屍食鬼(グール)戯死体(リッチ)が一体も見当たらない。注意しながら進んでいたアーノルドは異変の原因と思しき存在に目を向ける。 「黒蝕(こくしょく)の魔王の眷属達がいないようだが何かしたのか?」 「人重細工(おもちゃ)なら全部お片付けしといたよ。本来は造物主が死んだからといって別個体でしかない生物まで消えるのは有り得ないけど、安全圏で胡座かいてた王侯貴族にも魔王討伐を実感してもらうには明確な変化が必要でしょ?」 「理屈は分かるが良かったのか?自分の手で創り増やした眷属とその営みをあっさり無かったことにして……殺してきた俺が言うことではないが」 「始まりがあれば終わりがある。生まれてしまったら結末(最後)は死ぬしかない。どうせ全ては惰性で続いているだけの物語(生涯)なんだ。いつ打ち切っても構わないよ」 「……そうか」 少女は蒼い双眸に虚無を滲ませ無慈悲に吐き捨てる。口元に浮かんだ自嘲的な笑みを見てアーノルドは何も言えなかった。どうせ終わるものと命を軽んじて、数多の人間を残酷に弄んできた黒蝕の魔王はきっと、自分自身も含め全ての生命を尊重していない。 なんとなく気不味い静寂が訪れて二人は無言で歩き続けた。やや開けた場所に出て、アーノルドがぴたりと足を止める。少女の肩に手を置き、屈んで耳元にそっと囁いた。 「止まってくれ。狙われているようだ」 「うん識ってる」 魔王は短く答え、勇者の手を払いのけた。 「アーノルドくんさあ、誰の心配をしているの?」 不敵に嗤う少女が右手を掲げる。空の掌に一つの黒い石が出現。前方の木陰に微弱な魔力と殺気を感知し、その方角へ流麗な動作で黒瑪瑙を弾き飛ばした。紫電を帯びた石は亜音速で飛翔し漆黒の弾丸となって一人の刺客の頭蓋を貫く。風穴から極微量の血と脳漿が零れて、辺りに散らばる複数の気配が戸惑いと怒りに揺れた。濃厚な殺意に呼応してアレイストの指先は紫電を帯びる。どこからか高速で放たれた投げナイフは指先一つで阻まれた。蒼の眼差しに狂気が滲み、喜悦に歪んだ笑みが溢れる。 「さて、愉快な(みなごろし)の時間だよ。真も嘘も吐かせるのは殺し尽くした後でいい。幾らでも蘇生できるんだ。片っ端から無分別に葬送(おく)ってあげよう」 哄笑する公爵令嬢の口をアーノルドが片手で押さえる。もう片方の手は剣を握り、飛来する短刀や魔法攻撃を次々と弾いていた。 「おいおい、天使はどうした?魔王のまんまじゃないか」 背後から小声で囁いた青年に強烈な肘打ちを叩き込んでから、少女はハッとしたように口元に手を添えた。 「あっ、ごめん!四方八方からの殺気でハイになっちゃった」 軽く噎せながらアーノルドが令嬢から手を離す。 「その姿であまり無茶をしないでくれ。君は御令嬢らしく俺に命じればいい」 「……解ったよ。ではアーノルド、貴方に命じます」 嘆願の響きに愉快そうな声が応えた。 「速やかに鏖殺しなさい」 「お嬢様の仰せのままに」 身を低くしたアーノルドが残像を微かに残し飛び出す。断続的に風を斬る音がして、悲鳴と血飛沫が吹き荒れた。 「単なる野盗だったのかな?」 第六階梯の剣士がやる気を出してしまえば一分とかからず刺客達を殲滅してしまった。少女はつまらなさそうな顔で並べられた十二の死体を見下す。アーノルドが始末した十一人は全て首を綺麗に切断されていた。 「何人かは見覚えがある。前にルーナと俺に難癖つけてきた奴だ。俺達を邪魔するために何処ぞの貴族様が私怨のある連中を雇ったんだろう」 「ふーん?じゃあ態々蘇生させて尋問するまでもないか。でもせっかく綺麗に切り分けてもらったし勿体ないよね」 本気で勿体ないとは思ってもいない様子で少女は指を鳴らした。地面に暗く澱んだ汎用培養液の海を喚び起こし、生産されたばかりの死体を黒い粘液に回収する。興味深そうに眺めているが詳細を聞きたくはなさそうな面持ちのアーノルドに気付き、偽りの治癒士はにやりと嗤う。 「解体したまま新鮮な状態で保存しておいて、役に立ちそうなら修理して再利用するのさ。奇跡の茶番の仕込みに何体かは細工した人形も使う心算でいたしね」 「意味がよくわからないが、深掘りしない方が精神衛生上良さそうだ」 「賢明だね。では物語を先に進めよう」 二人は再び歩き始めた。 翌日、公爵令嬢と平民剣士は王城に帰還した。 襲撃は一度きりでその後は何者に阻まれることもなく、聖王国アタラクシアの聖都にして城塞都市であるアトラシクスに入り込んだ。ルーナが嫌っていた公爵家には帰らず二人は宿に一泊し身なりを整えた。 荘厳な王城の居心地は最悪。黒蝕の魔王討伐の旅から戻った勇者一行その半数を、各所の門や城内を警備する聖騎士達は皆一様に冷ややかな眼差しで迎えた。特に勇者へ向けられる侮蔑と微かな嫉妬を彼の傍らで感じ取った少女は鼻で笑う。 通された軍議の間には聖騎士団幹部や軍事に関わる上位貴族など要人達が集っていた。ルーナの父であるシャイナス公爵もいるが聖王タリス三世の姿はない。 「貴族連中とのお話は僕に任せてよ。アーノルドくんは必要時は指示に従い、それ以外は黙って見ていてね」 「君に任せて大丈夫なのか?」 お互いにしか聞こえない小声でのやり取りの中、アーノルドは不安が隠せない。 「心配しないで。私は氷の如く冷徹な悪徳令嬢……小娘と侮る者がいればその背筋、死ぬ程冷やしてご覧にいれましょう」 銀髪の少女は見るもの全てが凍てつくような蒼の眼差しで空間を睥睨する。立ち竦むアーノルドを無視して、令嬢は氷の微笑を貼り付け前に出ると優雅に一礼した。 「時は金、見知った顔ぶれであれば名乗りは省略致しましょう。本日は皆々様へ魔王討伐任務の報告に参りました」 「黒蝕の魔王を倒したんだろう?既に国境を警邏する団員達が眷属の消失を確認している。討伐成功というわけだ。ご苦労だったねルーナ」 公爵令嬢の冷淡な声に真っ先に応えたのは若き聖騎士団長カイン・リットハイドだった。貴族達や聖騎士団員が渋面を並べている中、明るい茶髪に翡翠のような目の団長は周りに構わず快活な笑みを浮かべる。リットハイド侯爵家の三男にして第七階梯の魔法剣士ともなれば奔放な性格も空気の読めない振る舞いも黙認される。 「ありがとうございます」 少女は無感情に礼を返す。親しみやすそうな笑顔を浮かべてはいるが、聖騎士団長の労いの言葉と眼差しは公爵令嬢のみに向けられている。まるで平民の剣士など視界に入っていないみたいだ。そして何故か気安い調子で名を呼ぶカインに少女は不快感を抱く。 「おめでとう、とは言い難い結果だがね」 低音ながら良く通る声で呟いたのはシャイナス公爵だった。ルーナと同じ色の瞳は憎悪すら込めて娘を見据える。少女を模倣した魔王としてはとばっちりの憎しみなので、とりあえずは澄ました表情で見返す。 「そうです!手放しで喜ぶことはできませんぞ。尊い犠牲が二人も出てしまったのですから」 「聖騎士ノーゲンは男爵家、魔術師ラニラは子爵家のご子息。高貴なる二人を差し置いて身寄りのない平民が生き延びるとは嘆かわしい」 「よくもおめおめと顔を出せたものだ。仲間も守れないで何が勇者か」 示し合わせたように数人の貴族が難癖を付け始める。 「魔王討伐は偉業ですが、未来ある二人の貴き若者を無駄死にさせた過失は無視できません。アーノルド・レナーリオンの責任を追求する必要があるのでは?」 剣士の名前が出された途端、公爵令嬢はくすくすと嗤う。 「何がおかしいのかね?シャイナス家のご令嬢殿?」 「嗚呼、失礼致しました。しかしながら尊き身分の方々が揃いも揃って単なる道具を人間みたいに扱うんですもの。笑わずにいられますか?」 悪徳令嬢に相応しき挑発的な嘲笑を剥き出しにする。 「私の後ろに控えるコレは国王陛下にとっては祓魔の剣の台座にして仮初の担い手に過ぎません。真名を教えないことから察するべきですが、まさか貴方達は聖王様が本気で卑しき平民の孤児を勇者に任命したとお考えなのですか?陛下の高尚なお戯れを解さない上、王が所有する武器の付属物を勝手にどうこうしようだなんて侮辱であり謀反なのでは?」 貴族達が驚愕と困惑に黙り込む。シャイナス公爵も瞠目してじっと娘を観ていた。カインだけが好青年じみた顔に意地悪く愉快そうな表情を浮かべている。 ルーナ・シャイナスは公爵令嬢の立場でありながら水面下では身分制度の見直しや平民の待遇改善を主張してきた。孤児院の環境を改善すべきだの労働者の賃金水準を上げるべきだの、極めつけには貧しき平民への治癒の無償化などくだらないお題目を並べる、まるで現実の見えていない小娘というのが貴族の間では共通認識だった。その地位により甘い蜜を啜る貴族にとって都合の悪い文言を並べるルーナはまさに悪徳令嬢と呼べた。 そんなルーナが平民を悪し様に語るのが貴族達には不思議だった。増してや恋仲を疑われている剣士に対してこの暴言だ。魔王討伐任務の際に仲違いしたとしか思えなかった。 聖騎士団長が徐ろに立ち上がった。 「我が友ノーゲンは勇敢にして実力ある第五階梯の聖騎士だ。ラニラにしろ同階梯の優秀な魔術師だった。しかし魔王には及ばなかったというだけのこと。誰のせいでもないし、魔王を相手にするのなら当然死も覚悟していたはずだ」 カインはいかにも真剣な面持ちで語りながら惚けた面を並べる貴族連中を見渡す。 「聖騎士団長の立場から言わせてもらうが、彼等の華々しき人生の終幕に下賎な平民を絡める野暮はやめて頂きたい。この件についてはもう責任の所在など考える必要はないだろう」 翡翠の双眸を怒気で輝かせる団長に、ルーナへ難癖を付けていた数名の貴族は肩を縮める。猛者による要望に見せかけた命令に対し異を唱える者はいなかった。治癒士の少女を除いては。 「いいえ違いますわ。ノーゲンとラニラの死は治癒士の力不足によるものです。唯一の支援職として皆を補助し、生かすという責任を私は果たせませんでした」 得意気なカインと居心地悪そうにする貴族達を冷ややかに一瞥してから公爵令嬢は優雅に頭を下げる。 「本当に責められるべきは私ですわ。処罰するのならこの私を」 「待ちたまえ。見たところ勇者殿は無傷の様子。自分は傷を負わずして魔王を倒す力を備えながら仲間を助けられないことがあるのか?貴族の立場を羨んで手を抜いたか、敢えて見殺しにしたのではないかな?」 シャイナス公爵が席を立って意見した。意外な人物の反論に少女はハッと顔を上げ、柔らかく微笑んでみせた。
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