第二話【悪徳令嬢は平民剣士を虐げる】

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「ありがとう公爵様。その指摘を待っておりました。今は五体満足ですが、実は魔王との戦闘にてコレは一度死にかけたのです。全身を刻まれ胸には穴が開きそれはもう惨たらしい有様でした」 夢見る童女の如く蒼い双眸を陶酔させて、治癒士は笑みの質を徐々に変えていく。 「後一手で魔王を倒せるという所で力尽きた剣の担い手に、私は全魔力を捧げた命懸けの治癒魔法を施しました。それでも力及ばずパーティは全滅するところでしたが、今際の際にて神の託宣と祝福を得たのです」 無垢と清純を塗り込めた微笑がシャイナス公爵に向けられる。 「それは魔王により穢された土地を憂いていた深淵なる存在、遥か昔から数多の生命を育んできた名も無き神性。或いは大いなる星の意思とも言えましょうか?奇跡の如き力が私の身に宿り、魔王を討つためにコレを治したのです」 「馬鹿馬鹿しい。そんな都合の良い話があるか」 「神秘は未だ私の内にあります。疑うのでしたら証明して見せましょう」 父を含む貴族と聖騎士達の前で令嬢はするりとローブを脱ぎ捨て、純白の薄布に包まれた華奢な体躯を晒した。全員が驚嘆に目を見開く中、アーノルドは堪えるように拳を握り締めていた。 「実力も考慮して聖騎士団長様が適任かしら?ノーゲンとは戦友だったそうですし……遠慮なく殺す気で私を斬ってくれませんか?」 「何を言っているんだルーナ?みっともない。早く服を着たまえ」 シャイナス公爵が命じるが少女は聞く耳を持たない。 退屈そうに白銀の髪を指先で梳いてみせ、形の良い桜色の唇は扇情的な微笑みを作る。 「狡猾さと年季を美徳とする皆々様におかれましては、公爵令嬢とはいえ甘ったれた小娘の戯言なんて鵜呑みにする筈がないでしょう?ならば実演して魅せるしかないというわけです」 蒼い瞳は煽るようにカインを見つめる。 「ねえ、第七階梯の聖騎士団長様?戦場を勇敢に駆け回り無数の敵兵や魔物を屠ってきた貴方が、たかが第四階梯の治癒士を斬り付けるのがそんなに怖いんですか?怯えなくてもこの身は噛み付いたりしませんよ?」 「そんな下手な挑発には乗らない。あまり舐めないでほしいね」 鼻で笑ったカインに公爵令嬢はあからさまな溜息を吐く。 「あらあら?思っていたより臆病で繊細なのですね。とりあえず斬ってから考えるくらいの破天荒な豪胆さを期待していたのですが、もういいです。小心者に用はありません。代わりにアーノルドに命じますわ。彼の方が一振の剣としては優秀でしょうから」 「……なんだと?」 聖騎士団長の緑の目に本物の怒りが滲む。 「ふうん?面白いことになっているねえ」 気怠げな男の声が混じり、皆がその出処に視線を移す。入口付近に豪奢な礼服を纏う青年が立っていた。麦穂の如き金髪に葡萄色の瞳を煌めかせた人物は扉に背を凭れて佇む。眉目秀麗といった風貌を目にして、貴族も聖騎士団も全員が拝礼した。一瞬キョトンとしていた少女だが、背後でアーノルドが跪くのに合わせて自分もその傍らに片膝を着くと小声で尋ねる。 「あいつ誰?」 「この国の第一王子様だ」 少し躊躇ってアーノルドは続けた。 「ルーナは彼の婚約者候補でもあるが、同じ学園に在学していた頃も交流はなかった。しかも彼には他に意中の女性がいると聞いている。何故この場に出て来たのか意図が分からない」 「金と暇を持て余した権力者によくある退屈しのぎの思い付きじゃない?周りにとってはいい迷惑のね……ほんと間が悪過ぎるよ。全然知らないけど僕アイツ嫌い」 白けた顔で見上げる公爵令嬢を、第一王子は黒い微笑みで見下ろした。 「隣の部屋で昼寝しようとしたら愉快なやり取りが耳に入ったからさあ。眠気も無視して助太刀に来たよ、未来の花嫁?」 現在この空間にいる女性が自分一人であると気付き、少女は真顔で自分を指差す。蒼い目には不可解と不快感。 「もしかして私のことですの?」 「もちろん」 おかしそうに笑って第一王子は公爵令嬢に歩み寄りながら緩慢に右手を動かす。 「ほら立ちなよ。跪いた状態で斬っても皆から見え難いでしょ?不正を疑われ文句をつけられては面倒臭い。私は淑女(レディー)を何度も斬るなんて御免だし、君も痛いことは一度で済ませたいよねえ?」 王子は手を差し伸べるでもなく、宝剣を抜き放って声を掛けた。 「嗚呼そういうこと、助かりますわ。第一王子を疑う阿呆はいないでしょうから、頭のお堅い紳士様方も納得する最高の人選ですね……お手を煩わせてすみませんがよろしくお願いします」 「自己満足のためだし礼は要らないからね?個人的に神の存在には懐疑的でさ、信じるに値するものがあるのなら是非とも観せてもらいたいんだ。とはいえ別に未来の妻を殺したいわけじゃないし、君が語る神さまが騙りではないことを願っているよ」 穏やかな笑みと和やかな口調で語らいながら王子と令嬢は向かい合う。 「では特等席で観劇し、篤と感激してくださいませ」 「そうさせてもらうよ」 初動も躊躇いもなく宝剣が振られた。一直線に首筋を狙う剣を見切り少女は僅かに後退。首を落とされても平気だが、そこから治しては流石に化け物じみていると思われるに違いない。骨まで断たれない程度に留められるよう位置を調整する。刀身が肌に触れようとして、硬い音が響いた。 「……ッ!この莫迦」 斬首の刃をアーノルドの剣が止めていた。公爵令嬢は苛立ちを露わに舌打ちして、第一王子は呆れたように笑って剣を納める。 「平民如きが王子に剣を向けるとは無礼な!」 王子が口を開く直前、カインが殺意を剥き出しにして跳躍した。澱んだ感情を原動力とし聖騎士団長はあっという間に平民剣士との距離を詰める。剣を抜き放ち強化魔法を帯びた切り下ろしの一撃を放つ。必殺の斬撃を受けたのはアーノルドを突き飛ばした少女だった。 「……あ」 呆けた声を漏らしたカインは刀身から伝わる感触に青ざめた。袈裟斬りにされ開いた傷と口から鮮血を噴き出して公爵令嬢は力なく倒れる。少女が床にぶつかる前にアーノルドが抱き止めた。第一王子は赤い血に塗れた創傷の様子を冷静に観察する。鎖骨や肋骨を断ち割って肺や心臓といった臓腑まで切り裂く深い傷は生命活動を終わらせるには十分過ぎた。 「うんうん、紛れもなく致命傷だねえ」 軽薄に微笑む王子の宣告で軍議の間に重たい静寂が満ちた。シャイナス公爵は愕然として椅子に凭れていた。全身を強ばらせた剣士の腕の中、顔を青白くした少女は紫がかった唇を動かす。瀕死の息遣いで紡ぐ言葉が血泡と共に零れ落ちる。 「治癒(ヒール)」 瞬間、目を灼くような白い光が空間を満たした。あまりの眩しさに悲鳴を上げた者もいた。全員が瞼を閉じる中、公爵令嬢は平然と立ち上がる。 「……おっといけない。光り過ぎちゃった」 左肩から右の腰まで斜めに開いた傷は完璧に塞がり痕さえも残っていない。少女は未だ目元を覆う人々を見渡すと、悪戯っぽい笑みを浮かべて指を鳴らす。 「さあさあ、御注目なさいませ紳士諸君!全員纏めて目は癒したので瞼を開けてくださいな?ついでに怪我や病で視力が弱っていた人は治しておいたから、ちゃんと私を観てくださいね?致命傷すら完治させる奇跡を確かめてちょうだい?」 やたらと元気溌剌に語りながら公爵令嬢は血で汚れた薄布を剥ぎ取る。素肌が外気に晒されて、現れた未熟の果実に視線が集う。見慣れぬ少女の半裸にアーノルドやカインが唖然とする。早足で後ろから近付き自分の上着を被せたのは第一王子だった。 「全く正気の沙汰とは思えないね。年頃のご令嬢がこんな真似……恥ずかしくないのかい?」 「恥ずかしい?別に何とも思いませんわ」 作り笑いで窘めながら呆れとも苛立ちともつかない複雑な色を浮かべる王子に、公爵令嬢は怪訝そうな顔で振り返る。 「偉大なる神の恩寵を授かった私はその御心に触れ、一つの真理に至りましたの」 少女は第一王子に向き直る。晴れやかな天使の微笑が葡萄色の双眸を捕らえる。蒼碧の瞳は澄み渡る大空にも、深淵を透かした海のようにも映った。 「造物主たる神にとって全ての物は等しく虚しい塵芥。人間が定めた価値や意味など泡沫の夢幻なのです。神の前で人は平等。男女の差別も貴賤の区別も関係なく人族は皆、許しを求めて彷徨う咎人。誰も彼もが慈愛に飢えた無力な赤子も同然ですの」 陶然として神を語りながら少女は無邪気を装い王子の手を取って、少し爪先立ちになり柔らかな唇を耳元へ寄せた。 「若しくは、たわいの無い路傍の石ですね。余りにもちっぽけで可哀想だから、神に代わって私が無差別に愛してあげるのですよ」 甘やかな声がささやかな毒を吐く。笑みを消した王子から身を離し、公爵令嬢は周囲に視線を巡らせる。 「さて皆様?神の祝福その一端をご覧に入れましたが満足して頂けましたか?否、甚だ胡散臭くて信じる気にはなれませんよね?私も証を示すにはまだまだ明かし足りません」 貴族連中や聖騎士達の惚けた顔を見回して、最終的に少女は第一王子に妥協の眼差しを止まらせた。 「私は今後、この身に宿る神秘を人々の役に立てるため治癒士としての活動に専念致します。貴方達も癒しが必要な時は私に縋り付いてくださいな?神の慈愛を感じさせてあげますわ」 「神秘ねえ?彼等には十分な演出だったようだが私は保留としておこう。これからの活躍で判断させてもらうから、君は好きなように踊るといい……我が嫁の邪魔をするような者はいないだろうしな」 仄暗い笑みで応えた王子の冷淡な視線が貴族達を見据える。自分が目を付けた者に手を出すなという脅しに他ならなかった。 「好きにして良いと許しを得たところで早速一つお願いしたいのですが、預かっていた祓魔の剣を国王陛下に返してくださいな。本当は直接お礼と共に返却したかったのですが、陛下はお忙しいお立場ですものね」 さらりと言って令嬢は背後に控えていた平民剣士に目配せする。紫苑の瞳に悩むような色が過ぎった。察した少女は面倒臭そうに片手を伸ばす。 「よろしくお願いします。間違いのないよう王子様の手から陛下に渡してくださいませ」 受け取った剣を公爵令嬢は王子へと差し出す。 「確かに承った。私から返しておくよ」 預けられた祓魔の剣を第一王子は両手に持って数秒くらい観察していた。一度頷いてみせてから視線を令嬢へと戻し、王子は気遣うような表情を作った。 「これで用は済んだかな?その服は貰ってくれて構わないから後は帰って休むといい。完治したとはいえ死にかけたのだし、あれだけの治癒魔法なら魔力消費も激しい筈だ」 「お心遣い感謝致します。ではお言葉に甘えて退室させて頂きますわ」 平民剣士を従えて扉から出ていく公爵令嬢の背中を、第一王子は微笑みながらも睨むような眼で見ていた。 「カイン、それとソランも。私に着いて来てくれ」 第一王子は聖騎士団長と副団長に声を掛けてから歩き去る。動揺を浮かべる若き団長に続き、終始無言と平静を保っていた隻眼の副団長が軍議の間を出て行く。 遮音の魔法が張り巡らされた別室にて、椅子に腰掛けた第一王子は呼び出した二人を見据える。先ずは聖騎士団長へと笑みの消えた顔で冷徹に言葉を紡ぐ。 「カイン?確認しておくが、平民とはいえ第六階梯の剣士を相手に君が手を抜く筈がないよな?ちゃんと殺す気で斬り掛かったんだろう?」 「勿論です」 「なら間に入った第四階梯の治癒士如きがどうして生き残っているんだ?ルーナ・シャイナスを視認して咄嗟に加減したのか?」 「いえ、お恥ずかしながら剣を止めることができず……手応えから真っ二つにしてしまったのではないかと思って青ざめました」 「だよなあ?前衛でもない支援職が防壁もなしに聖騎士団長の一撃を受けて、あの程度で済むのは有り得ない。というか」 一旦区切り、王子は自分でも馬鹿げていると苦笑しながら続ける。 「刹那の出来事だったが、私の目には彼女が両断されたように視えたよ。一度完全に断ち切られたのを程良い致命傷になるよう治癒(なお)したんじゃないか……なんて阿呆らしい疑いを抱いているのだけど、君達はどう思う?」 「そんなのできる筈ないですよ」 カインは即座に否定するが副団長は渋い顔で黙り込む。 「ソランはどうかな?有り得ないことが起きているのを君は身をもって体感しているだろう?」 「……気付いておられましたか」 「まあね。あの場で冷静さを保っていたのは流石だ。君は隻眼の餓狼として有名だし、明かせば色々と面倒臭いことになっていただろう」 「今更その通り名を捨てる羽目になるとは思っていませんでしたよ」 複雑な面持ちで言いながら中年の男は眼帯を外し、深い傷痕が走る左目を見開く。過去に戦場で敵国の呪装剣士の攻撃により潰れた眼球が見た目も機能も元通りになっていた。呪詛のせいで高位の治癒士や賢者の癒しも通じなかった不治の傷が公爵令嬢の力により完治したわけだ。 「痛みや違和感はないのかい?」 「不思議と全然ないのです。片目に慣れてしまったせいで奇妙な感覚はありますが」 「良かったね、と言いたいところだが、奇跡と受け入れ手放しで喜ぶには不可解が多過ぎる。第四階梯の治癒士にできる芸当じゃないし、隣国にいる第六階梯の治癒士……聖女様にも可能とは考えられない」 「ルーナ、公爵令嬢の治癒魔法は規格外ですね。あの話も嘘ではなかったのかも」 カインの緑の瞳に畏怖が滲む。 「神の存在は置いといて、現在のルーナ・シャイナスは恐ろしくも愉快なことに底が知れない」 第一王子は足を組み窓の外へ視線を向ける。 「人の域を超えた力を持つ者は大抵、神の使いとして崇められるか悪魔の化身として排除されるかだ。私の花嫁の行く先はどちらになるのかな」
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