私の宿敵と対峙

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私の宿敵と対峙

 もしここで新しい一歩を踏み出さなかったら、きっと大きな後悔に繋がるはず。それは分かる。こういう瀬戸際で諦めたり引き下がったりすることは、これまでに幾度も味わってきた。 「あぁ~あ。あと一歩だったのにね。」「あと・・・ ちょっとだったのに。」 という感覚をこれからも人生の中で繰り返すことになる。私には今、その確証がある。私自身にそれらの症候群の持ち主だと自覚が芽生えたから。振り返れば私の過去に幾度もそんな場面があったと思い出される。 「あの時、もう少し踏ん張っていたら・・・」「もう少し続けていたら・・・」 恐怖に負けず先へ進んでいたら変わっていたであろうことは、きっと幾つもあった。そう確信がある。  私の持病ともいえる“あと一歩だったのにね症候群”は、なかなかに克服するのが難しい。先ず、この心の癖に気づくのが難しい。私自身、ヒプノセラピーを学んでから気付いた。40歳を過ぎてからのことで、ずいぶん遅い気付きだ。そして、はっきりとその心の癖を認めたのは50歳を目前にした今なのだから。  これまで私にかかわってくれた師・先生たちの中には、この持病を見抜いていた人もいただろう。だから、チャンスもくれたと思う。思わぬ抜擢とか、ゲームのような感覚で挑戦を用意してくれたと。そのチャンスに乗って頑張ってみた事もあったけど、結局は二つの“症候群”に飲まれ越えられなかったこともあった。  この“症候群”に打ち勝つには私の心持ち一つなんだけど、そんな時にはちょうどよく、まさにベストなタイミングで“不運”や“難題”や“苦痛”が降りかかって来るのだもの。諦めたり断念せざるを得ないような重大事が症候群からの贈り物のように届くのだ。 まるで「さぁ、どうする?」 「それでもやる? やめる?」と私の意志を試し迫るように。  これまでは、「それは仕方ないね。」と周りが言ってしまうような重大事を受けて断念すると決めてきた。私も甘えて流されて「ごめんなさい。今回は出来ません。」と退いて来た事もある。これこそが“あと一歩だったのにね症候群”の恐ろしい所。一見、選択肢は一つだけでどうにもならないと想わせるような重大事を目の前に落とすのだ。  そして自分も周囲もその重大事に一時は納得させられた上に、批難を浴びない結果を選ばせて自分は傷つかず守られた状態にしてしまうのだから。更にケースによっては、同情や慰めまでおまけに付けて残してくれる。断念した私がそのベールを纏って縮こまっていても不思議はない状態を作ってくれるのだから。  でも、時間が経つと本人にはモヤモヤがやって来る。 「本当にもう出来なかったの?」「本当に挑戦できない状況だったの?」 そんな声が自分から聞こえてくるのだ。そして答える自分の声は 「ううん、本当はもう少し頑張れたと思う。最後まで出来たかもしれない。」 「本当は、挑戦できたと思う。」というもの。 そして更に 「もし、やり遂げていたら、今頃は上機嫌で満足感や達成感がいっぱいで、周りにも胸張っていられたんだろうな・・・ 自分の事をもっと好きでいただろうな・・・」 と心に浮かぶのだ。  そう、この“あと一歩だったのにね症候群”は、自分で自分を苦しめることになる心の癖だと私は思う。  だから本当は、これまで想いが叶わなかったのではなく、私自身が大事な場面で怖気づいてダメだと諦めてきただけだったかもしれない。振り返ってみてそう感じる事が幾つもある。それは、後悔とも違う残念な想い。過去の自分への残念な想いと慰めの想い。勿体ない事をしたなぁ・・・という想い。    今回の台湾旅に関しては、“症候群”に負けたくないと思っている。だからこの旅のプラン立ては、私の決意を固める作業にもなっていった。  そして、言葉の勉強もまだ日常の中の一つになっている。Eテレ番組を見てドラマを見て耳も慣らして。最近は、ドラマの次のセリフが分かる事もしばしば。がぜん楽しくなってきている。 そうして立てたプランで、憧れの恋する台湾へ、いざ出発だ。
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