そら来た! ハプニング発生

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そら来た! ハプニング発生

   新しい年の初めに大きな地震があった。その地震の緊張が解け始めた頃に「とにかく行く日を決めよう。」と動くことにした。 念願の地へ行くのだから、長らく憧れ夢見た分、出発は縁起の好い日がいい。そう決めて暦を見た。 今年では12月だけが、台湾が私の吉方位と重なる。上旬のちょうどよい平日に吉日があった。出発日は、その日に決まりだ。 そのまま今年のスケジュール帳に3泊4日の予定で“台湾旅”と書き込んだ。旅立ちは12月吉日。  あれから数カ月が経ち暑い暑い、ひどく暑すぎた夏の繁忙期を終え職場も落ち着いた頃、体に異変が起きた。    何だか寒気が頻繁に起こる。一日の内に数回の寒気とその後のみぞおち辺りの震え。若干のだるさ。そう言えば、いつの間にかズボンが緩くなりウエストを折り込んで穿いている。こんなに痩せた? それに時々の熱っぽさ。何だか暑いのか寒いのか、よく分からなくなっている。 更年期かな・・・なんて思ってた。 肌も乾燥してるし。仕方ないな・・・ 私はこんなパターンで出て来たのね。そう想っていた。  けれど今度は、全身の肌がすごく痒くなりあっという間に全身が紅くなった。そして紅黒くなってしまった。着替えやお風呂の度に自分の体を見るのも嫌なほどの肌色の変化。怖くなった。  その内に今までにないほど肌の乾燥が進みガサガサ、ゴワゴワになり、場所によってはボロボロと皮膚がめくれ落ち始めた。 これは本当にマズイ。本当に怖くなって、一人では抱えているのが苦しくなって、ちょうどお休みも増え始めたタイミングで病院へ。この時、恐怖心からネットで調べていて悪性の怖い病気と合致してるようで、見れば見るほど怖くなっていた。    だが何よりも、5年前に同じような症状で病院に行き“悪性リンパ腫の疑い”と云われたことがあったのが一番の大きな不安の種だった。 だって、今回の方が症状があっという間にひどくなって前回にはなかった症状まで起きていたから。  病院では再び検査となった。前回よりは検査の種類は少なかったけど、皮膚生検はあってお腹の辺りの皮膚を少し切り取って縫った。 結果が明暗どちらに転んでも、私にとっての試練だと肚を括った。    結果が暗なら当然、しっかりした治療が長期で必要になるだろう。深刻な状態であれば“残り時間”を意識せざるを得ないだろう。ウロウロ、のろのろ、ふらふらしている場合じゃない。これまで苦手としてきた“なりふり構わず”や“自分ファースト”をしなきゃ後悔する。そう強く感じた。  明であっても、担当医は“しっかり治療を続けましょう。5年前には、まだ新しくてあまり情報がなかった治療法も結果が出て来てるから、それを試す方向で考えていった方がいいかもね。”と高額だけど今は効くと云える治療法を示してくれた。  その治療法の事は5年前の時にもチラッと聞いていた。けれどその頃はまだ新しい治療法で、試した患者さんの数も少なく効くことに対してのあやふやさもあったし情報も少なかった。何よりお薬が高額だったのですぐには飛びつけずにいて、当時の担当医とのコミュニケーションエラーも手伝って通院から遠のいてしまった。  だが再発となり、やはりこんなに苦しく惨めな気持ちで日々を過ごすのは、もう嫌だという想いも強く、今回は医師の言うように必要があれば半年後には新しい治療法を受けるのがよさそうだと感じている。 「明暗いずれにせよ治療費は高くなりそうだ。」 そう覚悟した時、 「台湾旅は延期かな・・・ 今回の日程は断念かな・・・」という思いが浮かんだ。  しかもその数日後、何となく浮いているような違和感があった奥歯の診察があって、実は根元が折れていたことが判明。結局どうにもならないその歯は抜く事となった。ぽっかり空席となった奥歯の痕。これもまた治療費がかかりそうだ。泣きっ面に蜂とはこの事か・・・ 「いよいよ、台湾には行けないかな・・・」 と断念モードが鮮明になった。 「大好きなものが、やりたい事が、私からどんどん遠のいて行く。」 そんな感覚になり、コテンパンに叩きのめされてるような気分にもなり、どうしたらいいのか? 何を間違えたの? そんな気持ちも大きくなり混乱して動揺して、信頼する師に手紙を送ってしまった。  そこにも“台湾行きを断念せざるを得ず”とはっきり書いた記憶がある。今回の旅立ちを見送ったら、きっと次のチャンスは1~2年後。ゼロから資金を貯めなければならない。私はショックと失望でじわじわと染められていくような心持ちだった。  この重大事の少し前に、もう一つショックなことが起きていて心はひどく沈んでいた。だがこの心の沈みが、私の気力を奪い病院へと向かわせてくれたとも思う。  実は、台湾へ旅立つ前にもう一つ大きなチャレンジを設定していた。私は後半生の仕事に“日本語教師”を考えていた。セラピストでもある日本語教師になろうと。その為に“日本語教師技能検定”を受けようと決めていたのだ。    これまでにたくさんの職場を経験してきた。と云ってもほぼすべて接客業で、飲食店が多いのだけど。セラピストの仕事と並行して二本柱でやって来た。セラピストの方は、心理面と身体面の両方のケアの現場に立って来た。 50代を前にして体力や気力の変化を感じ 「これからをどうしていったらいい?」  「どうしたい?」 と自分に問いかけた時、セラピストの柱は絶対に残したいものだった。そのうえで、セラピストのスキルと可動域を1ランクアップさせたいと思っていた。それには新たなチャレンジとライセンスが必要になる。ならば、今の飲食店での仕事の仕方では体力的にも金銭面でも厳しいと感じていた。ここで大きく環境をシフトしなければこの先もセラピストでいることは難しい。 そんな時、見ていたSNSに“日本語教師・国家資格に”という広告が出てきた。直感的に「これだっ!」と思った。  こんな広告が出て来たのは、私がオリジナルのオリエンタル小説をエブリスタに公開していたり、スタンドエフエムでその小説を“聞く物語”として朗読していたからだろう。  そう気づくとSNSやネット広告のリサーチの怖さを実感するけれど、その時は感謝した。 その広告に希望を感じ未来を見つけた気がしたから。これからの私の道を教えてくれたようだったから。 思い返せば私は、言葉が好きだった。ずっと。幼い頃から。  自分がしたことで初めて公に褒められたのは、作文や習字だった。そしていろんな人の思惑に誘導され自分の思考にはなかった短大の国文科へ進学する事になった。卒業後の唯一となったOL経験は、出版社でのもになった。  その後長く続くことになった接客業では、お客様とのやり取りの言葉に気を配り美しい言葉を使う人に魅せられた。そして、中学生の頃にアナウンサーに憧れていたことを想い出した私は、飲食店で働きながら地元のローカル局がやっていたアナウンサー養成講座に通う事にした。短大しか出ていない私は、アナウンサーへの正規ルートを受験できなかったから。  養成講座終了後には、運よくお声がけを頂き地元番組でレポーターをすることも出来た。僅かの期間ではあったけど、中学生の頃の想いはちゃんと叶ったのだ。  結局、私は言葉が好きでずっと大切に向き合ってきたんだなぁ。なんてご縁を感じ、今大事にしているヒプノセラピーも言葉で誘うセラピーだと気付く。言葉があれば身一つでどこでも出来るから。  そんな流れで、日本語教師へのチャレンジも決めていたのだ。試験は11月。だから12月の台湾への旅は自分をねぎらう旅でもあり、半生を締めくくる旅でもあり、これまでとこれからを分ける分岐の旅になるだろうと感じていた。 だが、思わぬことが起きてしまったのだ。    夏の体調不良と忙しさに気力が落ちていたのか、試験の出願締め切りを見逃してしまった。「そろそろかも・・・」なんてネットを開いた時には、もう締め切られた後だった。ショック。血の気が引いた。頭が真っ白になった。 「私の計画がなくなった・・・」  「未来がなくなった・・・」  今年の日本語教師の試験に無事合格して、その道を開くつもりでいた私。来年からは、新しい仕事が増えるつもりでいた。だけど、私の未来の計画上にその道がなくなったのだ。心はひどく沈み自分が情けなくなった。こんなミスで棒に振るなんて。  体調は更に不調になり一人での対処は苦しすぎて、やっと病院に行く気持ちになれたのだと思う。このショックのお陰かもしれない。後になってだけど、今年の試験が受けられなくなったことは、順番が違うよ。道が違うよ。と告げているようにも感じた。  確かに私は言葉が好きで言葉の世界に関わっていたいと思っているけれど、それは日本語教師になりたい事とは違うから。正直なところ、「何になりたいのか?」と問われれば、「セラピスト」でありたい。「言葉の紡ぎ手」でありたい。言葉によるセラピーを届けたいのだ。物語をかくことで、声にして聞いてもらうことで、だれかとの対話や自分との対話によってセラピーになるように。それが出来る人でありたいのだ。    日本語教師は、それを維持する為の私の手段にしたかったのだと気付いた。「だからかな・・・」私の素直な声が空洞になった心に響いた。「だから取り上げられたのかも・・・」  本当にやりたい事にまっすぐ向かわず、自力だけで目指すことにこだわり回り道の付加価値を拾おうとした。それは人生の保険のようなもので、自信のなさや勇気のなさのカモフラージュ。そんなふうに感じた。  結局は、“怖い怖い症候群”や“あと一歩だったのにね症候群”の中に未だ居るのだ。いかん。遺憾。私が14歳~17歳だった時の心を取り戻したいのなら、やっぱり違う。そこに居てはダメだ。心の1番にまっすぐ向かわなきゃ。1番を実現させる方法を見つけなきゃ。そう感じた。そうじゃなきゃ、2つの症候群から抜け出せないまま後半生も終えることになってしまいそうだ。
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