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第4話 夜のカブ、そして依頼
知理の部屋を出る頃には、もう既に午前一時を回っていた。
「たすく家遠い?」
「まあ、近くはない。タクシーでも乗って帰る」
「それなら私に良い考えあるよ?」
知理は配達用であろう濃紺のカブを指差す。
「ああ、いつも乗ってるのか」
「うん。任せて」
なんだか得意げに頷く彼女は、すこしばかりおかしかった。
ステップに足を乗せ、ヘルメットをかぶると、俺は、へっぴり腰で知理に抱きついた。
「初めて二人乗りしたわ」
「私も」
風とエンジンの音にかき消されないよう、知理は少し大きな声を出す。
「今日あそこにいたのも人助け?」
「そりゃな。風俗目当てで来たわけじゃない」
「どんな依頼?」
知理は本当に、俺がやっている人助けに興味を持ったのか、質問を続ける。
「ラノベが好きな奴はキモいんだってさ」
軽く知理は頷くと、俺に続きを促す。
心地良い静かな空気をまとい、俺たちは夜の街を駆け抜けていく。
「依頼してきたやつが言うにはさ、教室でラノベを読んでたらしいんだよ。ライトノベル」
「うん」
「それで、たまたまクラスの人気あるような奴らにそれを見られた」
「ふーん」
おそらく知理には、この気まずさが伝わっていない。
「で、そいつらはアニメとかラノベとかの耐性が全くなかったんだよ。だから依頼主は軽くいじられるようになって、すぐに、からかわれるようになった」
「そう、なの?」
「この世の中、お前みたいに心が広い奴ばかりじゃないんだ」
「私、心広い?」
知理は不思議そうに呟く。
最近いくらヲタクの文化が世間に広まったって言っても、気を抜けば、すぐに差別の対象となり得る。要するに置かれた環境、そこにいる人ガチャなのだ。
「気が付けば、依頼主は、気持ち悪いオタクっていう肩書を張り付けられてた」
「......」
「教室ではもちろん、家でさえ、依頼主はラノベを読むのが楽しくなくなったそうだ」
「うん」
「だからどうにかなんないかって、依頼が来たわけだ。物は試しに、そいつのクラス見に行ったけどな、それは陰湿、っていうか反吐がでる空気だった。以上、たったそれだけの話」
俺はふと、知理を強く抱きしめてしまっていたことに気付く。
「くだらないね」
「そう、くだらない。くそほどくだらない話なんだよ。でも、そんなくだらないことで、自分の感情を抑え込まなくちゃならないなんて、冗談じゃないっ! 好きなものを好きって、そんなふうに言えなくなることは全っ然! 全く! くだらなくない」
「............うん」
俺の話に、知理は正面から向き合ってくれている気がした。
「んなことあっちゃいけないんだよ。……抑圧が続けば、人は必ずその感情を表に出せなくなる。......一度出せなくなった感情は、ちょっとやそっとじゃ、取り戻せない」
「............だから、たすくは人を助けるの?」
「............どう、なんだろうな?」
自分でも正直まだ分からないのだ。
人を助けたいという確固たる意志があること以外。
「そっか、たすくにとってそれが大切、なんだね」
「そう、だな」
俺は一体、今日初めて会ったようなやつに、何を話しているのだろうか。
「えっ、でなんであそこにいたの?」
「それはもちろん諸悪の根源を脅すために決まってるだろ」
「脅す?」
「いじめの主犯は風俗に遊びに来てたんだよ。三日尾行してやっと弱みを見せやがった」
「三日間ずっと? すごいね」
「俺がやりたくてやってることだからな」
「それは確かに病気かも」
ようやく俺の言っていた意味が、知理にも分かってきたようだった。
「まあそいつの写真は撮れたし、これを依頼主に渡して、後どう使うかは本人次第だな」
「そっか。またラノベ、好きになれるといいね」
「そう、だな」
知理の運転は意外にも優しく、とても心地良いものだった。
***
科学の文字に白いビニールテープが張られ、ただの準備室と化した教室に入る。
「昨日ぶりだな」
「うわっ、びっくり」
そこには低いソファに腰かけ、制服に身を包んだ知理がいた。
相変わらず表情は真顔のままだ。
「昨日は送ってもらって助かった」
「いいよ全然。二人乗りってあったかいね」
大丈夫、大丈夫。こいつが話す言葉の八割方に意味などない。
あと机の上に鎮座している大量のパンの耳が入った袋は、一旦無視しよう。
「そう、か。で、勉強中、申し訳ないが、依頼の話をさせてくれ」
「私はいいけど、たすく授業は?」
「今日は自習らしい」
「そっか。じゃあ、とりあえず座りなよ」
知理に引っ張られ、俺は隣に腰掛ける。
いやっ、来客用のソファで隣同士に座るって、おかしくないか?
「昨日話した依頼でしょ? どんなの?」
「ああ。話すから寄ってこなくていい」
とりあえず今回、知理に手伝ってほしい依頼をスマホのリストから探す。
スマホの画面を見せながら説明するなら、結果的に隣に座った方が良かったか。
「それなに? 依頼のやつ?」
話せば息がかかるほどに知理は俺に近づく。
「だから、寄ってこなくても見せるから、離れろって」
「分かった」
知理は一旦俺から離れると、パンの耳をもちゃもちゃと、つまみ出す。
昨日もそうだが、こいつ常時何か食ってるな。
「たすく、この画面にいっぱいあるやつ全部依頼?」
知理の髪が頬に触れ、くすぐったい。
もうこいつの距離感がバグっているのは諦めよう。
「そうだよ」
「全部一人でやったの?」
「まあな。で、これだ。この猫探しの依頼」
「猫っ!?」
こいつが無類の猫好きなのはよく分かった。
「あと一応、念のためだけど、依頼内容は他言無用で」
「うんっ」
知理は鼻息荒く頷いた。
依頼の内容は次のようなものだった。
【注意!!! ※※※五月七日十一時三〇分がタイムリミットです!!!!※※※ 猫を探しています。特徴は黒猫で、左目のところが白く星型になっています。神川市北区栄一丁目五十二番地にある、赤いポストの右側に立って、道路を挟んだ右斜め前、一番近くの電柱をまっすぐ見つめた先、そのあたりに猫がいると思います。よろしくお願いします】
「黒猫もいいよね」
「いや、知らんけど」
こいつ本当に依頼内容読んでたか?
「うーん。内容は読んだけど、猫探しってことじゃないの??」
「まあ、依頼主のことを全面的に信用するならそうだな」
知理は眉間にしわを寄せる。
「たすく、私そういう難しいの分からない」
何となく分かっていたが、推理の類までも得意というわけではないらしい。
不得意なことがある方が、よほど人間らしい。
「まあ読ませておいて悪いが、今回、知理に頭を回してもらう必要はない」
この依頼が指し示す本当の意味に、俺はおおよそ検討が付いていた。
「そう、なの?」
知理は余計に何が何だか分からないといった感じで、頭を左右に揺らす。
「そうなの。で、このタイムリミットとやらが明日なんだよ」
「うわっ、急がないと」
「そこで明日、時間になったらこの喫茶店まで来てほしい」
「分かった。ここ配達先のひとつ」
「よし、それなら大丈夫だな」
本当ならもう少し詳細について知理に話しておきたいが、まだ自分の推測に確証を持てない。
「一応、今回の依頼のポイントを三つ話しておこうか」
「たすく、探偵みたいだね」
おお、俺が人生で一度は言ってほしいセリフが出ました。
「一つ目、猫の詳細が最低限しか書かれていないこと。二つ目、場所に関しては、やたらと限定的な内容が書かれていること。三つ目、猫探しにタイムリミットがあること、だ」
「クイズみたい」
「まあ暇なら明日までに考えてみてくれ」
「うんっ! やってみる!」
これだけのヒントで真相に辿り着ける奴がいれば、それは天才だ。
「あ、あとな。明日、準備運動は怠らずに」
「何か運動するの?」
「その可能性が割と高い」
まあ悪い奴をとっちめるというのも、物理的側面から見れば立派な運動だろう。
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