第3話 水家たすくの思惑

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第3話 水家たすくの思惑

***   「ここ」 「ここが家、なのか」  一般的なマンションとは違い、エントランスのようなスペースは見当たらない。  1階部分はシャッターが降りており、自転車とカブが多く停められている。ガレージといったところか。  和田の家とは、おそらく2階部分のことなのだろう。4部屋分のベランダが確認できる。  現在11時30分、明かりの点いた部屋はない。  2階へと続く入口は常夜灯に照らされており、虫たちが、ばちばちと突撃を続ける。 「この辺真っ暗だよね」  こっちこっちと言いながら、和田は冷え切った手で俺の手を引くと、ずんずんと階段を上がっていく。  階段の途中には住民向けの掲示板なのか、ゴミ出しのルールや、新聞の勧誘、配達員の募集など、所狭しとチラシが張り出されている。  2階に着き、リノリウム張りの薄暗い廊下を進むと、204号室と書かれた黄色い扉の前で和田は止まった。扉のそばには、しおれたビニール傘と、ひび割れた招き猫の置物があった。 「えーっと。……あれっ? 開かない? あっ、そっか」  和田は鍵がうまく回らないのか、少々扉の前で手間取る。 「大丈夫か?」 「大丈夫。鍵閉めてなかったみたい」 「どのへんが大丈夫そ?」   ***    和田が手探りで電気のスイッチを押すと、ぱちぱちと丸型の蛍光灯が灯った。  部屋は五畳一間で、奥にある押入れが出張っており、より一層窮屈に感じる。しかし金のない高校生が一人暮らしとなれば贅沢は言っていられない。  全体的に部屋は物で溢れかえっていた。かろうじて布団を敷くスペース分は畳が顔を出している。  押入れはふすまが取り払われており、衣装ケース、掃除機、本、それになぜか炊飯器と、とにかく物が種別問わず大量に詰め込まれていた。 「昨日掃除したからまあまあきれい」  こいつにとって掃除とは何であろうか。  今すぐにでも自問自答していただきたい。 「まあ、いきなり押し掛けたのは俺だしな」  壁面には1つだけ、すりガラスの窓がついており、カーテンレールには確かに俺と同じ神川高校のセーラー服がかかっていた。その隣には洗濯物も吊り下げられており、俺は意識的に視線を外す。 「おいっ。お前何しようとしてる?」  和田は唐突に着ていたウインドブレーカーを脱ぎ始めていた。ちらりとお腹が見えてしまい、目のやり場に困ってしまう。  飛び蹴り女が腹立たしい。 「ああ。男の人の前で着替えたらだめか」 「廊下出てるから、終わったら言ってくれ」 「うん。ありがとう」   ***    しばらくして部屋に戻ると、和田は全身グレーのスエットに身を包み、座布団の上に体育座りしていた。  改めて明るい場所で見ると、和田はなんだかイケメンだった。少なからず俺なんかよりは確実に。  目は相変わらず眠そうなのだが、くっきりとした涙袋と、すらっとした鼻筋。無造作にも肩くらいまである髪は、綺麗な藍色に染められており、どこかアンニュイな印象を与える。 「ん?」  不思議そうに和田は俺を見つめる。  こいつのペースに乗せられてはいけない。 「なんでもない」 「そっか」  俺と和田の間には小さなちゃぶ台が置かれており、湯呑からは湯気が立ち上っていた。 「これ、いいのか?」 「うん。社長からもらったお茶だからおいしいよ」 「社長?」  またこいつは何を言っているんだと思いつつ、お茶をすする。外が寒かったのもあり、じんわりと全身に熱が染み渡っていく。 「そう社長。うーん何から話せばいいだろ? えっと、その社長っていうのは新聞配達の社長でーー」  銀色の缶箱を開けると、和田は、せんべいをバリバリと食べ始める。 「新聞配達? ............玄関先の自転車とカブって、そういうこと、か。一階が集配所か?」 「すごい、よく分かったね。住み込みで配達してる」  こいつの上下ウインドブレーカーの恰好も掲示板のチラシにも納得がいく。 「それは.......大変、だな。いつから――いやっ、この辺の話が金に困ってるのと関係してるのか」  また少し和田の目が見開かれる。 「水家はなんでも分かっちゃうね。うーんっと......いつからかは、高1から、かな。本当は中卒で働こうと思ってたけど、おばあちゃんが高校はお願いだから卒業してくれって」  中卒で働くとは、また極端な話だ。 「おばあちゃんか。家族はいないって話だったけど、もう亡くなられたのか?」 「私が中3の時に死んじゃった。高校は行ってほしいみたいな話してすぐだった」 「それで、新聞配達を?」 「おばあちゃんとここの店の社長が友達だったみたいで、結構前から私親もいなかったし、おばあちゃん以外に頼れる人がいなかったから、何かあったらって話してたみたい」  和田は話し終えると、今度はパンの耳が大量に入った袋を小脇に抱え食べ始める。  緊張感のかけらもない。 「なるほど........................。ご両親の話は聞いていいのか?」 「うーんとね、お父さんとお母さんは私が小学生の頃に別れちゃって、それでお母さんが引き取ってくれたんだけど、すぐに新しい男の人が出来ちゃって、捨てられたって感じ」  相変わらず和田は、よどみなく話し続ける。 「父親は面倒見ようとしなかったのか」 「それはなかったね。もともと仕事しかしてないのが理由で離婚した人だったし」 「…………そう、か」 「なんで水家の方がつらそうなの? 耳食べる?」  そんな顔になってしまっていたのか。 「いやっ、お前が普通って感じで話過ぎてるだけなんだよ。あとパンの耳はいらん」 「そう、かな?」  こいつは本当に寂しさを感じていないのだろうか。家族がいないという決して普通ではない、当たり前ではない悲しさを、苦しさを。 「まあ俺の親も中学で離婚してるから、なんとなく共感できるところもあるんだよ。ちょっとだけな」 「へぇー知らなかった……」 「そりゃそうだ。俺和田と学校で1回も話したことないしな」 「私も水家以外、同じクラスの人とまだ話したことない。みんなの顔と名前はちゃんと覚えてるけど」  こいつは記憶力も凄いのか。  というかもしかして、そういうことなのか。 「和田お前、新聞配達やってて午前中いや、午後もか? 学校にそもそも来てるのか?」 「午前中は眠くて。さすがに午後からは行ってるよ? 15時過ぎとか」 「それはもうほとんど放課後だろ」 「それは、そうかも。だからいつも別の教室で課題やったり、テスト受けたりしてるんだよね」  こいつにも気まずさみたいな感情はあるのだろうか。 「ほーん。それで最低限、登校日数と単位は稼いでるのか。てかそれで先生も許してるってことは、もしかしてテストとか結構いい点数取ってるんじゃないか?」  和田は唇に指をあてがうと体を左右に揺らす。 「まあテストの点はいい方かもしれないけど。……それより、水家は私のこと変だって思わないんだね」 「いや変だとは思ってるぞ。かなり。でもお前が朝から学校来てないうんぬんは別にどうでもいい。学校の使い方なんて人それぞれだろ」  黙ったまま和田はまじまじと俺を見つめる。 「それこそ高校はもう義務教育じゃない。好きなようにすればいい。ましてや和田は自分で学費もねん出してるわけだしな」 「へぇーおもしろいね。そんなこと言う人初めてかも」  全く表情は変わっていないし、どの辺がおもしろかったのか疑わしいが、本人がそう言うのだから信じよう。 「それなら水家はなんで高校生やってるの?」  高校生をやるという表現はいささか耳馴染みがないが、問われてみると意外にも深い質問かもしれない。 「うーん............人を助ける、ためだな。それ以外の理由は特にないかも、な」 「ひとをたすける?」  和田は分かりやすく小首を傾げて見せる。しかしやっぱり表情は一切変わらない。 「そう、人助け。俺は人助けがしたい。でもな進学しないと、この人助けをビジネスとして昇華させないといけなくなる。稼がないと社会人としては生きていけない。でもそれはめんどくさい。だから高校に進学すれば、お金のことを気にせずに俺はただ人助けに専念できる」 「何それ。へんだね水家」  和田はパンの耳を食いながら真顔で言い放つ。 「いやっどっちが? ............まあ確かに、普通、ではないんだろうなとは思ってる。でも仕方ない、俺の自然な欲求で発散しないとおかしくなる。もう病気だな」 「病気、か。なるほど。自分がやりたいことをしてるだけってこと?」 「そう! 今日お前と会ってから一番すんなり会話できたわ」  パズルのピースがはまったかのような爽快感が押し寄せる。 「ていうか知理でいいよ」 「なんだ急に。どのへんで仲良くなったんだよ」 「私同世代の人とこんなに話したことほとんどないし、もう友達だよ」 「友達、ね」  こんなに正面から友達などと言われたのは、いつぶりの事だろうか。    いやっだから、パンの耳を差し出されても俺は食わない。 「それでたすくのやってる人助けって、どんな感じなの? 気になる」  本当に気になってるのかと聞きたくなるくらい、さっきから同じ顔だが、もうこういうやつなんだと諦めるしかあるまい。 「うーん。まあ……具体的には、学校の掲示板とか保健室とかいろんな場所に人助けしますっていうQRコードを印刷した紙を張っておく。で、依頼人がそれを読み込むとアンケート形式のサイトに飛んで、そこで記入した内容を送信すると、俺が管理してるページに反映されると」  手短に説明したつもりだが、知理の首は曲がったままだ。 「依頼来るの?」 「正直件数としては結構来る。1週間に10件くらいだな。でも大半は変な紙切れを見つけたって面白半分で送信してくる奴がほとんどで、内容が書いてあっても連絡先がなかったり、まともな依頼はかなり少ない」 「そんなもんか」 「そんなもんだ。まともなやつっていっても、人生相談とか恋愛相談にのってほしいくらいのもんで、えーっと、そういえば最近だと猫探してくれっていうやーー」 「猫っ!?」  知理はちゃぶ台に両手をつくと、こちらへと身を乗り出す。  間違いなく今日1番のリアクションだ。 「なんだよ?」 「猫、好き」 「そ、そうか」  猫が好きだから玄関先に招き猫があったのか。いや、猫好きってそういうものか?  こいつはいちいちどこかズレている気がする。 「それやってて、たすくは楽しい?」  こいつの場合、馬鹿にしているというよりかは純粋な興味から聞いているような気がする。 「楽しいっていうか、快感だな。気持ちがいい。性欲を処理するのと同じ。やらない方が気持ち悪いっていうか」 「やっぱりへんだね」 「否定はできない」  俺だって気づいた時にはこんな人間になっていたわけで。 「でもさ、たまたま困っている人がそばにいて、それを見過ごすことができないってことなら分かるけど、水家のそれって自分から面倒ごと探してるよね?」 「そうだ――」 「へんだねっ!」  どの辺でこいつの興味を引いたのか分からないが、知理は前傾姿勢になっていた。 「何回言ってくんだよっ。だから言っただろ? 病気なんだって」 「そっか! だから病気ね、なるほど。人助けしたい病なんだ」 「人から言われるとめちゃくちゃ腹立つけど、まあ、そういうこと」  人助けしたい病ってダサすぎるだろ。 「やっぱりたすく、へんでおもしろい。一緒にいると楽しい」  少しくらいはこいつの表情筋を動かしてやれたのだろうか。 「こんなくだらん話で楽しめたなら良かったよ。で、これだけは聞かないと帰れないんだけど知理、ソープで働こうとするくらいだ、まだ金が足りないのか?」  そうだねと知理は小さくつぶやく。 「うーんまあ、学校は公立だし、夕ご飯は毎日社長にごちそうになってるし……なんとかはなってるけど…………足りないのは、足りない」  こいつには珍しく歯切れが悪い物言いだった。 「……そうか、そうだよな。……社長、いい人だな」 「うん! すっごくいい人! 大好き」  知理の心からの言葉のように俺は感じた――。    ーーさぁでは本題に入ろうか。     「――――じゃあ知理、俺に雇われないか?」       「............雇う?」  さすがのこいつも少しばかり驚いているのか少し眉が上がる。 「そう。まあ当然ソープと同じだけの金なんて払えないが、お前が今やってる新聞配達の時給よりは出す。出来高にもよるが、最低1時間2000円は払おう」 「そんなに? やっぱりたすくってお金持ち?」 「いや全く。金なんて無いに等しい。でも俺も一応バイトしてるしな。それに最近、死んだじいちゃんの遺産も入ったしな」 「それって、使っていいの?」 「相続人の自由だ。法律でそう決まってる」  祖父など俺が生まれる前に亡くなっている。 「そう、なんだ」 「そうなの。で、やるの? やらなーー」 「やる。絶対やる。楽しそう」  そう言うと彼女は少年のように、にっと笑った。  笑ったらちゃんとかわいいのかよ。  やっぱり少しむかつく。 「たすくさ、どうしても確認したいんだけど」  早速、何をやるのか知りたいといったところか。 「やっぱりさ、たすく絶対餃子食べたよね?」 「お前と会う前に食ったよっ! うるせえな」      
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