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第1話 お風呂屋さんはお好きですか
高架下をくぐれば、そこはピンクな風俗街だった。正確には、ソープ街。お風呂に入っていたら、偶然そこにいた女の子と恋愛に発展し、気付けば、大人の階段を最後まで駆け上がることができるという。
埼玉県は大宮、新幹線が止まるくらいしか取り柄のない、にわか東京みたいな街。そんな街の北銀座と呼ばれるここは、大人のお風呂屋さんとバカでかい高層ラブホで埋め尽くされていた。
先に断っておくが、高校生になって彼女もできず、未だ童貞の身を案じて先走った結果、ここに来たわけではない。
俺は今、人を助けるためにここにいる。
人助けをしているだなんていうと、大抵の人間からは、優しい、良い人なのだと勝手に解釈をされることが多い。また一部の大馬鹿野郎は、助けるという行為にペシミスティックな意味を見出し、自己犠牲だ何だと言ってくる。しかし、俺からすれば両者不正解。勘違いも甚だしい。俺はただ、自分が気持ち良いから、興奮するから人を助けるのだ。〝自分のため〟以外の何物でもない。それこそ、風俗で見ず知らずの女に一発抜いてもらうよりも、よほどの快感を味わうことができる。
ただ自然発生的に、悪く言えば病のように、〝人を助けたい〟という欲が生まれ、その欲を気の向くままに処理しているだけなのだ。
「おっ」
店から出てきた対象の男は、万引き犯のようにあちこちに視線を向ける。
俺はスマホの画面を確認しつつ、腕時計の角度を対象に合わせ、リューズを絞る。
「よしっ」
忘れないうちに、スマホの完了済みリストに今回の依頼を登録する。ちょうど三〇〇件か。 二十二時三〇分、対象の顔もばっちり抑えたところで、俺の三日間にも及ぶ尾行は終わりを告げた――。
と思った。
見知らぬ女が宙を舞う。
これまた正確には、風呂屋の黒服が、二人がかりでその女を投げ飛ばしたのだ。振り子のように。投げ飛ばされた女は尻もちをつくかと思いきや、コサックダンスよろしく、左足一本でアスファルトに着地する。女はそのままむくっと立ち上がると、すぐに黒服達へと近づいていく。
気が付けば、俺は何も考えず女のもとへと駆け出していた。
女と二人の黒服は、ラブ&ピースと書かれたネオン管で、ピンク色に照らされていた。女はこの場所には似合わない、上下ウインドブレーカーのような出で立ちで、くたびれたスニーカーを履いていた。遠目には分からなかったが、身長は一七〇センチ以上はあるだろうか。少し大柄なものの、体つきがほっそりしているせいか、あまり威圧感を感じない。所々髪の毛がぴょんぴょんと跳ねており、なんだか少し眠そうな目をしていた。
「――だから無理なんだって!」
もういい加減にしてくれと言わんばかりに、一人の黒服が女に繰り返す。
「どうしてですか?」
少し不満そうに、女は平然と同じ質問を繰り返す。その言いぶりたるや、「なんでおかし買っちゃダメなの?」と親に聞く子供のようだ。明らかに、さっき自分を投げ飛ばした人間に対するそれではない。全く恐怖心を抱いていないように見える女は、瞼に支配されがちな目で黒服たちを見つめる。
「どうされました?」
俺はできるだけ丁寧な印象を与えるよう、黒服たちに話しかける。
「あんた誰?」
黒服の一人が怪訝そうに答える。
「あっすみません。私は厚労省の風営法対策班から参りました、大宮地区担当の藤沢と申します」
こういうときに警察はベタ過ぎる。
「ああ、えっ? 厚労省!? いやっ勘弁してくださいよ。うちの店はあくまで合法ですよ。合法」
知識に乏しい人間は、国の一役所名を口にしただけで勝手に尻込みする。もう一人の黒服はまずいと思ったのか、電話がかかってきたふりをして俺から離れていく。
「ああいえ、違いますよ。今日は風営法違反を聞きつけてお尋ねしたのではな――」
「あっ、違うのね! もうびっくりしましたよ!」
黒服は分かりやすく胸をなでおろす。
「すみません。いや最近は、風営法の取り締まりだけでなくて、未成年なのにこういった場所に出入りしている子がいないかパトロールしてるんですよ」
この場を切り抜けるためだけの言葉をつらつらと俺は吐く。
ふと女に目線をやると、首を左右に傾けながら、ぶつぶつと何か言っている。どういう感情なんだ、その顔。
「これはもうベストタイミングですよ! お兄さん! こいつ連れて行ってくださいよ」
黒服は調子よくそんな提案を俺にする。
「彼女は――」
「あれっ? やっぱりそうだよね? 同じ高校の……水家、だよね? 水家たすく。何してるの?」
唐突に自分の本名を、しかもフルネームで呼ばれた俺は、心臓を鷲掴みにされたようだった。
「は?」
全ては台無しだった。折角あと少しで穏便に、未成年者の保護という題目で、この場を収めることができたというのに。
「高校? お前厚労省って。……おいガキ、なめたことしてくれたな」
「やばっ……」
もう作戦変更、無理やり女を連れ出し逃げようとしたその時、女は何かひらめいたかのように「あっ」と言うと、屈めとジェスチャーで俺に促す。
「は?」
何もできずに立ち尽くしていると、女は俺をめがけ全速力で向かってくる。訳が分からないままとっさに身を屈めると、女は当然のように、俺の背中をロイター板かのごとく踏みつけ、勢いそのままに飛び上がった。
「よい、しょーっと」
まるで数式のイコールかのようにきれいに揃った足で、女は黒服の顔面に飛び蹴りをくらわせた。まさに電光石火の出来事だった。
「……………………何してんの」
「えっ? いや、さっき投げ飛ばされたからさ。やり返すの忘れてて?」
その「なんで?」みたいな顔が腹立たしい。
早くこの場から逃げねば、自分の高校生活までもが危ぶまれると感じた俺は、再び女の手を引いて逃げようとすると、先ほど逃げ出したバカの方の黒服が待ち構えていた。
「いやいや。これだけ大暴れして逃げるのはね。うちみたいな店ってさ、バックに結構やばい人たちいるのよ?」
さっき厚労省と聞いて逃げたことをもう忘れたのか。バカ黒服は高校生二人を大人気なく恐喝してくる。
しかしこれはまずい。本当にまずい。十七にして指を失うのはやばすぎる。
「ほっっんとにすみませんでした!!!!」
自分の頭が腹にくっつくくらい謝りつつ、俺はポケットの中からそっと秘密道具を取り出す。勢いをつけて頭を戻すと同時に、点滅式のフラッシュライトを黒服の両目に浴びせる。突然の光に目を潰された黒服は、顔を左右に振りながら後ろによろめく。
「おい!! 後で金やるから、あいつもぶっ――」
「ほいっ」
ぶっとばせと女に言おうとした瞬間、本日二度目、およそ四〇秒ぶりのライダーキックは、もう既にバカの黒服を直撃していた。それはもうきれいな蹴り筋で、ただのアスファルトからジャンプしたとは思えない、とんでもない跳躍を見せていた。
俺は思う。それだけ飛べるなら、さっき俺を踏み台にする意味なかっただろと。
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