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『蒐集』
彼は子供の頃から、誰に言われるでもなく至極自然に『舌苔』を集めていた。
切っ掛けは手鏡をのぞいて、自分の舌に白くフワフワした何かが茂っていると気が付いた瞬間だったであろうか。何の気もなく爪を立てたら、白いナニカはサックリと掘り出せた。
日ごろから嚙んでいるギザギザした爪でひっかく度に、爪の裏に溜まっていく白いものが『舌苔』と呼ばれる垢のような汚物であると、質問した母から気色悪そうに教えられた。
「ねぇ、ちょっと、辞めなよ、そんなことするの」
母が眉間に皺を寄せてヒステリックな声を上げる理由が分からなかった当時四歳程の彼は、ニコニコと笑いながら「えぇなんでぇ」と青鼻を垂らしながら舌をまた引っ搔いた。
すると、粗方絶対は採りつくしてしまったらしく、もう舌をいくら掘削しても白いフサフサは取れなかった。
そんな汚らしいことをするより鼻をかめと声を荒げる母の権幕に恐れおののいた彼は、鼻をかむどころではない程に怯えて泣きじゃくった。育児疲れの最中である母親は息子をなだめる気力もない。背中を向けると、息子に話しかけられたせいで中断せざるを得なかった洗い物を再開した。
巨躯に物を言わせて自分を威圧し、怒鳴りつけて攻撃してくる母親が自分に対する攻撃態勢を解いたという現状に安心した彼は、青鼻を垂らしてリビングへ戻っていった。
再び手鏡をもって自分の舌をジッと見つめると、白く生い茂っていた舌苔は亡くなってしまった。興味関心の対象を失った彼はガッカリと肩を落としてしまう。
しかし、一週間経った頃。彼は歯磨きの時に自分の舌へ再び舌苔が生い茂っている事実に歓喜した。目新しく興味深い舌苔という新発見の再来に興奮すると、さっそくギザギザの爪で採掘に取り掛かった。
どれくらいとれたかな、という純粋な疑問に駆られた彼は爪の裏にタップリ溜まった舌苔を、ティッシュの上にまとめてゆく。
それは大した量ではなかったが、この白く湿った物質が自分の舌にのっていたのだという発見を誰かと共有したかった。
一人っ子の彼は、常に近くにいる専業主婦の母に見せに行こうと決めた。
彼にとって母親とは、体格差を活かして自分を思い通りに動かそうと強制してくる恐怖の対象である。しかし彼自身も自覚していない生物としての本能か、何度怒鳴られたり引っぱたかれでも母親と接触を試みる行動をとっていた。
だが、もっぱらその行動は裏目に出てばかり。今回も変わらなかった。
実の息子がティッシュの上に集めた舌苔を誇らしげに見せて来たとき、背筋を虫唾が走り抜けていった。
「ちょっと、なんなのそれ!」
不潔な排泄物を大切な宝物とばかりに目を輝かせて見せてくる息子に、彼女は腹の底から怖気を催した。
「捨てて! 今すぐ! 捨ててよ! 気持ち悪いから!」
すると気の弱い息子は、手に持った汚物を捨てるどころではない程の勢いで泣きじゃくった。顔を真っ赤にして号泣しながら恐れ戦いている息子には、これ以上何を言っても無駄だと悟った。
泣き止ませようと肩に手をかけたが、触れられたことに怯えてしまったらしく鳴き声は一段と強くなった。発見した喜びを実の母と分かち合いたかった舌苔が入ったティッシュ。そいつをギュッと握りしめてひたすらに泣き声を上げた。
言っても聞かないと思った母は息子の手から力づくでティッシュをもぎとると、ゴミ箱へ捨てた。
「ううぅうんぶぅうううあぁああぇあ」
言葉にならない必死の声を上げながら、息子は宝物を取り戻すためにゴミ箱へ駆け出した。止めようとする母親より先に、勝手に自分で右足を自分の左足につっかけて転ぶと、頭を床にしたたかにうちつけた。その痛みで一層泣き声は強くなる。
濃く緑が勝った青鼻を垂らしながら咽び泣く息子に憑かれた母親は、息子に話しかけられたせいで中断せざるを得なくなっていた洗濯を再開した。
以後、賢明にも彼は舌苔を母親へ見せてはならないと学習した。
同時に、舌苔は彼にとって単なる目新しい発見ではなく、乱暴な母親に対する抵抗の象徴と変わった。
毎日歯磨きの時に舌苔を確認しては、ままごとセットのプレートの中に貯めていった。
――ぼくは乱暴な悪者には屈しない。
彼の思考を代弁するなら、大方こういうところであろう。
母親が家事に集中するために息子に見せていた児童向けアニメには、度々乱暴な悪役が登場した。暴力を頼りに主人公達から何かを奪い取る悪いヤツ、そんなキャラクターに彼自身はいつしか母親と同一視するようになっていた。
自分をいつも怒鳴りつけ、時には引っぱたく。絶対にいけないはずの暴力を振るっている様を父に笑いながら揶揄されても「躾」「教育」と言って聞かない母親。
躾という単語も教育という単語も知らない彼にとっては、母親は言い訳ばかりして全く改心しない困った人――そんな、絵本に出てくる悪役と変わらない存在としか映らなかった。
舌苔を集めていると、彼は自分が乱暴な悪党の言うことに従う敗北者ではないのだという実感を覚えていた。もちろん、明確に言語化して思考していたわけではないが、漠然と斯様な反抗的な考えを成熟させていた。
同時に、そこには至極単純な知的好奇心もあった。
あんなに真っ白でフワフワと茂っていた舌苔は、一度プレートに置いておくと翌日には乾燥して茶色く変色している。それも斬新な発見だったが、この新発見は当然母親には共有しなかった。それくらいの学習能力は彼だって持っている。
果たして、舌苔はどれぐらいのペースで映えてくるのであろうか。何日経てば、どれぐらい蓄積させるのだろうか。今は茶色く変色し乾燥して固まっているが、もっと時間が経てばさらに変化するのであろうか――。飽くなき知的な欲求に心を躍らせながらままごとの皿に舌苔を貯蓄しては、おもちゃ箱の中に仕舞った。
母親は、どこに息子の鼻クソがついているかも知れないオモチャ箱には触れたがらなかったため、決して見つからない最適な隠し場所だった。
そうして一年、二年、三年と経ってゆく。
小学校に進学してからも、彼の舌苔集めは続いていた。この頃には、舌苔はおもちゃのプレート一杯にコンモリと積もる程の量になっていた。
段々と隠しきれない量になっていくと危惧していたが、この頃から彼に勉強用の学習机と彼個人の自室が親から与えられた。
新たな隠し場所を得た彼は大喜びで、舌苔集めを継続した。この頃からは単に知的好奇心だけではなく、「こんなに貯めたのだから、辞めてしまったらもったいない」という別の心情が芽生えていた。
継続した習慣を辞めてしまう選択は、今まで自分が費やしてきた時間を否定する行為に他ならない。そんな愚行は嫌だ。『継続は力なり』と、続けることの大切さを国語の授業でも習ってきている。
彼の父親も、大して面白いと思っているわけでもないのに基本サービス無料のソシャゲを手が空く度に「せっかくここまで進めたのだから」と毎日ログインしていた。父親に似た継続に対する執着が、息子の彼にも有されていたのだろう。
中学に進むころには、もう大変な量になっていた。
恐らく、ここまで舌苔を蓄積している人間は世界中いまい――そんな“世界一”という自負が、彼にまた一つ舌苔を集める理由を与えていた。
貯め続けた舌苔を見ていると、彼は心が安らぐのを感じていた。
なにしろ彼にとって現在進行形の中学生活は酷いものだったから。
否定。
常に、否定が付きまとった。
勉強をすれば「自頭が悪いんじゃね」と同級生から知力を否定された。
部活動でテニスをすれば「運動音痴なのになんで来たの」と身体能力を否定された。
クラスでは「お前、つまんねぇことしか言わんやん」と面白さを否定された。
人気者の同級生が来ているような服を親にねだると「なにを色気づいちゃってんですか」と父親に嘲笑され、「そんなチャラチャラした子の影響なんて受けたらダメだよ」と母親から憧れを否定された。
オマケとばかりに「なんで休みの日いっつも家にいるの? 友達とか作れないんだね」と溜息交じりに社交性を否定された。
こうして否定され続けている内に、彼自身の持って生まれた性質、生まれ持った本質を肯定するのは彼だけになっていた。
否定ばかりされるのは嫌だ――
僕だって、良いところがあるハズだ――
拳を握りしめて母親に反論することもあったが「そうやって言い訳ばかりしてるからダメなんだよ。そう思わない?」と鼻で笑われた。
だが、息子からすれば親やクラスメイトの言うことを全て聞いて自分自身を変えていったら、自分の外見も内面も、人生観や世界観も、言葉遣いから立ち居振る舞いに何から何まで変えなければならなくなってしまう。そうなってしまっては、本来の自分自身は全て擦れ去られて、全くの別人にならざるをえない。
全人格を否定して、新たな人格となって人生をリセットしろ――そう言っているのだ。周囲が自分に求めているのは『成長』や『反省』なんて生易しいものではなく『転生』である。全くの別人になってこいと言っているのだ。
だったら、はじめから自分ではない誰かと一緒にいれば済むじゃないかと。気が付いてから、彼は周辺人物へ心を閉ざし始めた。
一際否定する回数が多い母親には敵意を、なんなら殺意を持つように変わった。
我慢できずに手にかけそうになった時には、自分の誇れる継続性を象徴する舌苔を眺めて心を癒す他なかった。
もっとも、母親は母親で限界を迎えていたのであろう。
いつまで経っても、何一つ自分の思うようにならない。出産の時には無邪気に笑う息子との日々を期待していた。しかし、青鼻とヨダレを垂らしてばかりの息子は、いつも退屈そうな顔をしてばかり。話しかけてくることがあると思ったら、舌苔を見せて来た時は底知れない失望感で眩暈を覚えた。
もしくは暇つぶしに見せている児童向けアニメの話ばかり。なぜ、そんな教育なんて一回もしていないのに、まるで学生時代に自分が大嫌いだったヲタクの男達のような感性を持っているのか。
幼稚園や公園で出来た友達の話、面白い話を報告してくれるような子育て生活を期待していたのに、息子が面白いことがあったと言って報告してくるのはアニメや絵本で見た話しばかり。嬉々とした表情でアニメキャラが言ったセリフを報告されたって、面白くもなんともない。私は、息子自身の体験談を聞きたいのに。作り物にしか楽しみを感じないなんて、陰キャのチ―牛や弱者男性の傾向だ。
このままではいけないと、丹念に息子に言い聞かせた。
「そんな話ばっかりしてたらダサいんだよ?」「チー牛って言われちゃいますよ?」「お父さんみたいに弱者男性って言われちゃうよ?」
極力優しい言葉遣いで、息子に今自分がしている行為が世間で嫌われる行為化を噛んで含めて伝えようと試みた。何度も何度も何度も。
しかし、それを息子に伝えてもガッカリしたように俯くばかり。少しでも否定すると彼はまるで自分自身の存在全てを全否定されたような絶望の表情を浮かべてしまう。一度その顔を浮かべてしまったら、もう悲壮感で脳味噌が浸されてしまうらしい。
お菓子やアニメで期限を取ろうと気を配っても、あとは何を言っても響かない。今にも泣きそうな虚ろな顔を伏せて、小刻みに震えているばかりだ。
叱ってばかりはよくない。子供の考えを否定してばかりではよくない――子育てに関する本やテレビ番組、ネットの動画を見ていると頻繁に耳目へ触れる思想。
では、我が子が否定しなければいけないことばかり独りでに思いつく子供だったとき、どう接すればよいのか。
公園に連れて行けば誰とも遊びたがらず、不機嫌そうに帰りたいと連呼する。
テレビドラマを一緒に見ればディスプレイに限界まで顔を近づけて、目を悪くするから止めなと伝えただけで酷く落胆して口を利かなくなる。
料理を食べさせれば何を出しても美味しくないと泣き始め、下手くそにスプーンやフォークを使って汚してばかり。もちろん、少しでも注意すれば咽び泣いて意思の疎通がとれなくなってしまう。
風呂に入れれば四歳の頃から勝手に男性器へ興味を持ち、握りしめたり引っ張ったりを繰り返しては「これね、さわるとムクムクって膨らむんだよ」と嬉々として勃起を報告する。
挙句の果てにトイレに行けば大便の後にトイレットペーパーをつかわず、直接自分の指で肛門をほじくり始めたかと思うと、リビングでテレビを見せているときに何の前触れもなく肛門に指を入れ始めることもあった。
なんでそんなことをするのかと問いただしても泣きじゃくるばかりで意思の疎通は図れない。仕事から帰宅した父親が努めて平静を装って質問すると「どこまで入るのか気になるから」と純粋な瞳で回答したという。
何故。
幼稚園ではお絵描きや工作、運動など何一つ興味を持たないのに。公園では近所の子供の遊びにも、自然の草木や昆虫などの生き物にも興味を持たないのに。運動嫌いの夫がやる気を出して誘ったキャッチボールや、インドア派な自分が誘う散歩にも全く興味を持たないのに。試しに通わせた音楽教室でも緊張して縮こまるばかりで、歌の一節にもピアノの鍵盤一つにも興味を示さないのに。
どうして、性器や排泄物などにばかり興味を示したのだ。そんな人間に、どうやって好意を持てというのだ。
血縁ある息子だから関わろうとしている。けれど、もしも教室でクラスメイトとして出会っていたら絶対に距離を置く。こんな汚らしい不潔な男子と、一緒にいたくはない。
ただでさえ息子は背が小さく貧相な骨格、それでいて頭は大きいという不均一な体格で、顔立ちはお世辞にも整っているとは言えなかった。
息子を見た親族や知人、ご近所さんから「かわいい」という感想は一度も来た事はない、まるで、お世辞でも可愛いだなんて言ったら嫌味と受け止められかねない――息子を見た者達の表情は、そう警戒しているように見えた。
七歳になった頃から早くも拗ね毛が生えそろったところまでは我慢できたが、十歳の頃には陰毛と一緒に乳首や肛門周りに黒々とした毛が伸びている様を風呂上りに見てしまい、生理的な嫌悪感を催した。
体毛が生い茂る程に身体が成長しても、息子の人間性は上向かない。学校の授業に興味を持たないのはもちろんのこと、クラスで友達を持つことにも全く興味を見せなかった。社交性の無さを咎めても間髪入れずヒステリックに泣きじゃくるばかりで、何ら成長せずに小学校の低学年までは過ぎ去った。
高学年になる頃には感情的に泣き出すことはなかったが、代わりに声を荒げて怒り出すようになった。
「うるさい」「放っといてよ」「ウザイ」「ムカつく」「きしょい」「死ね」――
息子が浴びせる罵声の語彙だけが、彼が学校で覚えてくる内容だった。
こんな発想しかしない息子を授かった時に、何を褒めれば良いのか。
言葉の汚さを叱っても「消える」「黙れ」「口臭えよ」「勝手に喋ってろ」という罵倒が帰ってくるばかり。子供に論理的な思考を求めるべきではないのかもしれないが、あまりにも話が通じな過ぎて頭がクラクラする。
口で言っても通じないならと思わず手を上げることもあったが、途端に「虐待だ」「体罰はダメな人がすることだ」という旨の理屈をのたまうばかり。
屁理屈なんて言ってはいけないと切実に訴えても、やはり文脈に遭わない罵声を浴びせてくるばかり。罰として食事を抜いても、元々食に対する興味が薄い息子は一切泣きついてこなかった。腹を鳴らしながらも虚無感に満ちた表情を浮かべ、体育座りで足の指の爪や皮を毟っているばかりだった。その姿はまるで知性を持たない猿のようで、これだけ想いの丈をぶつけて正面から向き合った結果がこのザマかと思うだけで底知れない無力感に囚われる。
だが、親の心子知らず、子の心親知らず――とは良く言ったもの。
彼は彼で、唾をとばしながら喚き散らしてばかりの母親にはほとほとウンザリしていた。
幼稚園の頃、自分が肛門には指がこれくらい入ると発見したこと。
大便を味わってみると、こんな味がしたということ。
男性器を握って膨らませると、不思議な快感を味わえるということ。
幼稚園のプールで自分の股間にあるものが女子児童にはないように見えることに気が付いたこと――。
語り出したら尽きない、日々の発見。その新鮮な世界に対する興味のあれこれを、全て母親は直情的に全否定してきた。しかも、なぜ否定するのか泣きじゃくりながら懸命に言葉を紡いても「気持ち悪いから」「汚いから」と論理が飛躍し過ぎて彼にとって全く意味が分からない短文を投げつけてくるばかり。
いくら自分が子供なりに論理的な順序で興味を持った理由や、発見の詳細を語り聞かせても無駄。「そんなことしないで」「気持ち悪い」「きたない」「嫌われるよ」「うるさい」「つまらない」「聞きたくない」と文脈を無視した金切声を上げるばかり。挙句の果てには根気よく説明しようとする自分へ暴力を振るってくる始末。
溜まらず目に涙を浮かべると「なにその顔」「そんなことよりスネ毛でも剃れば?」「みっともないよ、そんなヒョロヒョロした足なのに」と呆れかえったような顔で話を逸らされた。
その度に、である。ああ、この人は自分のことが嫌いなんだと痛感した。この人は自分の性格や容貌、趣味嗜好が大嫌いなんだと結論付けざるを得なかった。
年とともに、どんどん心を閉ざすようになったのも、彼にとっては当然の対応だ。自分の特徴を何から何まで嫌悪している相手と、どうして仲良くする必要があるのか。
事実、クラスメイトだって自分に「みんなお前のこと嫌いだから近寄るな」と言ってくるし、「仲間外れはよくないんだよ」と食い下がった自分に対して「人を嫌な気持ちにさせるのはよくないんだよ」「仲間外れで嫌な気分になるのはお前だけ」「でもお前を仲間にして嫌な気持ちになるのはお前以外全員」「多数決なら、どうなるよ」と正解を教えてくれた。
また一つ賢くなったと、学習能力に基づいて彼らを不快にさせないように距離を置いているというのに、母親は無神経にも「なんでいつも一人で帰ってくるの」「休みの日なのに遊びに行かないの」「もっとみんなと遊んだりしないんだね」と眉間に皺を寄せている。
一体どんな人生を歩んできたら、壮年期にもなってこうも無理解な人間になれるのだろうと心底呆れるばかりだった。
しかし怪我の功名というべきか。中学に上がる頃には、親子共々互いに対する愛情が尽き果てて会話することもなくなって平和な小康状態が訪れた。
これには父親も安堵した。
容姿はお世辞にも整っているとは言えず、大した趣味もなく服装や髪型も野暮ったい女と結婚したのは世間体のためだけ。子育て資金のためにも共働きをと提案しても家事が忙しい、親は子供と常に一緒にいるべきだとヒステリックに声を荒げながら理屈を並べる。
そのくせ息子との関係性を全く築けず、料理は下手で掃除もいい加減な専業主婦として居座っている女を、好きになれる理由なんてあるはずがなかった。妻が自分のゲームや映画鑑賞を好む内向的な性格を根拠に「典型的な弱者男性」と実家との長電話で嘲っていたのも耳にしている。
その女が連日連夜、母親似の息子に対して耳障りな喚き声を響かせている生活にはウンザリしていた。
もう息子を思い通りにすることは諦めろと諭したところで「でも――」「だって――」から始まる論点がズレた反論を目も併せずに並べるばかりで話にならなかった。息子は息子で大きくなっても理解力は年の割に乏しく、母親同様ヒステリックに反抗してくるばかりなので、もう説得は諦めていた。
この解決不能とみられた問題が、勝手に収束したのである。良かった良かったと喜びながら、面倒な母子と関わらないよう注意しながら自室にこもって独身時代から趣味にしている映画鑑賞へ久々に没頭していた。
だが、仮初の平和など信頼できない。
十五歳になった息子が、退屈な学校から帰って来た時である。自宅のアパートに着くなる、ドアを開けた母親が鬼の形相で「なんてことしてんだよ!」とわめき始めた。
一体何のことだ――という彼の疑問は、ダイニングテーブルを見て解決する。
彼の舌苔蒐集に、母親が気づいたのだ。
テーブルの上には、彼が今まで生きた証でもある舌苔がテーブルの上に晒されていた。
「なんなのコレ!ねぇ! 何を集めてたの! 言って!」
顔を真っ赤にした母が、ブルブルと震えながら睨みつけてくる。
「舌苔だけど」
答えを聞いた瞬間、チンパンジーのようにダイニングテーブルを母親は両腕で叩き始めた。続けて乏しい語彙を振り絞って有らん限りの罵詈雑言を臭い唾と一緒に浴びせて来た
聞いて得する要素が無い誹謗中傷なので、彼は当然無視をした。
しかし、途中に腹の底から呆れ返るしかない発言を母親は吐いた。
「産まなきゃ良かったよ!」
言われた直後、彼はポカンと口を開いていった。
「いや、そりゃそうでしょ」
そんなこと、こっちが何度も何度も何度も何度も何度も思っていた当然の事実だ。
なんで俺のことを、こんな面倒なばかりで面白いことが何一つない世界に産み落としやがったんだ――そんな考えは、小学校に上がった頃から常に彼の心中に君臨していた。
親に対する最後の手心として言わないでやったのだ。
それを、自分より二回り年上の女が今気づいた新発見かのように、伝家の宝刀でも抜いたかのような気迫で言っている――。
兎にも角にも「無能」と評する他ない母親という存在に、とうとう彼は完全なる絶望に包まれた。
薄々勘づいていながらも蓋をしていた考え。『この人間を整理しなければ自分の人生に平穏は訪れない』という仮説が、真実であると証明された気がした。
今までは辛抱強く寿命まで待つつもりだった。しかし、現在50歳の母親が平均寿命まで生きると仮定した時、自分が中年になるまで彼女は障害物として自分の人生に立ち塞がり続けてしまう。
それならば、今。少年法によって刑期の割引サービスを受けられる今こそーー
彼が勇気を出した数秒後、足元で母親は潰したての蚊みたいに手足をヒクヒクと動かしていた。包丁を突き立てた直後、即座にテーブルの上にあった舌苔入りの皿を手に母親は反撃を試みたが、そこは運動音痴な壮年女性。手元を滑らせて息子に直撃させる前に皿をポトリと落としてしまった。
「バカじゃないの?」
自分が失敗した時に、ほくそ笑んだ母が良く言っていた言葉。
定番のフレーズを逆に言ってやりながら、二回三回と包丁を脇腹へ差し込んでゆく。
「んぎゅぁあああぁぅ」や「ぼぉぼぉおおぼぼ」なる、正確な表音が困難な遺言(もしくは器官から空気が漏れる雑音)を残しながら息子を睨みつけていたが、定番フレーズ第二弾「なに、その顔」の言葉と共に息子が振るった拳骨が直撃。鼻をひしゃげさせながら埃が溜まってベタついた床に倒れ込んだ。
そのままウイニングランとばかりに息子はゴミ箱から今しがた捨てられた舌苔の塊を取り出すと「報いを受けるんだナ!!」と勝利の雄叫びをあげながら、そいつを振り下ろして母親へ叩きつけた。
適当に突き立てた包丁が急所を外れたこともあり、即死を免れた母親は舌苔による鉄槌を何度も何度も味わった。
最後、虫の息になった母親が目から涙をこぼして漏らした言葉。
「どほへまひわえきゃっちゃろらえ(注:どこでまちがえちゃったのかね)」
その泣き言に息子は正解を告げながら、改めて舌苔の詰まったままごとセットの皿を振り下ろす。
「他人の大切なコレクションを侮辱したことだよ」
その後も積年の恨みを晴らすは今とばかりに、息子は母親だった肉塊を思い思いに殴りつけ続けた。さすがに父親が帰宅した段階で中断したが、継続力がある彼は飽きることなく3時間ほど殴打を続けた。
「――おかえりなさイ」
いつもの活舌が悪く独特な発声の息子に迎えられた父親は、目の前に転がっている妻の肉塊に吐き気を催した。日ごろはゴア描写が多いスプラッター映画も良く視聴している男だが、現物を初めて見た衝撃で腰を抜かしそうになった。
「なにがあったんだ」
必死に絞り出した声で、息子があっけらかんと「母が舌苔ヲ馬鹿にしたんだヨ」と答えた。
ここで父親は、息子にとって驚くべき提案をした。
「おい、今から警察に行くぞ」
「えぇ?」
彼は、思わず言葉を失った。今、自分は残りの血縁者からも捨てられようとしている。
たしかに逮捕は覚悟していたが、自首して逮捕と、連行されて逮捕ではまるで違う。まさか父親の口からその言葉がでるとは。一般的に言われている家族愛に則るのであれば、まず初めに自分が自首を申し出て、父が引き留めようとする――涙ぐましい交流の一つや二つはあって然るべきではないのか。
この男も母親を称していた女と同じで、肉親の愛情というものが無いのか。確かに、この父親はクラスにいる陰キャと呼ばれる同級生と同じような冴えない性質の人だ。今まで自分のことをねちっこい言い回しで嘲笑してきたし、母親に罵倒されている時に割って入ってくれた覚えもない。
それでも、母親ほどに自分を否定してこないという点に、一縷の希望を見出していたのだ。それなのに……。
自分の人生も十五年になる。もう何冊もの小説や何本ものテレビドラマを視聴してきた。そこで普遍的に描かれてきたのは、家族の愛情である。自分は母親に関して例外的に家族の愛情を得られなかっただけと思っていたが、まさか父親もだなんて――
裏切られた衝撃。失望感で崩れ落ちそうな膝を、なんとかこらえた。
舌苔。
悪意に満ち溢れていた母親から守り抜いた人生の証が、自分の傍についてくれている。今まで積み重ねて来た人生が、周りに追い詰められた彼に勇気を注ぎ込んでいた。
もう、誰かに否定されて俯くのはたくさんだ。
今、自分は母親を乗り越えた。暴力や暴言に屈して服従する人間が多い中、トラウマに囚われて生涯を通して反抗できなくなる人間が多い中、自分は打ち勝って見せたのだ。
罪に問われて逮捕されること、世間体が悪くなることを嫌って、損得勘定で自分の素直な心の声を押し殺す腑抜けだっている。刑期、その後の人生に怯えて犯罪とレッテル貼りされう行為から逃走する人間だっている。
それにも拘らず、自分は法的および社会的な制裁を受け入れる覚悟をもって、ありのままな自分の感情を曝け出して行動してみせたのである。恐怖心に打ち勝って、実行をしてみせたのだ。
だから、この壁だって乗り越えて見せる。自分は、継続力に加えて実行力まで手に入れた人間なのだから――。
父親がスマホを手に取った瞬間、母親の返り血で彩られた包丁を父親の首筋へ突き立てた。
こうして彼は、両親を殺害した罪に問われて逮捕された。
出頭した時に舌苔が積もったプレートを満足そうに抱きしめていたという少年へ、警察は責任能力の有無を問うているところだ。
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