カラフル

1/1
前へ
/1ページ
次へ

カラフル

白が好き。 お皿は白って決めている。 だってどんなお料理も映えるでしょ? 結婚してこどもが増えて、今は四人家族。 大きな丸皿、オーバル皿、お茶碗、スープカップ。 四人分、すべて白。 こどもはプラスチックの割れないお皿で、それも白を探した。 キッチンも白。 真っ白のキッチンは、少しの汚れも許さないその潔癖さが好きで、やめられない。 ときどき、トマトソースが飛んだり黄色の油が跳ねたりするとイラッとする。 すぐにごしごしと汚れをとる。 なるべく汚れないように、慎重に調理している。 その姿は鬼気迫るようで怖い、と夫の渉に言われている。 ──でもだって仕方ないじゃない? 白が好きなんだもん。 今日も私は白を集める。 * 愛と伊織は双子だった。 生まれたときからかなりずっと私は双子を一人で育ててきた。 もちろん経済的なところは夫の渉に任せてはいたが、単純にこどもの世話をする、という点で私は随分一人だった。 渉は仕事が忙しく朝早く出勤し、日付が変わるか変わらないかというころに帰宅する。 そんな日々の中で、一人で双子をお風呂にいれたりご飯を食べさせるのはかなりの労力が必要だった。 一番疲れたのは、おむつ替え。 少しでも汚れたらすぐに替える。 これだけはすぐにしないと駄目だと思っていた。 だって白が汚れてしまうから。 真っ白のバウンサーに入ってあんよをぴょんぴょんさせている最中でも、ちょっと顔を力ませるとすぐにうんちをした。 私はそれにすぐに気づいておむつを替えた。 渉がいるときはやってもらいたかったけれど、気づくのは私だから結局私がおむつ替え。二人分のエンドレスのおむつ替え。 だって、白いベビー布団や白いベビー服、おむつ替え用のマットでさえ汚れるのが嫌だったから。 だからすぐに取り替えた。 二人にはいつもキレイな白を身にまとっていてほしかった。 しろしろしろしろしろしろしろしろ。白。 「ねえ、男の子と女の子の双子なんだから青と赤とか、緑とピンクとか、色違いにしない?」 渉はすぐに色でこどもを区別しようとした。 女の子だから、男の子だから、そんなの今の時代にそぐわない。 それにだって私が白が好きだもの。 うちの双子は白の二乗でいいの。 汚れが目立つからこそ、汚れをすぐに消すように気をつけるでしょ? 汚さないようにするでしょう? だから、白が好きなの。 今日も私は白を集める。 * 幼稚園の体操服は上が白で下がブルーのズボンだった。 白じゃなくて嫌だったけれど、仕方なくブルーのズボンをはかせた。 「まま、なんだかいつもとちがういろなの?」 「しろじゃなくていいの?」 普段白ばかり身につけていたので、二人とも初めてそれを着た日には驚いていた。 ──二人とも白が好きなのだ。 私はその反応に安心して、にっこり笑った。 「おうちに帰ってきたら、すぐに白にかえようね」 幼稚園から帰ってくると、二人はすぐにおやつを食べた。 そのこと自体はいつものことだった。 愛も伊織もそんなにわがままを言わないこどもだったけれど、おなかが空いたときは別だった。 その日はちょうどそういう『かなりおなかの空いた日』だったのだろう。 おそろしくはらぺこになっているようで、むさぼるようにおやつを食べた。手作りのマフィンやクッキー、市販のチョコクッキー。 それは渉の両親から送られてきたチョコクッキーだった。 自分なら買わないチョコレート菓子。 二人が、送られてきた箱を開けて見てしまったので、仕方なくおやつにだした。 「じいじとばあばのちょこのおかし、おいし」 「うんうんおいし」 愛と伊織が二人で顔を見合わせてにこにこ笑う。 ──そのベタベタの手が本当は嫌だった。 「まま、ぎゅうにゅうほしい」 「いおりも」 チョコがついた手で口をぐいと拭き取った様子に私はイラッとした。 いつもなら、ぐっと我慢できるところだった。私に向かって伸ばされた二人の手が汚れていても。我慢できるはずだった。 けれど。 「きったない。その手でママのこと触らないで」 言ってしまって、あ、と思った。 二人の手が止まった。 そして顔中についたチョコが流れてしまうくらい、涙があふれ出していた。 こどもって本当に不思議で、すぐに涙が川になる。 びえーん びえーん やっと声が出たときにはもう涙も鼻水もとまらなくなっていた。 二人の前にならべた白いお皿にもランチョンマットにも、チョコやクッキーやマフィンの残骸がこぼれていた。 チョコの茶色に私の好きな白の、何もかもを汚された気がした。 かあっと頭に血がのぼった。 その怒りが声になって飛び出る直前に。 「ごめ、なしゃい」 ふたりが同時に言った。 そのまま。 えーんえーんと合唱を始めた。 そのふたりの様子に、頭が真っ白になった。 頭にのぼった血がすうううっと降りてくる。 ──泣かせてしまった。 何の言葉も出ず、白のお皿とランチョンマットとそれからふたりの涙に視線をさまよわせた。 ──泣かせてしまった。 ふいに。 泣かせるほどのことだったのか。 白の汚れが嫌だったのか。 チョコがついた顔が嫌だったのか。 義両親から送られたチョコだったから嫌なのか。 洗えばとれる、そんなささいなことを許せない自分が嫌だったのか。 そんな疑問がいくつもいくつも頭の中に湧いてきた。 そして。 気づいたら顔がベタベタになるくらい、私も涙が止まらなくなっていた。 三人でひたすら泣いて、泣いて、泣いて泣いて。 珍しくはやく帰宅した渉が、暗い部屋で三人が泣いているその惨状に言葉もなく立ち尽くした。 それでも何かをせねばと思ったのだろう。 二人の顔と私の顔に、それぞれ濡れたタオルをそっとあてて。 汚れを拭き取ってくれながら。 優しい声で私に言った。 「小羽、少し帰りは遅いけど、僕にもお風呂入れさせてくれる? おむつ替えさせてくれる? 上手にはできないから、白のリネンや食器を汚してしまうかも知れないけど。白くなくていいんだよ。汚れが隠せるような色、あるだろ? 好きな色、あるだろ? ピンクとか、ブルーとか、オレンジとか。白集めにこだわる必要なんてないんだよ?」 そして小さく続けた。 私の目をじっと見つめて。 「いつも一人でしてくれてありがとう。いつもいつも」 * 私の好きな色は白。 白の食器、リネン、何もかも全部。 服も鞄も。 好きなだけ集めて、好きに使っていたけれど。 白が、汚れを目立たせる。 白は、私の中の嫌なところもはっきりと目立たせる。 私はそれから白を集めるのをやめた。 だって。 ピンク、ブルー、オレンジ、グリーン。 世界には色があふれている。 汚れに気づいたらそのとき洗えばいい。 そんな簡単なことを忘れていた。 「あいは、ぴんくすきよー」 「いおりはあおすきー」 白い世界の中で今までそんなことを言わなかった二人が、突然に好きな色を教えてくれた。 私は二人をぎゅうっと抱きしめる。 この二人には、この二人のそれぞれの世界があって。 それは、白ばかり集めていた私の世界にむりやり閉じ込めていたときにはわからなかった二人のそれぞれの世界で。 ──ああ。よかった。私が、二人の色を決めてしまわなくて。 心からそう思って、もう一度抱きしめる。 「二人のランドセルの色、今から楽しみだな」 私とこどもたちを眺めて渉が口を開く。 あれから少しずつ仕事での要領がよくなったのか、はやく帰宅できるようになってきた渉が頬を緩ませる。 「100色あるんだって」 デパートの催事の広告が入っていた。 100色のランドセル。 白もあるけど白じゃなくていい。 二人が自分で好きな色を選べばいい。 今ではカラフルになった食器類に料理を盛り付けながら、私はそんなことを考える。 白は好き。 でも他の色も好き。 いろんな色を集めていけばいい。 これから。 家族みんなで、いろんな色を。 了
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加