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1-6話 親愛なる貴方と優しい世界
【登場】アールグレイ
ミントティー / セイロン / 正山小種 / ミルクティー / アッサム / アップルティー / ふるさと
【執筆】Baum
「あ、アールグレイ……おかえりなさい」
「ただいま。あら、今日は黒薔薇ちゃんと一緒じゃないのね」
「いっ、いつもあの人と一緒な訳じゃないからっ」
いつものように旅行から戻ると偶然外の掃き掃除をするつもりなのか箒を持ったミントティーと玄関で出会った。ついからかえば赤くなって言い返して来るのだから可愛いと思うの。
「待って、ミントティー! 私もっ。あ、おかえりなさい! アールグレイ」
「ただいま、ロンロンちゃん。そうだ、お爺様をどこかで見掛けていないかしら」
「ラプサン? ラプサンならさっき談話室でふるさとに絵本読んであげてたわ」
「ふふ、相変わらずね。ロンロンちゃん、薄荷君、後でお土産を持って行くわね」
玄関で話していると同じく箒を持ってセイロンティーが走って来て、微笑んでくれる。彼女に出迎えてもらうと帰って来たと実感するわね。
いつもと変わらず出迎えてくれるからかしら。
掃除に出て行く二人にひらりと手を振って大きなトランクを手に談話室の方へを歩みを進めているとアッサムティーやアップルティーにも出会いそれぞれがおかえりと戻って来た事を喜んでくれる。セイロンに聞いた談話室へと向かえば開け放たれた扉の外へもお爺様の変わらない柔らかな声が聴こえた。
『怒った薔薇の女王様はもう誰も傍に近寄って来る事が出来ないように城を鋭い棘を持つ茨で覆ってしまいました……』
いつもは古風な話し方をしているお爺様の声が現代風の言葉で語るのがおかしくて小さな私は笑ってしまった事もあったわね。
『だって、おじい様の話し方が本を読む時だけ、変わるのですもの……』
『そう書いてあるのじゃから仕方ないんじゃ。可愛い孫娘や、我が悪かったの』
『悪いなんて言ってないのですわ。わたしはどちらのおじい様も好きですもの』
読んでくれていたのに笑ってしまった申し訳なさにそんな事を言ったような気がするのだけれど、私がアールグレイの化身として生じて然程経っていないような昔の事で忘れてしまった。
「アールグレイ、可愛い我が孫娘や。そんなところにおらずともお入り」
「あら……? 気付いていらしたの? ただいま戻りましたわ、お爺様」
「おかえり。大事なかったか?英国に行くと言っておったじゃろう。小さな子らに悪戯なぞされなんだか?」
過去に心が飛んでしまっていた間に少し時間が経ってしまっていたのかいつの間にか絵本を読み聞かせていた声が止みいつもの話し口調でお爺様が私を呼んだ。
気配に鋭いお爺様の事だから私が談話室に近付いた時にはきっと気付いていらっしゃったのでしょう。
「今回は小さな子達には会いませんでしたわね。あの子達は気紛れだもの」
「そうだの。今回はどうであった? お前が見聞きした事を我にも教えておくれ」
呼び声に答えて談話室に入れば読み聞かせをしてもらっていたというふるさとはお爺様の膝に頭を乗せ夢路へと旅立っていた。
昔はお爺様に私が旅の間の事を聞かせてもらう一方だったけれど、こうして私が問われる立場となったのはいつからだったかしら。
膝の上では体が痛くなってしまうからそっと抱き上げてまだ空いているソファへと寝かせておく。小さなこの子はよくパタパタと走り回り、疲れてそこらで眠っているから抱き上げる事にも慣れてしまったわ。
「英国は相変わらずですわね。変わりはないのですけれど、以前よりもまた人は増えたようでしたわ」
「ふむ、人は増える一方よの。昔は我らや小さき子等が視える者も多く居心地が良かったがの」
「害される事が減ったと思えば仕方ないのではないかしら。視える者全てが善良な者ではないのですもの」
お爺様がおっしゃるように昔は私達や小さな妖精達と共に生きてきた英国も発展するにつれ優しい者達だけでは無くなって来てしまった。
害そうとする者、利用しようとする者も増えた。
次第に妖精達は姿を見せる事を止めひっそりと暮らすようになっていった。それは私達も同じかしら。
「あぁ、一人可愛い子がいましたわ。慕うお兄様においしい紅茶をいれて差し上げたいのに上手く出来ないと泣いていましたの」
「それは悲しいの」
「小さな私と同じ失敗をしてたのでコツを教えてあげましたわ」
今の私はおいしい紅茶を淹れる事なんて呼吸をする事と同じくらいに造作もない事だけれど化身として生じてすぐの小さな私にはとても難しい事だった。私が幼かった頃、紅茶やお茶の上手な淹れ方を教えてくれたのはお爺様だった筈なのに、お爺様がご自身で淹れるのを止めてしまったのはどれくらい前だったかしら。
『あの……おじい様、何度丁寧に淹れてもおじい様のようなおいしい紅茶にならないんですの……』
『おや、ではまた次の地に着いたらこの爺が手本を見せてやろうの』
小さな私がお爺様に保護された頃、お爺様は一所に居る事を止め様々な地を旅していらっしゃった。小さな私が居た所へも偶然通り掛かっただけ。そして私を見つけ小さな可愛い孫娘、と手を差し伸べて色んな場所の事を話してくれた。
紅茶の淹れ方もそう。
色んな話を聞き小さな私が一緒に連れて行って、と言ったのが私の初めての我儘だったかもしれない。幼い私は主張する事が苦手な大人しい控えめな性格をしていた。
『おじい様。どうしておじい様は旅をしますの? 祖国はお嫌い?』
『いいや? 祖国は我を育んでくれた地じゃ。今でも愛しい。じゃがなぁ、世界はもっと広い。我でもまだ全て周りきれんくらいにの』
『こ、答えになっていませんわ。広いから旅をしてるんですの?』
それは共に旅を始めて確か少し経った頃。
紅茶の化身が居る地を訪ねて一時お世話になったり、偶然私達が視える人に出会い教えを請われたりしながらもお爺様はそこに根を張る事はなかった。
『ふむ、よくお聞き。可愛い孫娘や。世界は周りきれんくらいに広い。我らの同胞や人、小さな子ら、色んな者達がおるんじゃ。旅をしていた事で我は可愛いお前に会えた。動かねば会えぬ者達に我は会いたいのだ』
様々な出会いの為に旅をするのだとお爺様は朗らかに笑っていた。
そして色々な出会いや触れ合いを経験する事はお前自身の糧となる。だから、怯えず色んな事に興味を持ち楽しみなさいと。
その言葉は今でも共に見た茶畑の風景と一緒に私の胸の奥深くに根付いている。
『ほら、ご覧。こんな風景は家の中に閉じこもっていては絶対に見れんじゃろう?』
『わぁ……』
お爺様に促され見下ろしてみれば眼下に広がるのは一面の広大な茶畑の鮮やかな緑と水をまいたばかりなのか葉に残った水滴がキラキラと太陽の光を反射しまるで一つ一つが宝石のよう。
新たに芽吹いた若葉の鮮やかな黄緑と成熟した葉の緑が素晴らしい模様を描き、まるで計算されつくして作られた絨毯のようだった。
一人で旅をするようになってからも多くの物を見てきたけれどあれほどの感動を覚えた物はそう無い。きっとあの瞬間のみが持ち得る美しさだったのでしょう。
「してその可愛い子はおいしい紅茶を兄に淹れてやれたのか?」
「そこまでは見ませんでしたわ。でも、私はお爺様においしい紅茶を淹れれるようになりましたもの。大丈夫なのではないかしら」
「ふむ、そうじゃったな。あっという間にコツを覚えて我においしい茶を淹れてくれるようになったの」
きっと大丈夫、と私を褒めるようにお爺様は微笑む。小さな頃保護してもらい育てて貰った事もあり、いつまでもお爺様は私を子供扱いするのだから……。
「お爺様、喉は乾いていないかしら。私、きっとお爺様が喜んで下さるお土産を買って来ましたの」
「ん? なんじゃ。それは楽しみだの。我は喉が乾いておるぞ?」
唐突な話題転換に不思議そうに首を傾げたお爺様は私の言葉に楽しそうに同意する。
偶然旅先で見つけこれならと思わず金額も確かめずに購入を決めてしまった物。すぐに教えてしまうのはあまりに味気ない。
笑みで誤魔化し用意をしてくると断りを入れて、トランクを持って退出するとそのままキッチンへ移動しそっと一つの紅茶の缶を取り出し蓋を開けた。
蕾が花開くかのようにふわりと香る花のような、内包された蜜のようなはたまたフルーツを思わせるような香りに思わず笑みが溢れる。
お爺様はどんな反応をしてくれるかしら。
懐かしい地の香りに懐かしんで下さる?
それとも良い物をと喜んで下さるかしら。
これでは褒めて欲しい小さな子供のようね。
けれど、この紅茶はそれだけ私にとってもお爺様にとっても縁深い物。
楽しい思いでお湯を沸かしポットをニつとティーカップを温める為に熱湯を注ぎ入れ、温まるのを待つ間に洗茶を済ませてしまう。
そうしてから片方のポットのお湯を捨て、茶葉を投入し改めてゆっくりと再度熱湯を注ぎ入れて蒸らす。
「おかえり、アールグレイ。不思議な香りのお茶だね。お爺様に近いのかな」
「ただいま、メッシュ君。とても良い香りでしょう? 後で淹れてあげるわね」
「ありがとう。トランク、君の部屋に運んでおこうか?」
いつものように誰かの為のお茶を用意しに来たのか私に少し遅れてミルクティーがキッチンに顔を出した。仕える事に慣れたミルクティーの申し出にお礼を告げながらも残るポットのお湯をまた捨てて今度は出来上がった紅茶だけを移し替えた。
そうすることで注ぐ時に紅茶が混ざりより均一な味になってくれる。
「なんだか君がやると本格的な中国茶を淹れているように見えるね」
「ふふ、お爺様はもっと手際良く淹れるのよ」
「片付けもしておくから早く行っておいで。きっと楽しみに待っていらっしゃるよ」
そう言って用意しておいてくれたティーカップの乗ったトレイを差し出してくれる。彼は本当に気配りが完璧ね。お礼代わりに帰り際に買ってきたトフィーの箱を置いて談話室へと戻った。
「お爺様お待たせしましたわね」
「これは……金駿眉か。懐かしい香りじゃなぁ。かの地の風景が目に浮かぶようじゃ。ありがとう、可愛い孫娘や」
ゆっくりと紅茶を注いでカップを差し出すと大切な物をその両の手で守るようにお爺様はそっと受け取りどこか淋しげに微笑んだ。
帰らなくなって久しい祖国への哀愁ともどこか違う微笑み。
金駿眉はお爺様と同じ土地の正山小種の若芽を使用して、近年非常に手間をかけて作られた紅茶。懐かしい地の香りに微笑んで下さるとは思っていたけれどこの表情は予想していなかった。
「お爺様、金駿眉はお嫌い?」
「いいや。まだ若い紅茶ではあるが懐かしい地より生まれた同胞を我は愛しておるよ。少しな、古き同胞を思い出してしまっただけなんじゃ」
共に旅していた時にもほんの時折この表情をお爺様は浮かべる事があった。
ほっとしているような、悲しんでいるような、複雑な感情をぐちゃりとかきまぜたようなこの笑顔には見覚えがあった。
「まだ探し物は見つかりませんの?」
「ん? そうよな。だが、それで良いんじゃよ」
お爺様の旅の理由は聞いていたけれど、聞いた事だけが全てでは無い事も共に居てしばらくした頃に気付いてしまった。これまでお爺様は気ままに放浪しながらも何かを探しているようだったから。
「見つからないままでお爺様は平気なの?」
「見つからん方が良いんじゃよ」
「お爺様の本心ではどうなのです。本当は会いたいのではないのかしら」
きっと先程思い出したという同胞を探しているのでしょう。
私達他の紅茶の化身に会えた事さえ子や孫に会えた、家族が増えたと喜んで下さるお爺様の事だから会いたくない筈はないというのに。
「ほんにお前は聡く優しい子じゃなぁ。我には可愛い子や孫、それにお前がおる。大丈夫じゃよ」
そう言っていつものように朗らかに微笑んで大切にカップを持ち香りを楽しんでいた紅茶を一口飲んで満足そうな吐息を溢した。
「今年も良い茶葉が育ったようだの。良い香りと味をしておる」
「保護区となった事でかの地がまだ汚染されずにいる証拠ですわね。かの地も私達も変わらずお爺様と共に居ますわよ」
「あぁ、そうじゃなぁ」
あまり言いたくないのであれば無理には詮索しない。けれど私たちが居るからとそう言って下さるなら私達をもっとお爺様の心の奥深くに刻み付けて下さればよろしいのに。なんて酷いお爺様なのかしら……。
「あー! アールグレイとお爺ちゃんおいしそうなお茶飲んでる! いいなー!」
「ふみゅ……あーアールねーねだぁ。おかえりなさぁい」
「わわ、アッサム姉様だから静かにと言ったのに。ふるさとちゃん起こしちゃいましたね。もう眠くないですか?」
「ハリケーンが来ましたわね、お爺様。ほらね、此処に居るうちは騒がしくて仕方ないでしょう?」
「此処は、ほんに賑やかになって来たの。みながおって我は幸せ者じゃな」
新たに飛び込んで来たアッサムティーとアップルティー。アッサムの大きな声に目が覚めたふるさと。
きっともうすぐ飛び込んで来た二人に休息を与える為にやって来るでしょうセイロンにミルクティー。
此処はこんなにも賑やかで暖かい。
「ハリケーンって私達の事かな! アールグレイ!」
「私もですか……私はアールグレイ姉様やセイロンお姉様みたいな淑女になりたいのにぃ」
「アップルティーは小型ハリケーン予備軍かしらね」
二人にはこれからも騒がしさ、楽しさ、笑顔を運んで来るハリケーンで居てもらわなければね。
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