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1-8話 それはまるで、お伽話のような
【登場】ダージリン
ファントム / アッサム
【執筆】霧谷朱薇
蝶の蛹は、殻の中で微睡みながらどろどろに溶けてゆく。
その最中、彼等は夢を視るのかしら。
なんて、下らないことを考えるわたくしも微睡む蛹に過ぎず。
緩やかに、けれども確実に記憶が溶けていくのを感じながら、深い深い眠りに堕ちていった。
──これは、何度目かの忘却の最中に視た、わたくしの夢物語。
✧
初めて出会ったとき、その化身は噎せ返るような甘い香りの中で泣いていた。
黄昏の庭園に招かれて、何度目かの微睡みの最中。
瑠璃の花弁から透明な朝露が零れるように、声を上げることもなくただ静かに目元や頬を濡らしている見覚えのない化身を見掛けた。
不謹慎かもしれないけれど、わたくしはその姿を美しいと思った。
数刻が経ち、わたくしの存在に気付いているでしょうに、いつまでも泣き続けてるその同胞の傍に歩み寄っては、膝を折って訊ねてみた。
「我が同胞、儚きヒト。アナタを涙させているのは一体何なのか。わたくしに教えてくださるかしら」
すると、意外にもあっさりと同胞は素直に言葉を紡ぎ始めた。
「──女王陛下。ワタシは、罪を犯しました。我が祖国、その権化には多くの恩があるというのに、ワタシはあの方を救うことが出来ず、傍観者の如く滅んでいく様をただ見ているだけでした」
その同胞曰く。
かつて、セイレシア王国という島国があり、その国の国花であるクチナシとダージリンをブレンドした紅茶、〝クチナシの庭〟の名を持つ化身として生を受けた同胞は、鎖国状態にあったセイレシア王国の権化や民たちと大きな争いを知らぬまま穏やかな日々を過ごしていた。
けれども、セイレシア王国は王族同士の継承権争いによって滅び、そのときに国の権化も消滅してしまったそう。
その権化にはよくしてもらっていたために、救うことが出来ず一人生き残ってしまったことが悲しく、寂しく、胸が痛いのだと。
告解をするように語った〝クチナシの庭〟だった者は、こう続けた。
「ファントムと呼ばれるようになったワタシは、徐々に人々の記憶から、そして自分自身の記憶から消えていく。最初はそれでいいと思っていたのです。……けれど、」
言い掛けて、消えてしまった。
きっと、自分の夢から醒めたのね。
次はいつ、話せるのかしら。
✧
数日間、わたくしは黄昏の庭園で亡霊のように過ごしている〝幻の庭〟──ファントムを視ていて気付いたことがある。
一つ。人間でいうところの従兄妹にあたるであろうファントムとわたくしは、どうやら波長が合うらしく。
微睡みの中にいないファントムの様子をこうして覗くことが出来るみたい。
二つ。どうやら存在が曖昧すぎて、他の同胞たちに姿を認識されていない。
いいえ、そもそも彼等は〝クチナシの庭〟を意味する名の紅茶を知らないのでしょう。
紅茶の女王であるわたくしですら、聞いたことがなかったのだから。
尤も、わたくしの場合は過去に聞いていたとしても一年経てば忘れてしまうのだけど。
しかし、このままだとファントムは近いうちに消滅してしまうのではないか、気掛かりでならない。
本人がそれを望むなら、何とも言い難くはあるけれど強く引き留めることはしない。
だけど、初めて出会ったとき。
『ファントムと呼ばれるようになったワタシは、徐々に人々の記憶から、そして自分自身の記憶から消えていく。最初はそれでいいと思っていたのです。……けれど、』
こう言っていた。
この、けれどの先を未だ聞けずにいるけれど。
わたくしが思うに、ファントムは忘却を恐れているのではないか。
✧
「あら、他の子と交流しているのを視るのは初めてだわ」
普段はお爺様やアールグレイの傍にいるふるさとが、今日は一人で遊んでいたらしい。
偶然そのふるさとの目に映ったファントムは、意外にも子供の扱いにはなれているようで、御茶会ごっこに付き合ってあげている。
「ふふ、ああしていると歳の離れた兄妹のようね」
なんて微笑ましい光景なの。
願わくば、次のわたくしが目覚めた隣にも、美しい日々がありますように。
けれども、その前に。
女王として、もう一仕事しなくては。
「…………」
強い睡魔に抗うように、重い目蓋を開く。
寝台の隣で、息を呑む気配を感じたわたくしは、掠れる声で友人の名を呼んだ。
「……アッサム」
「……! ダージリンちゃん……?」
「……ごめんなさい、悠長にお喋りしている時間はないの。……いい? よく聞いて」
アッサムはわたくしの傍に寄って、一語一句聞き逃すまいと耳を澄ませた。
「……この庭園のどこかに、今は亡き国が遺した同胞がいるわ。その存在は曖昧で、自分自身も認識出来なくなってきている。……早く、あの子を、」
ファントムを見付けてあげて。
そう告げると、抵抗虚しくわたくしはまた忘却の旅路に引き戻された。
クチナシの庭は幻。
故にあの子を知る同胞は居ない。
それでも、あの子はこの庭園の何処かに居る。
であれば、女王であるわたくしがその存在を知らせなくては。
「嗚呼、良かった。かくれんぼはこれでおしまいね」
わたくしの伝言を聞いたアッサムはあの後、皆にもちゃんと伝えてファントムの捜索をしてくれたらしい。
これで安心して、次のわたくしに引き継がせることが出来る。
✧
わたくしの夢物語はこれでおしまい。
それでは、紅茶を愛する全ての人間と同胞たちよ。
次のシーズンで、お会いしましょう。
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