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1-9話 独りぼっちだった君と
【登場】ふるさと
正山小種 / ダージリン / ロシアンティー / ファントム / アッサム / ローズヒップ / ミントティー / アールグレイ / クライン / セイロン
【執筆】Baum
ある日久しぶりに戻ったラプサンスーチョンは布に包まれた大きな塊を抱いていた。
布だと思われたのは彼のお気に入りの羽織で塊は小さく動いているようにも見えた。
塊を抱いたまま彼は足取り軽く館内を歩いて行き談話室の前で立ち止まった。
玄関同様に片腕で器用に塊を抱き直すと扉を開け談話室内へと足を運んだ。
「ただいま。ちょうど良い時であったなぁ」
「あら、おかえりなさい。お爺様」
「お爺様、出迎えもなく申し訳ありません。その羽織はどうされたんですか?」
室内に入り込んだ彼に気付いた者達が出迎えてくれるのを聞き、満足そうに微笑んだ彼はのんびりとソファの空いた場所へと座ると布の塊と化している物を捲り上げた。
その中から出てきたのは若草色のいかにも柔らかそうなふわふわした髪の幼子だった。
「ふるさとや、じーじのお家に着いたぞ。一度起きんか?」
「んーう……あふ……じーじのおうち?」
「ラプ爺さん…幼児は元の場所に返して来てくんない?」
「待ちなさい、ロシアンティー。……アナタは紅茶の化身ね?」
拾った猫の子を戻して来なさいと告げる母のように溜め息混じりに言ったロシアンティーを止め前に出たのはダージリンだった。ラプサンスーチョンが抱える子供の側に座り見極めるように見つめた後そっと子供の頬に手を伸ばした。
「ちょっと、陛下……」
「大丈夫よ、ロシアンティー」
「ん。僕ねぇ、ただ一人の女の子の為にじーじとばーばが作った紅茶なの。みんなが大事にしてくれたからね、僕になったんだよ」
頬に触れる手に甘えるように擦り寄りつつ、でもみんなもう居なくなっちゃった、と小さな嘆きを落とした。
「そう。だけどもう大丈夫。わたくしはダージリン、彼はロシアンティー。アナタと同じく紅茶の化身よ。これからはわたくし達もアナタといるわ」
「ほんとに?」
幼子特有のふくふくとした柔らかい頬を撫でてダージリンは肯定するように微笑んだ。
ついで諦めたようにロシアンティーが小さな頭を撫でてやった。
「爺さん、どうすんの? 暫く爺さんも滞在してアンタの部屋で面倒見んの……おーい、爺さん?」
「……すまぬ、今日は誰ぞ預かっておくれ。我はもう無理じゃ……眠い……」
「あぁ、もう外は夜かぁ。爺さん寝るならせめて自力で部屋までは戻って」
「私がお連れするから良いわ。お爺様眠るならあたたかいベットに行ってからにしましょう」
ロシアンティーがラプサンスーチョンに問いかけた時、既にふるさとを膝に抱いて背後に座した彼はゆらゆらと頭を揺らし片足どころではなく両足ごと夢の世界へと転がり落ち掛けていた。
既に外の世界は日が落ちきっており、此処に辿り着くまでにも何度も欠伸を噛み殺していたが、ふるさとを託せる者達の元へ戻った事で気が緩み睡魔に抗う事はかなわなくなったようだ。
元々昔からの習慣で日の出と共に起き、辺りが暗くなってくれば眠る彼にしては頑張って耐えた方である。
「じーじ、おやすみなさーい」
「また明日起きたら遊ぼうの……」
ラプサンスーチョンがアールグレイの介助……介護とも呼べるそれを受けて退出して行くと残された談話室の者達はふるさとの扱いについて相談する事となった。
化身とはいえ見るからに精神的にも幼いふるさとは一人部屋で良いのか、さらには生活面の事は一人で行えるのか。
「アナタはどうしたい……? アナタは一人で眠れるかしら」
「ねーね達といっしょがいい。ひとりはやあ……」
ダージリンが尋ねた事の答えによりふるさとの部屋は用意するもしばらく、せめてふるさとがもう一人ではないのだと安心出来るまでは本人の希望に任される事となった。
容姿が幼くとも実年齢とは一致しないのが紅茶の化身でありふるさとも思考や口調は幼かったが聞き分けも良く世話が楽であったことも大きかった。
そうして初日は特別ふるさとが懐いたダージリンとが良いと願われ微笑んで了承する。
その前にとロシアンティーがバスルームに連れていきお風呂に入れた事で実はふるさとが少女である事が判明し天を仰いだりもあったがそれからの日々は兼ね平和に平穏に過ぎていった。
「ねーね、僕お外にいってくるねぇ」
「うん、行ってらっしゃい。後で一緒にごはん食べようね!」
外の季節が移り変わり冬が訪れ、ダージリンが眠っている間ふるさとは度々、彼女の寝室を訪れた。
彼女の体質の事を聞き、それでもねーねが一人はダメだもん、と度々訪れては色々な話をしてまた新しい話を求めて遊びに出ていく。
いつもであれば一人で彼女が歩いているのを見つけた誰かが側で見守っていたり、相手になったりするが偶然皆、彼女に遭遇する事なく彼女から目が離れてしまった。
「んしょ、お外には……これ持っていくんだよね」
いつも自分が見ている物でしか正しい行動が判断出来なかったふるさとはセイロンがいつも持たせてくれるティーセットとおやつを入れてもらうバスケットを手に取る。
当然の事だがポットに淹れたてのお茶が入っている事もおやつが入っている事もないのだが幼い彼女はバスケットには魔法が掛かっていていつでもお茶とおやつが出て来る物だと思い込んでいた。
「んー、こっちはダージリンねーねと行った。こっちはロシアンにーにと行った。んー……」
既に行った事のある場所の事はダージリンに話しているのだから別の知らない場所に行こうと思った彼女はきょろりと辺りを見回した後まだ行った事のない場所を目指してバスケットを抱え、ぽてぽてと音のしそうな程にのんびりと歩き始めた。
先日走り回って転び、痛い思いをした為に外で走るのはやめたのだった。
「ん? 何かあるねー」
知らない方向へと歩いて行った彼女はひっそりと隠されるように建てられた東屋のような建物を見つける。それは木々が周囲に薄く影を作る中に佇んでおりどこか近寄りがたさを演出していたが好奇心が勝った幼子にはそんな物は気にならなかったようで小さな彼女にはとても大きく見える屋根を見上げながら近づいていった。
側に誰かが居ればきっと足元を疎かにしては危ないと注意しただろうが今は一人だ。
結果、東屋に上がる為の段差で転び掛けた。
「わっ! わ、わわぁ」
『危ないっ』
「ん!」
咄嗟に受け止めようと誰かの手が彼女に伸ばされたがその前に奇跡的な確率でバランスを取る事に成功したふるさとはそのままぽてりとバスケットをお腹に抱えて座り込み転ぶ事を回避した。
「びっくりしたぁ……」
バスケットで小さくティーカップが音を立てたが痛みはほとんどなかった。そして誰かが居る事に気付きパチリと瞬くと幼さ故かその瞳に映った存在に嬉しそうに笑った。
「にーに?」
『にぃ? ……ワタシが視えているのですか……? いえ、そんな奇跡のような事はきっと無いのでしょうね……』
「にーにちゃんと居るよ。だって僕もいるから」
『え……? アナタは……』
聞いた事の無い呼び掛けに戸惑うもあり得ない事と諦めたように首を振りその存在は一度彼女から視線を反らした。
心配したとて朧となってしまった自分の言葉が届く筈はない。小さく無垢な子供でも今まで誰も見る事は無かったのだから……と。
しかし続いた言葉に再び座りこんだ彼女を、見た。
「僕はねぇ、たった一人の為に作られた紅茶なの。あの子がいなくなっちゃってね、僕も連れて行ってほしかった。でも、僕はいる。だからにーにもいるんだよ」
小さな幼子の姿で、まだ何にも染まっていない無垢な瞳で彼女が座ったまま見上げて笑った。
ひっそりと忘れられ掛けてしまっていた者は幼子に縋るように言葉を落とした。
『ワタシ達は何故……』
「あの子が言ってたよ。自分は消えちゃうのに僕はダメって言うの。それにじーじがねぇ、消えずに居てくれたから会えたって笑うの」
「……ワタシは罪を犯しました。恩あるあの方を救う事が出来ず、ただ見ている事しか出来ませんでした……」
「うん、僕も。あの子の側に居ていやしてあげてって願われたのにね、傍に居るだけだったの。でもねぇ、あの子は僕に笑ってって言うんだよ。いっぱい代わりに笑ってって……」
それは彼女が寄り添い続けた人の子が死を悟って尚告げた言葉。元々人の子にはふるさとの姿を見る事も声を聞く事も出来なかった。
それでもいつの頃からか傍に寄り添う存在が居るに事に気付いていた。
そして命の灯火が消える直前の奇跡か見る事が出来、ふるさとの嘆きが聞こえてしまった。
『今度は……私があなたに寄り添うから、笑っていて。そして一緒に色んなところへ、連れて行ってね……』
そう最期にふるさとへ言い残して人の子は息を引き取った。
体の弱かった少女に定められた寿命は短く、紅茶の化身であるふるさとには明確な寿命は存在しなかった。人が居る限り、忘れさられる事がない限り生き続ける。そういう物だった。
一人残されしばらくは目が一緒に溶けてしまうのではないかと思われる程彼女は泣いた。
泣いて泣いて空っぽになった心に残ったのは寄り添い続けた少女の最期の願いを叶えなければいけないという想い。
一人で彷徨う事は寂しかった、怖かった。
それでももうそれしか残っていなかったから彼女は叶えたかった。
「にーに。にーにが頑張ってくれたから、僕にーにに会えたんだよ。にーには僕に会えたのうれしくない?」
「いいえ……いいえ。そんな事は決して……」
「ふへ。セイロンねーねのまほうのバスケット持って来たんだよ。お茶しよう」
無垢だからこそ見える物、分かる物がある。
そしてそれは金平糖のように淡い光となって降り積もる。朧だった者がふるさとに出会い視認された事でかつての姿を少し思い出した。
セイレシア王国の隣人として過ごしていた事、王国の権化と笑い合った事。
国花であるクチナシとダージリンを組み合わせて作られた自分〝クチナシの庭〟として民達に愛された事を……。
「あれ? まほうのバスケットなのにお茶もおかしもないよ? ころんだからかなぁ」
「いつもはどなたかが用意して下さっていたのでは?」
「セイロンねーねがくれる時は入ってるんだよ」
バスケットを開いたふるさとが不思議そうな声を上げた事でしゃぼん玉が割れたかのように短い再会は終わりを告げた。
ふるさとはいつもであればセイロンが紅茶を入れておいてくれる今は綺麗に洗われて空っぽな魔法瓶を振り、おやつを探していたが黙って持って来たバスケットに補充されている訳はなかった。
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ふるさとが幻のような人と出会いお茶会ごっこと称して空っぽのカップで遊び始めて少しした頃館内は騒然とし始めていた。
初めにいつの間にかふるさとが居なくなった事に気付いたセイロンが珍しく走った。
同胞に出会うたび小さな彼女を知らないかと尋ねるも誰も見て居ないと言う。
次に少し前までふるさとと共にダージリンの部屋に居たアッサムティーがダージリンの部屋から弾丸の様に飛び出して来た。
そんな彼女は人が多い場所を目指して談話室へと飛び込んだ。
「またお前は子供みたいに走り回って。お前の足は走らなければ気が済まないのかしら」
「ローズヒップ、アールグレイ、ミントティー! 良かった、手を貸して!」
「内容を聞かなければ答えられないのだけど?」
「此処に新しい仲間が来てるんだって! でも早く見つけてあげないと消えちゃうってダージリンちゃんが!」
それはどうにか夢の世界から浮上してきたダージリンからの伝言だった。
本来であれば決して春になるまで目覚めない彼女が辛うじて親友であるアッサムへと託した願い。
「えっ、た、大変っ。中? 外……?」
「ごめん、どっちかは聞けなかった。ギリギリ起きたって感じだったからさ」
「お爺様にお聞きして来るわ。お爺様なら気配など察知出来るでしょうし」
ふるさと探しに駆り出され、更に同胞探しを追加された者達で屋敷内は騒然としていた。
けれど見つからず皆が途方に暮れた頃、たまたま買い物に人界へ出ていたクラインが戻って来た。
「小道を通るとどうにも体に霧がまとわり付いているような気がするな。仕方ないんだけど」
「あ、クゥにーにー」
「ただいま、ふるさと。今日は何か楽しい発見は有ったかい?」
そろそろ戻るから一緒に行こうと告げたが断られてしまい、しょんぼりしながら戻って来たふるさとに呼ばれ、慣れた様子で抱き上げた。
「あのねぇ、あっちで遊んでもらったの」
「ん? 誰に?」
「んーとねぇ、黒い人! 黒い布かぶってたよ」
「ん? あれ? それ俺も知ってる人? いや……化身か?」
心当たりの無い人物像にクラインは内心で慌てた。幼い子供姿のふるさとが遊んでもらっている光景はとても微笑ましいだろうと思うが見知らぬ相手であるなら心配が勝る。
けれど腕に抱いた彼女は普段とどこも変わらず健やかだ。危害を加えられたのでないならひとまずは良いかと彼女を抱いて館へと足を踏み入れ……かけた。
ドアノブを捻ろうと手を伸ばしかけたが嫌な予感がしてむしろ扉から彼は距離を取った。
「クゥにーに?」
「いや、ちょっとね……」
嫌な予感は彼だけであったようでふるさとが不思議そうな顔をしたが距離を取っていて正解だったようだ。
耳に痛い慌ただしい足音が聞こえた直後、扉前に居れば一緒に跳ね飛ばされそうな勢いで内側から扉が押し開けられた。
「あっ! ごめん、クライン、ふる……ふるさと? セイローン! ふるさと居たぁー!」
「なんだ、良かった。クラインが一緒に居てくれたの?」
「期待に添えず申し訳ないけど違うんだ。あぁ、君達なら分かるかな。ふるさとが黒い布みたいな物を被った人に遊んでもらってたらしいんだけど誰か最近新しい同胞が増えたのだったかな」
「きっとその人だ! ダージリンちゃんがさっき消えかけちゃってる同胞がいるって教えてくれたんだよ!」
扉から飛び出したアッサムは目の前に居たクラインに驚きその腕に抱かれたふるさとを見つけて一度室内に振り返り大きな声で叫んだ。
それに答えて小走りに玄関ホールへやってきたセイロンはクラインと共に居るふるさとを見て心底ほっとした顔をしたが、クラインから発せられた言葉には目を丸くした。
内心浮かんだ言葉は──黒い着物でも被ったラプサンじゃないの?であった。
その後更に人員を増やしふるさとの記憶を頼りに……結果としては幼児の小さな頭の容量では場所についてはあまり頼りにならなかったが捜索が続けられ無事にダージリンが案じた同胞は見つかりひと悶着はあったが消えてしまう危機から救い出される事となった。
✧
「あの……先日やっと意味が分かったので訂正したいのだけど……ワタシは、にーにでもねーねでもないんだ……」
「んー? じゃあなんて呼んだらいい?」
「キミが呼びたいように。キミが知った上でこれまで通り呼ぶ事を選ぶならそれでも構わないよ」
「じゃあ────ってよぶねぇ」
少し悩んだ後、そう呼ばれた新しい仲間はクチナシの花の蕾が綻ぶかのように嬉しそうに笑った。
唯一の少女を喪った彼女と、国の滅びを看取った〝幻の庭〟と呼ばれるようになってしまった者は新たな居場所と同胞に迎えられ孤独ではなくなった。
願わくばもう二度と孤独を感じる事なく永き時を渡っていけますように────
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