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1-4話 愛しき日々
【登場】正山小種
セイロン / ミルクティー / ロシアンティー
【執筆】Baum
中国が唐の時代であった頃から正山小種の化身として長き時を過ごしてきた我の目覚める時間は早い。今のように室内や手元を照らす事の出来るような物が気軽に使えなかった頃より存在するのだから致し方なき事。
貧しい暮らしをしていた訳ではなかったが昔は蝋燭とて安くはなく、また茶園で働くような労働者にまでは普及しておらなんだ。
それ故日の出と共に目覚め日の入りと共に眠る。ある意味紅茶の化身とはいえ元は茶葉であったのだから正しい姿であったとも言えよう。
それを不便だと思う事もなかった。
むしろ長年染みついた暮らしは早々に忘れる事が出来ずアールグレイやキーマンにもうそのように苦心せずとも暮らせるのだと言われようとそう簡単には馴染めなんだ。
それは黄昏の庭園へと来てからも変わらず、時の流れも空模様からも切り離れされていても同じ事。
習慣は寸分も狂わず、外界と同じく夜明けと共に目覚め世界を闇が満たす頃には程なく世界同様に眠りに落ちる。
二度寝をするような習慣はなかった為眠り直せる訳もなく一人で脱ぎ着出来る短衫を着込み寝乱れた髪を錦の結紐で簡単に束ねて身支度を整えると窓を開け放ち庭へと舞い降りる。
二階といえど見ていて恐ろしい為改めるようミルクティーには言われ控えてはいるが誰も起きておらぬ時分であれば良いだろうと思う。広いこの住処は玄関へ向かうにも時間が掛かる。
黄昏の庭園と称されしこの空間は、草花すら季節の概念からは外れ常に様々な花々が狂い咲き目を楽しませてくれる。その中に仄かな芳香を放つ見事な牡丹の花を見つけ身を寄せた。
そして、偶然迷い込んだ小鳥にでも啄まれでもしたのか綺麗なまま落とされてしまった花があることに気づく。
「これは水にでも遊ばせてやれば美しかろう。我がもうしばし咲き続けていられるようにしてやろうの」
誰ともなくそう告げ憐れな花を拾い上げた。
水に浮かべてやるまではと我の髪を飾って貰う事にする。
日課としている剣舞を庭の片隅でしばらく舞い、周辺の見回りを兼ねた散歩を終えて戻ると早起きな者から起きて来ておった。
「ラプサンおはよう。もういつも通り剣舞と散歩を終えて戻って来たの? 今日はパンを焼きたくて早起きしたから勝てたかと思ったのになぁ」
「おはよう。今朝も我の勝ちよの。外が夜明けを迎える前に起きねば我には勝てぬぞ」
「そっか、日の出かぁ。それにしても可愛い花を飾ってどうしたの?」
我が寝起きしておる室へと戻る途中、沢山のパンの入ったバスケットを持ったセイロンと出会った。いつも朝食を作る為早起きをしておるが今日は更に早起きしていたようじゃな。
流石はおしゃれにも明るい女性体を取っているだけあって目が早い。いや、大輪である事、我の黒髪を飾っている事で良く映えただけかもしらんな。問われた事で存在を思い出した故そろそろ水に浮かべてやらねばと問うてみる事とする。
「迷い込んだ小鳥に落とされてしもうたようでの。時に可愛い子や。何かこれを水に浮かべてやれるような器を知らぬか?」
「私の部屋にはないわ。でもミルクティーなら持ってるかも。これからパンのおすそ分けに行くから一緒に行きましょ」
「ふむ、ではそうしよう。可愛い子や、我にもパンを分けておくれ」
「もちろん。あと十分程で次が焼けるから、そしたら一緒に朝食にしましょ」
誘いに嬉しく頷きセイロンの隣を歩いてミルクティーの部屋へと向かう。既に目覚めてローズヒップの部屋に居るような気もするがの。
その辺りは自分で気付き学んでゆかねばな。
「ミルクティー、パン焼き過ぎちゃったからおすそ分けよー」
たどり着いたミルクティーの部屋の前で可愛い子が声を上げるが、そこには部屋の主はおらなんだ。案の定少しするとローズヒップの部屋の扉がそっと開いた。
「セイロンおはよう。でもローズ様はまだお休みだからもう少し静かにね?」
「あ、ごめん。そっか、まだいつもよりも早い時間よね」
「お爺様もおはようございます。お爺様は何か僕にご用でしたか?」
扉前で声を上げたセイロンに対し部屋から出てきたミルクティーが苦笑交じりに注意し、我へも挨拶をしてくれる。相変わらず礼儀正しい子じゃ。
「おはよう。孫や、この花を水に浮かべてやれるような器を持っておらんか。このまま朽ちてしまうのは惜しくての」
「綺麗な牡丹ですね。僕は持っていませんが、ローズ様でしたらお持ちですよ。ローズ様が起きられましたら借りてお爺様の元にお届けしましょうか?」
「では頼もうかの。我はしばしセイロンの部屋におる予定じゃ」
髪飾りの役目を果たしてくれていた牡丹にも礼を告げ、差し出されたミルクティーの掌の上へと移す。
きっと良き器をこの子であれば選んでくれよう。
そしてセイロンからも笑みを浮かべてバスケットを受け取りローズヒップの室へと戻っていった。
ミルクティーはローズヒップティーの化身である孫娘が目覚める前に室内を整え花の世話などを行う事を日課としておる。
そういった細やかな気遣いは努力の賜物であろうな。
その後セイロンに淹れてもらった紅茶と共に焼きたての柔らかなパンを食しゆるりと寛いでおればミルクティーが約束通り美しい細工の施された硝子の器に牡丹を浮かべて届けてくれた。
セイロンの部屋もパンの匂いにつられた子等が増えて来た為一声掛けてそっと抜け出し廊下を歩き始める。
途中出会ったミントティーにも見せたが器と牡丹の組み合わせが綺麗だと褒めてくれた。良い物を選んでくれたミルクティーとローズヒップに後程再度礼を言わねばな。
「おお、そうじゃ。今日はまだ行っておらなんだ。あの子にもこの花を届けてやろうかの」
ふと今日はまだ会いに行っておらぬ眠り続けている子の事を思う。
紅茶として我と違い気高く他の者らの頂点として在ろうとするその生き様は美しい。
けれど子はその存在、在り方故にいつまでも解けぬ呪いのような悲しき宿命を負うておる。
そんな子が心安らかに眠られるように見守るのは親の務めであろう。我は爺だが。
「ダージリン。可愛い子や。いい夢は見れておるか? 今日はな綺麗な牡丹も伴って来たのだ。良い香りであろう?器はな、ローズが貸してくれての、綺麗じゃぞ。そなたが目覚めたらまた借りて見せてやろうの」
そっとベットの傍らに配置された棚へと牡丹の浮かぶ器を置き、我もダージリンが眠り続けておるベットに凭れるようにして座り声を掛ける。子は今日も健やかな寝顔をしておる。
悪い夢に落ちているような事もないようじゃな。
この子が眠っている間此処で過ごすようになって以来、日課のように暫し傍らへと座し話しかけるようになった。
皆の事が気になって良く眠れぬではいかんからの。そう思っているのは我だけではないようでアッサムや、ロシアンティーなぞもこの室に通うておるがの。
「ラプ爺さん、ラプ爺さん。おーい。アンタまで此処で眠ってどうすんの。いくら黄昏の庭園内でもそんな薄着で床に座って寝たら風邪引くって」
「ん……孫かの。なんぞあったか?」
「うん。爺さんここで寝ないようにってオレ一昨日も言わなかったっけ?」
そういえば言われたような気がするの。
ここは静謐に満ちており子の小さく漏らす寝息と自らが立てる音しかせぬ。故に寝息を数えているうち、共に眠ってしまう事もあった。
食事の時間になっても顔を出さぬ我を探してくれる優しい孫のロシアンティーは呆れたように言い、少し冷えた我の肩に大きなひざ掛けをケープの代わりのように掛けてくれる。
「すまぬ。ここは静かで落ち着くでな、つい眠ってしもうた」
「爺さんが寝込んだら多分看病するのはオレかミルクティーになるんだろうから勘弁してよ」
「孫らに看病されるにも悪くないだろうの。そうじゃ、孫や。良い香りだと思わんか? 水に遊ぶ姿も良かろうと思ってな。持ってきてみたんじゃ」
孫達に甲斐甲斐しく世話をしてもらう、という想像の途中風がない筈であるのにふわりと届いた牡丹の香りに構わなんだから拗ねたかと器を持ち上げロシアンティーへと差し出す。
孫は牡丹の存在に今気付いたのか、細い指先を伸ばして来てついと牡丹の花弁に触れる。
ほんの少し押されて水に沈んだ牡丹が浮き上がってきてクルリと満足そうに回った。
「おや、踊ってみせてくれたの。可愛い子じゃ」
「ラプ爺さん何か花の妖精でも視えてる?」
「いいや? コレにはおらぬな。じゃが祖国英国には色々とおるじゃろう? 牡丹の妖精にはまだ会ったことがないがの」
露西亜はどうであったか忘れてしもうたが、我の祖国中国や英国には色んな者達がおる。
以前、愛蘭土ではケットシーという子猫の妖精にも会った事がある。
その話をした時ダージリンも、きっと可愛いわね、と微笑うてくれた。
「爺さんが人みたいな表現するから居るかと思ったのに。でも、うん綺麗。陛下も喜んでると思う」
「だと良いの」
また微笑ってくれるじゃろうかと我が笑うと孫は何か思い出したような顔をした。
なんぞあったかと首を傾げれば……。
「爺さんが寝てたせいで言い忘れてたけど、ミルクティーがクッキー焼いたから味見してほしいって言ってたよ」
そう言いついでのように今日のはクッキーかは怪しかったけど味は悪くなかったと教えてくれた。そういえば少し腹が減ったような気がするの。昼食を食い損ねてしもうた。
「ならば行ってくるとしよう。可愛い子や、また明日来るでの。牡丹はそれまで預かっていておくれ」
我の体温を移し少し温もりを持つ膝掛けも置いていこうと脱ぎ掛ければ明日牡丹と交換で、と掛け直される。
それに優しい孫じゃ、と笑い迎えの礼も告げて手を振って別れる。
我の子や孫達はほんに優しく良い子達だと嬉しく思いつつ移動を開始した。
我は子や孫に恵まれておる。
願わくば一人でも多く孤独に泣く子を見つけ出し、此処へと導き皆と心穏やかに過ごしてくれる事を願うばかり。
そうして我はダージリンの目覚めを待って旅立った先で小さき同胞を見つける事となる。
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