アイガタメニ

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愛のためなら、自らのすべてを捧げる。  運命の“彼”と出会った日、江川 泪はそう心に誓った。  ホストクラブ『エグゾセ』。薄暗い店内には今日も暗闇を切り裂くようにしてゴージャスな照明が輝いている。無数の歓声と爆音で流れるBGM。 天井をまばゆい光が幾重にも交差し、積みあがったシャンパンタワーがきらきらと光を放つ。 そんな中、仕切り役のゴーサインとともに金色の泡が溢れ、グラスに注がれていくのをただ静かに見守る。この店の常連である泪にとってはもはや見慣れた光景だった。 浴びせられる祝福の言葉も、笑顔も、それに伴う喧騒もはっきり言ってしまえばどうでもいいことだった。 周囲が異常なまでに熱狂しているのは肌感覚で分かるが、心の裡でそれすらも遠い国の出来事みたく感じている自分がいる。 彼女の視界には、ただ一人の存在————担当ホストの零士だけが、眩しいほどに輝いていた。黒髪に包まれた整った顔立ちと、柔らかな笑みを浮かべる唇。 どれだけ派手なネオンが瞬こうとも、どれほどのシャンパンが注がれようとも、彼には到底及ばない。泪の瞳に映るのはいつでも零士ただ一人だけだった。 彼がこちらに向かってほんの一瞬、微笑めば、それだけで黄金の雨が降りそそぎ、周囲の光はかき消されてしまう。      * 「零士さん、これ、今月分です」 店の営業終わり。泪はおそるおそる鞄から取り出した茶封筒を手渡した。なかには数百万に及ぶ札束が入っている。この日のために必死になって稼ぎ、貯めていた貯金だった。 すべては彼のために。泪にとって、それらはただの紙切れではなく、自分の「愛」を形にしたものだった。 「ありがとう、泪ちゃん。 毎回無理させちゃって悪いね」 カウンター越しに封筒を受け取った零士はいつものごとく、柔らかな笑みを浮かべて言った。手慣れた口調だが、そこには泪の労をねぎらうかのような温かさを含まれており、身体ごと吸い寄せられるような感覚に陥る。 「悪いなんて、そんな……零士さんがナンバーワンになるためなら、わたし何でもします」 「嬉しいね。 そんな風に言ってくれる子は君だけだよ」  自分だけ、という言葉。そう言ってくれた事実が泪の心を歓喜で満たしていく。彼にもっと振り向いてほしい。その一心で、泪はこれまで必死に努力を重ねてきた。零士に愛されるためなら、常に自分のすべてを捧げる覚悟で生きてきた。    そんなある日のこと。店で年に一度の大規模なイベントが開催されることが告げられた。ホストたちの名誉とプライドをかけた戦い。 零士にとっても、泪にとっても、避けては通れない熾烈な競争だった。 「泪ちゃん、今度のイベントなんだけど一千万以上売り上げないと、俺けっこう厳しくて……」  遡ること3日前、そう漏らした零士の口調はいつもより弱々しく感じられた。 普段の自信に満ちた態度は今や見る影もない。泪の隣に座る彼は目を伏せ、困ったように唇を噛んでいる。その様子に胸がぎゅっと締め付けられる。 零士が悩んでいる。何とかしなければ。泪の中に本能的な衝動が湧き上がった。 「私に任せてください。 絶対に何とかしてみせます」 まっすぐに彼を見つめて泪は言った。その声には揺るぎなく、真っ直ぐな決意が込めら れていた。零士の目が一瞬、驚いたように見開かれる。数秒の沈黙の後、彼は穏やかな微笑みを浮かべて、 「……ありがとう。 泪ちゃんにはいつも本当に感謝してるよ。 俺のこと、信じてくれてるんだね」 「当り前じゃないですか」 「うん、一緒に頑張ろう。 今回も二人で力を合わせて乗り越えようね」 零士はそう言うと優しく泪の手を取り、その指先を軽く握りしめる。そのぬくもりに安堵 し、自然と涙がこぼれた。 零士が笑ってくれる。彼の役に立てる。それだけで、この上ない幸福を感じられる。 零士のために、愛のために————泪は心に強く誓う。 自分の全財産を投げ打ってでも、一千万を集める。自分の愛を証明するためにはそれしかない。たとえ、どれだけ辛くても。彼を助けられるのは自分ただ一人。零士をナンバーワンにするため、泪は改めて全力を尽くす覚悟を決めた。 その日の夜、泪はいつものように出会い系サイトを漁っていた。零士のため、今日もお金を稼ぐための新しい「スポンサー」を見つけなければならない。 そんな中、彼女の目に飛び込んできたのは、「40代・会社役員・紳士的」とプロフィールに記された、田村という名前の男性だった。  翌日、初めて対面した田村はスーツ姿がよく似合う物腰柔らかな中年男性だった。 おだやかな笑顔を浮かべ、礼儀正しい態度で彼女を迎える様子は一見どこにでもいるサラリーマンそのもので、出会い系を利用しているようにはとても見えない。 だが、泪は彼の目を見たとき、少しばかり違和感を感じた。その瞳の奥にはどこか歪んだ光が潜んでいるように見えたからだ。 大丈夫。ただ食事に来ただけ。もし危ない人だったとしても、お金をもらったらすぐに連絡を絶てばいい。 そう言い聞かせ、泪は不安な気持ちを胸の奥にしまい込み、テーブルの向かい側に腰を下ろした。 「江川さん、今日は来てくれてありがとう」 泪が席につくなり、田村は柔らかく呼びかける。最初の会話はごく普通のものだった。仕事の話、趣味の話、食べ物の好み……特に変わった点は見当たらなかった。 だが、一時間ほど経過した頃、田村の表情がわずかに変わる。 「ねえ、泪ちゃん」 「はい?」   いきなりの名前呼びに、泪はぎくりとする。だが田村は澄ました様子で話し続けた。  「実は僕ねえ、昔から好きな人の持ち物を集めるのが趣味なんだ。 だから、江川さんのことも、もっと知りたいと思ってね……」 田村の口調はいたって優しく、穏やかだった。けれども、その言葉には泪の心の内側に警鐘を鳴らす何かが含まれていた。 目の前のコーヒーカップをそっとテーブルに置き、ぎこちなく微笑む。 「わ、わたしのことって……?」 「うん、要するにさ、江川さんが使っているもの、たとえば、ハンカチとかペンとか、そういうものを集めたいんだ。 もちろん、それ相応の対価は支払うよ」 田村の目は真剣だった。気持ち悪い。肌が泡立つのが分かった。 けれど、パパ活の一環として考えれば悪くない取引だ。いつもなら、食事のあと、必ずホテルに行くのがお約束。それを私物を渡すだけで済むのなら、これほど楽なことはない。 「わ、わかりました……」 すべては零士のため。零士のためなのだ。 それ以来、泪は田村の求めに応じて、自分の使い古したハンカチや化粧品の空容器などを渡し、そのたびにまとまったお金を受け取るようになった。 田村は「取引」が済めば、それ以上は何も要求してこなかった。 泪はただ食事に付き合うだけ。最初はそのことを疑問に感じていたものの、徐々に「最高の金づるができた」と、心の中でほくそ笑むようになった。 しかし、何事もなく順調にいっていたのはそこまでだった。 次第に、田村の要求はエスカレートしていった。 彼はより個人的な品を欲しがるようになり、時には泪の肌に直接触れるもの、たとえばブラシに絡まった髪の毛や、使い古した靴下などを指定してきた。 「田村さん、さすがにそれは……」 一度、困惑した表情でそう口にしたとき、田村はいつもと変わらぬ笑顔を浮かべながら首を傾げた。 「どうして? 泪ちゃんのことが好きだから、もっと知りたいだけなんだよ。 君もお金が必要なんだろ?」 その口調は有無を言わせないもので、泪は無意識に田村の目を避けるように視線をそらした。 そして、ついに決定的な瞬間が訪れた。 「次は……泪ちゃんの下着が欲しい」 静かに告げられたその一言が、泪の中で何かを弾けさせた。 「それは、できません」 唇を震わせながら、泪はきっぱりと拒絶の意思を示した。田村はしばらく泪を見つめていたが、やがて肩をすくめると、 「そっか、仕方ないね。 でも、また考え直してくれたら嬉しいな」 その日を境に、泪は田村と一切の連絡を絶ち、長年利用し続けていた出会い系サイトも覗かなくなった。 あれほど大事にしていたホスト通いも、しばらく控えることにした。怖かった。自分がどれだけ無防備だったのかを思い知らされ、泪は自らの愚かさを呪った。 だが、そんな泪の前に再び零士が現れた。 「泪ちゃん、どうして急に来なくなっちゃったの?」 ある日、零士は彼女の家を訪ね、寂しそうにそう問いかけた。 泪は答えに詰まったが、零士は彼女の手を取って優しく微笑む。 「実は、来週のイベント、どうしても泪ちゃんの協力が必要なんだ……お願い、もう一度俺を助けてくれないかな?」 懇願する彼のその瞳と笑顔に、泪は全身の力が抜けていくのを感じた。 田村のことを思い出し、不安がよぎる。 けれど、零士の優しい声が彼女の心の中の抵抗を溶かしていった。 「うん、わかった。 わたしに全部任せて」 コクリと小さく頷く。 その夜、二人はベッドの上で熱く情を交わした。 愛してる、いつまでも、いつまでも。 そんな風な零士の甘い囁きに酔いしれながら、泪は再び彼に身も心も捧げることを誓った。 翌日から泪はまたホストクラブに通うようになった。彼の笑顔が見たい。その思いだけを胸に、彼女は再び夜の世界へと戻っていった。       * 手っ取り早く目的を達成する方法は現状一つしかない。 田村に再び会いに行く決意をしたとき、自分がどれほど絶望的な状況に追い込まれているかを痛感していた。零士のために、どうしても一千万円を手に入れなければならない。 クラブのイベントが目前に迫るなか、このままでは零士が自分から離れていってしまう。 そんな恐怖心に追い立てられるようにして、泪は久しぶりに田村に連絡を取った。 案の定、返事は驚くほど早かった。指定された喫茶店に行くと、田村はいつもと同じ、穏やかな笑みを浮かべていた。 しかし、目が合った瞬間、泪の背筋に冷たいものが走った。あの紳士的な仮面の奥に潜む異様な光。以前よりもさらに深く、暗いものに変わっている。 「久しぶりだね、泪ちゃん。 また会えて嬉しいよ」 口調は相変わらず丁寧そのもの。だが、泪はその奥に隠された何かを感じ取っていた。 拒絶しようとしたのに、逃げ出したはずなのに、また自ら戻ってきてしまった。 「……やっぱり、田村さんとお話したくて」 できることならこれを最後にしたい。そう願いつつも、泪は必死に笑顔を繕う。 「そうか、それは良かった。 でもね、泪ちゃん。僕はもう君のものを集めるのには飽きてしまったんだ」 「え————」  飽きた? 泪は一瞬、耳を疑った。 田村はもう自分に興味を失くしたということだろうか。 心臓の鼓動が速まり、手が汗ばんでいくのを感じた。 「それって、どういうことですか?」 「いや、あのね」田村は泪をじっと見つめ、 「君の心が欲しいんだよ、泪ちゃん。 君のすべてを手に入れたくなった。 君がどこで何をしているか、誰と話しているのか、何を考えているのか……それら全部を僕のものにしたい。 分かってくれるよね?」 そう静かに詰め寄られ、泪は息を飲んだ。 背筋が凍りつくような、異様な寒気が体を駆け巡る。 ここで拒否したら、何をされるか分からない。 いや、もうすでに逃げ道などないのかもしれない。 田村の爬虫類のような視線に耐えきれず、苦し紛れに言葉を発する。 「……だったら、田村さん。 私に一千万円、くれませんか? その代わり、私は……」 仮に犯られるとしても、タダではやられない。 声が震えそうになるのを抑え、泪は絞り出すように言葉を続ける。 「田村さんの、恋人になります」 一瞬、田村の目が見開かれる。驚いたのか、それとも興奮したのか。 「いいだろう、君がそう言うなら」田村はにこりと微笑んだ。 「一千万円、君にあげよう。 でも、もし僕の元から離れようとしたら……泪ちゃん、分かるね?」 脳裏に響くその声はまるで呪いのようだった。 だが、泪はただ力なく頷くことしかできなかった。 心の中で「零士やったよ」とつぶやく。だが、それは泪の心に深い影を落とした。 夜、泪は急いで準備を進めていた。必要最低限の荷物だけをスーツケースに詰め、田村から手に入れた一千万円を封筒に収める。これさえあれば、零士を助けられる。これが終わったら、もう二度と田村とは会わなくて済む。そう思うと、希望の光が胸の中に差し込んだような気がした。 そんなとき、不意に家のインターホンが鳴る。 「……誰?」 嫌な予感がした。額にじっとりと汗が滲み、心臓が激しく脈打つ。 ドアを開けるべきか否か。インターホン越しの防犯カメラを見たが、ぼんやりとした影しか映らない。チ どちら様ですか、と問いかける。すると、 「こんばんは、泪ちゃん」 聞きなれた声が返ってくる。 「零士さん?」 途端に方の力が抜け、ほっと安堵の息をつく。 「どうしたんですか、こんな夜中に……」 「いや、なんていうか、急に会いたくなってさ。 それより、ドア開けてくれる?」 「あ、はい。 すぐ開けます」 泪は玄関まで行き、ドアを開けた。 「急に会いたいだなんて、何かあったんですか?」 泪が問いかけると、零士は微笑んだまま、彼女の頬にそっと触れた。 その感触は優しく、彼の表情もいつもと変わらず温かなものだった。だが、次の瞬間、彼の手のひらの中で何かが光った。 「泪ちゃん……ごめんね」 「え?」 バチンッ! 鋭い音と共に、電流が体を駆け巡る。 零士は手に持っていたスタンガンを泪の体に押し当てた。 全身が硬直し、視界が急速に暗転していく。 口を開いて何かを叫ぼうとしたが、声は喉の奥で掠れたまま出てこない。 「れ……零士……さ……ん……」 泪の体は崩れ落ち、意識はあっという間に闇に飲み込まれていった。 「ゆっくりおやすみ、泪ちゃん。これから……君を守ってあげるから」 耳元で囁くその声が、どこか遠くで響く。 闇の中で、泪はただ恐怖に震え、意識を失っていった。     * ゆっくりと瞼を開けると、ぼんやりとした光が視界に飛び込んできた。 頭が割れるように痛む。意識は朦朧とし、周囲の状況を正しく把握できないまま、泪は体を動かそうとした。 だが、次の瞬間、自分の手足がまったく動かせないことに気づく。 「……何、これ」 泪は視線を下に向けた。手首と足首は頑丈なベルトで椅子に固定されていた。 動かそうとすれば硬い金属の枷がぴったりと食い込んできて、わずかな動きすら許されないように締め付けてくる。 「な、なんで……ここ、どこ?」 不自由ななか、周囲を見回す。見知らぬ部屋だ。壁際には奇妙なものが並んでいる。 人形だろうか。部屋の至るところに立ったり座ったりしている。 「おはよう、泪ちゃん」 どこからか声が聞こえた。はっとして振り返ると、そこには田村が立っていた。 あの穏やかで、どこか抜けた笑みを浮かべたまま、ゆっくりと泪に近づいてくる。 「田村さん?」 泪の声は震えていた。どうして彼がここにいるのだろう。 そもそもここは一体どこなのか。混乱する思考を必死に整理しようとする。目の前の 「どうして……私、なんでこんなところに……」 田村はにこりと笑みを深めた。その瞬間、泪は背筋に氷の刃が走ったような感覚に襲われた。いつもの優しげな表情はそのままなのに、彼の瞳の奥に狂気が渦巻いているのを感じたのだ。 「どうして、だって? 僕との約束を忘れたのかい? もし僕の元を離れようとしたら どうなるか……」  泪はごくりと唾を飲み込む。確かに約束はした。だが当然、本気なんかじゃない。  お金を受け取ったら、それで関係を終わらせるつもりだった。  ————なぜ、そのことを知っている?  「ふふ、なんでバレたのか分からないって顔だね」 田村の手が動いた。その指先が示す先を見て、泪は絶句した。 「……れ、零士……さん?」 泪の声は掠れた。視線の先には、彼女が心から愛していた男————零士が立っていた。いつもと同じ優しい微笑み。だが、その表情に今日は安堵の気持ちはわかなかった。 むしろ、底冷えするような恐怖だけがこみ上げてくる。 「やあ、泪ちゃん。 騙して悪かったね」 零士はふわりとした柔らかな口調で言った。まるで日常の会話をするかのような、穏やかな調子だ。 しかし、その言葉が泪の心に刺さる。 目の前がぐらぐらと揺れ、世界がぐにゃりと歪んだ気がした。 「どういうこと……零士さん、私を……?」 問いかける泪の瞳が、信じられないと訴えているのが分かったのか、零士はかすかに首を傾げた。やれやれとばかりに、田村に向き直る。 「僕が泪ちゃんをここに連れてきたんだよ、田村さんとの約束通りにね」  「ありがとう、零士くん。君が協力してくれて、本当に助かったよ。これで僕のコレクションがまた増える」 田村は満足げに頷くと、目を輝かせた。 その目の輝きは、子供が長年欲しがっていたおもちゃを手に入れたときのそれに似ている。 「……コレクション?」 泪は彼の言葉を復唱した。まるで意味がわからなかった。 しかし、次の瞬間、その意味を知ってしまった。 再び周囲に目を向ける。壁際に立ち並ぶ人形。よく見ると、それはどれも余りにもリアルな作りをしていた。目や鼻や口、そのすべてが生々しい。まるで生きたまま剥製にされたみたいに。 「これは……何……?」 ぞっとするような冷気が、体を包み込んだ。 「素晴らしいだろう。 どれも僕が長年かけて集めたものだ。 泪ちゃん。君みたいな可愛らしい子を集めて、こうしてずっと僕のそばに置いておくんだ」 「そ、そんな……いや、そんなの……」 声が震え、体が硬直する。田村はそんな泪の様子をまるで面白がるかのように、笑いながら近づいてくる。その足音が一歩一歩、泪の心を締め付けていく。 「どうすれば君の心が手に入るか、ずっと考えていたんだ。君が僕の元を離れないようにするには、どうしたらいいのかってね」 信じられない。拒絶する。 「ここでゆっくり可愛がってあげるよ、泪ちゃん」 田村の声が不気味に響いた。泪の体は恐怖に震え、涙がこぼれる。 絶望。まさにそれ以外の言葉が見つからなかった。 零士はずっと彼女を裏切っていた。信じていたものがすべて壊され、残ったのは田村の異常な愛欲に囚われた現実だけだった。 「いや……いやだ、こんなの……」 泪は涙を流し、必死に拘束具を引きちぎろうとする。しかし、いくら力を入れてもそれはびくともしない。まるで彼女を永久にこの場に縛りつけるかのように、冷たく硬いベルトが彼女の体を締め付けていた。 「もう泪ちゃんはどこにも行かなくていいんだよ」 田村の囁きが耳に刺さる。 絶望の淵に立たされた泪は、ただ泣き叫びたい衝動を必死に抑え、無力な自分を嘆くしかなかった。もう誰も彼女を助けてはくれない。彼女の未来は、希望は、すべて目の前の二人によって無残に奪い去られたのだ。 泪は歯を食いしばり、涙を流し続けた。零士と田村は、そんな彼女の様子を見て満足げに顔を見合わせ、再び不気味な笑みを浮かべた。 「これから、僕たちと一緒にずっと過ごそうね、泪ちゃん」 暗闇の中、哀れな女の絶望の叫びだけが虚しく響いた。
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