異世界

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 長かった。やっと、これで三本集まった。  大陸最長と名高いウリル山脈。その中でも群を抜き、天高くそびえ立つ、カイル山の頂付近に、巨大なクレーターが形成された。縦横に伸び、小型の隕石でも落ちたのかと疑うほど、容赦なく窪んでいる。端からは、噴火口のように映るかもしれない。  その穴ほどではないが、周囲には荒らされた形跡が見当たる。大木がなぎ倒れ、地面はひび割れている。森林とは思えないほど周囲はひらけている。野生動物が生息できる環境下ではないため、切り取られたように静謐な空間だ。  冒険者程度の経験と知識さえあれば、何が起きたのかを瞬時に理解できるだろう。それが戦闘の余波であること。そして、その規模。誰と誰の戦闘なのかまで、思い至るはずだ。  探索者、俺リュウが率いるパーティーと、魔王リャイオンの戦闘である。 「長かったね」  リャイオンの死を見定めてから、俺の心境を代弁するがごとく、回復職のソーニャが、ぽつりと呟いた。ソーニャの言葉には哀愁が込められていた。俺はその理由を知っていたので、なんと返せばいいのか分からなかった。  ソーニャに続いて、魔法職のゴン、前衛職のティムリが順に口を開く。 「長かった。でも成し遂げたんです。これはすごいことですよ。人類にとっても、リュウさんにとっても」 「遂に、リュウの願いが叶うのね。だったら私、嬉しいわ」  俺は決定打となった右手の拳を見つめ、それからパーティーの仲間、三人を見渡した。  青。黒。赤。三人の瞳が俺と重なる。純真な眼差しに射抜かれ、俺は一瞬たじろいだ。しかし俺もまた、同じ目つきをしているに間違いはないだろう。  美しい金髪をし、猫耳をのぞかせた獣人のソーニャ。  背が低く、まだあどけない顔立ちのゴン。  柔らかい物腰をしているが、戦闘になると途端に人が変わるティムリ。  各々が各分野のプロフェッショナルで、この冒険に欠かせなかった仲間たちである。 「ここまで付いてきてくれてありがとう」  俺は小さな声、しかしはっきりと言った。  三人は感極まったように口を噤んだ。涙を堪えているらしかった。  三人の視線の先を受け、俺は頬を伝うものに気がついた。俺は涙を流していたのだった。慌てて拭おうとしたが、脱力してしまって、結局腕は上がらなかった。  ソーニャは声を詰まらせながら言った。 「仕方ないよね。だって、リュウは転移者で、異世界に病気の妹を残してきたんだから」  慌てて補うようにゴンが言った。 「でも仕方ないですよ。僕たちだってそれを理解して、リュウさんと冒険してきたはずです」 「そうよ。ゴンの言う通り。世界に君臨する三体の魔王を打ち倒し、扉を開くために必要な鍵もついに三本集まったんですから」  俺は、一番大きなクレーターの底に降り立ち、陽光に照らされて輝く一本の鍵を手に取った。これが最後の一本である。  遠路の旅、入念な下準備を重ね、最後俺の一撃によって、魔王リャイオンは地に沈んだ。  リャイオンは討伐され、その報酬として鍵がドロップされたのだった。鋭い爪、獰猛な肉体は、その魅力を凝縮させたかのように、小さな金色の鍵へ変貌を遂げている。  鍵。  それは扉を開くためのものだ。三本集めることによって、自分が望んだ世界と繋がることができる。その世界へ行くことが叶うのだ。  俺の望んだ世界。それを語るにあたって、まず俺の境遇から説明する必要がある。  俺は本来、この世界の住人ではない。転移者なのである。元々は地球という星に住んでいて、病気の妹、アイがいる――はずだ。  しかし、すべてを思い出すことは不可能だ。俺は記憶喪失でもある。  覚えていることといえば、アイの病状について。両親について。日本の生活水準について。精々そのくらいだ。  それ以外は、霞がかったように蓋がされて、どれだけ思い出そうとしても思い出せない。  俺がどんな生活を送っていたのか。友人はいたのか。何を生きがいとしていたのか。そういった記憶は、俺にとっても重要であるはずなのに、まるで初めからなかったみたいに、失われてしまっているのだった。  アイは、難病だ。アイは子供の頃からずっと入退院を繰り返していて、よくなったためしがない。  だからこそ、俺はなんとしても戻らなければならない。兄として、寄り添わなければならない。先行きすら風まかせな異郷の地で、俺の指針、確固たる行動原理はそれである。ある日突然、異世界に迷い込み、右も左もわからない状態から今日まで、必死で生きてきたのだった。  俺は長い冒険の日々を、ピースを繋ぎ合わせてパズルを完成させるように、少しずつ思い返した。 「一本目が一番大変だったな」  俺の短い呟きに、仲間たちが思い思いの感情を乗せていく。 「最初は私とリュウだけでしたよね。誰もが、どうせ勝てないからやめとけって言ったけど、続けた。あの硬い鱗の魔王、攻撃能力は低かったですが、攻略に随分手間取りました」 「二年と少しです。でも、あれは魔法職の僕が参入したから早期に決着がついたんですよ。鱗を破ってもその下に鱗があるし、おまけに再生能力も秀でていたから、僕の遅延効果と毒がなければ一生かかってました」 「そんなこというなら私だってそうだわ。二本目の鍵の所有者、魔王ヘンリー。強力な一点突破の攻撃魔法に加え、卓越した剣技よ。ヒールも、毒も間に合わない。私が引き付けて粘らなきゃ一瞬で負けてたね」  二人に乗っかる形で、ティムリがツンとした口調で言った。だしにされ、ソーニャがむっと顔をしかめる。ゴンも面白くなさそうな表情をした。 「はいはい」  白熱しそうな雰囲気になったので、俺は手を叩いた。このまま放っておけば、言い争いでは済まなくなり、やがて容赦ない殴り合いが展開されるだろう。そうなれば、もう誰にだって止められない。 「色々困難はあったけれど、満足のいく冒険だったじゃないか」  好物や性格、仲介のタイミングまで、長く冒険を重ねれば、仲間について様々なことが分かってくる。目論見通り、三人は大人しくなった。  森林の寂静に紛れるように、ソーニャがぽつり、口を開く。 「でも、一番の功労者はリーダーのリュウだよ。リュウがいなかったら、きっと一体も倒せなかったんだから」 「そうですよね。誰もが恐れ、挑むことすら憚られていた三体の魔王に挑み、しかも全員を討伐するなんて、今でも信じられない気持ちでいっぱいです」 「リュウがいなければ、私はもう一生盾を握ることはなかったでしょうね」  それをいうなら、と俺は思った。  それをいうなら、俺の能力のおかげだ。恵まれたステータスに、莫大な経験値補正。常人が何百匹の魔物を討伐して、やっと手に入れることのできる力。それを、スライム一匹木の棒ではたくだけで、補えるのだった。  俺がいうのもなんだが、とんでもないチート能力。これに、条件こそ厳しいが「一撃必殺」のスキルを乗せ、人知を超えた数多の魔物を討伐してきたのだった。 「森をくだったところに酒盛場があったわね。そこで打ち上げしない?」  ティムリの言葉に賛同して、俺たちは木々が生い茂る獣道を、ゆっくりと掻き分けて下山していった。  日本の生活水準と比べれば、この世界は随分と遅れている。魔法という卓越したポテンシャルを秘めながら、それをエネルギーに置換するという革命まで、まだ誰も辿り着いていないのだった。  魔物への対策も、フェンスすらままならず、現れてから派遣するという後手に回る対応がほとんどだ。  才能とはステータスであり、それが優れたものは、基本的に冒険者となり、人類の脅威となる魔物を狩る。成果が上がれば英雄として、もてはやされる。  俺は酒場でほのかに揺れる、ガラス管に包まれた、蝋燭の火を目で追っていた。  辺境にしては最高級の酒場である。しかし、ビールはやけに甘いし、つまみの味は薄い。海が近くにないので、食塩が貴重なのだった。流通網が確立されていないため、限られた食物しか並ばない。  円卓を挟んで俺達は向かい合っていた。 「地球ってどんなところなの?」  もう何度聞かれたか分からない質問が、ソーニャの口から発せられる。 「どんなところって、人がいて、町があって」  蝋燭の火が眩しくて、俺は目を逸らした。ビールをあおって、言い足す。 「だけど、素晴らしいところだよ。ここよりずっと文明が進んでいる。どんなところにも清潔感が備わっている。夜だって町が明るいんだ。魔物だっていない。ソーニャも来るか?」 「ううん。私はこの世界に残るよ。故郷の両親の元へ報告に行きたいし、異世界ってなんだか不安」  それも何度聞いたか分からない答えだった。  自分の生まれ育った土地に愛着があるのだろう。ゴンやティムリの解答も、その時々によって多少主張が変わるものの、本質的に普遍だった。というか、俺が出会った人々の中で、この世界から抜け出そうと考える者は誰一人としていなかった。  皆、各々の生活に満足しているのだろうか。俺が俺について語るとき、鍵を探索する目的を批判する者もいなかった。 「そうだよな。つまらないことを聞いた。分かってるよ」 「ううん、気にしてないよ」  ソーニャは柔らかく微笑んだ。  酒が回ってきたせいか、気持ちが随分と落ち着いてきた。忙しなかった日常と一線を画して、自分自身を洞察することができた。  俺はこの世界の人々とは違う。俺には高い生活水準への渇望があり、記憶定かではない故郷への憧憬もある。妹の看病という大義名分を美辞麗句とするものの、底にはくすぶる熱意があり、確かな色を持っているのではないか。  青。黒。赤。その目の中で蝋燭の火が揺れている。店内は少し煙たく、曇っている。三人の頬にも、赤い炎が落ちている。  俺は酔うに酔いきれず、アイテムボックスに入れた三本の鍵を手元に召喚した。握りこぶしに収まる三本の鍵にも、赤い炎がちらついている。おもむろに、鍵をぎゅっと握りしめた。小気味よい金属音とともに、色が消える。  遂行は早いほうが良いだろう。 「明日にでも旅立つよ」  俺の宣言に、三人はそれぞれ、短く賛同と感謝の言葉を口にしてくれた。  いよいよ扉を開くときがやってきた。  人を呼ばれて盛大に見送られるのは、未練がましくなるので断った。俺が鍵を集めていることは、世俗周知の事実だが、今日俺が鍵を使用することを知るのは、パーティーメンバーの三人だけである。  当の三人は、どこか浮かない表情をしている。 「この小さな鍵で、本当に扉が開けるんでしょうか」  鍵穴に刺す代わり、先端同士を繋ぎ合わせ、トライアングルにすることで、使用の合図となる。俺はそのことについて、簡潔に説明をした。  知りたくて聞いたのではないのだろう。三人は知ってるよ、という表情で聞き入っている。  俺は会話しつつも、どこか落ち着かない感覚にとらわれていた。手中の鍵を実感する度、すぐにでも旅立ちたいという焦燥、異界への緊張、別れの寂しさ、それらが一様に興奮となり、押し寄せてくるのだった。  いっそ、再び記憶喪失にでもなれば、気持ちも楽だろう。俺は張り裂けそうな思いの元、しかし、渇望と憧憬は一層増していくばかり。この場さえ切り抜ければ、美しい地球が待っているはずだ。 「そろそろだな」  鍵を組み立てようとしたとき、ソーニャが言いにくそうに言った。 「あのね、リュウ。私達ずっと言うべきか、迷ってたんだけど、その三本の鍵には様々な伝承があるの。私達、リュウが鍵を集めたいっていうから一生懸命調べてたわ。そのときに、三本の鍵は、実は危険なものなんじゃないかって考え至ったのよ。鍵について、神が現世に遣わしたという言い伝えがあるのは知ってるでしょ。だけど、話の出所といわれる地域では、ちょっと違うみたいなの。『人間の心情というのは、複雑に絡まり合って作られている。望んだ世界に扉を繋げるというが、人は望んだ世界を形成するにあたって、自分自身をも変革してしまうものである。鍵の魔力は恐ろしい。待ち受けるは永久の輪廻である』伝書には、そうやって書かれていた。本来、三本の鍵は、神話に似たような記述があることから『神の贈り物』の称号があるけど、神を悪魔に変換して『悪魔の贈り物』って呼ぶ人もいるらしいわ」  ソーニャは様々なことについて教えてくれた。ただ、そのほとんどは、既に俺が知っている情報か、説得力を帯びない都市伝説の類に過ぎなかった。  俺が唯一、気に留めた情報といえば、俺がこの世界を旅立った後の話だけだ。  扉は霧散し、三本の鍵は世界に返還される。力を持つ魔物に吸収され、新たな鍵の主は、大幅な魔力を得る。そして、三柱の魔王が誕生するのだ。  知識はあったが、いざ指摘されてみると、俺の行動により、因果が発生するのは申し訳ない。  これに対しては、ティムリが解決を提示してくれた。  俺達が活躍を知らしめたことによって、魔王に挑むものが増えるのではないかという推測である。  生まれたばかりの魔王は弱いので、挑むものが増えれば、すぐに討伐されるだろうとのことだった。それでも討伐されない最悪の場合は、ティムリたち三人が参戦してくれるらしい。  俺自身が引き受ける危険については、当然、了承済みである。今更何を言われようが、俺の決意が揺れ動くことはない。そんなことはソーニャも理解しているだろう。  だが、それでもソーニャは口にしてくれたのだった。忠告よりも、優しさや哀愁が伝わってきて、俺はますます、別れにくくなってしまった。  たとえ地球に戻ったとしても、ふと、三人の表情がよぎることはあるだろう。その時、俺は何を思うだろうか。後悔の念に苛まれることは、想像に難くない。  逆の思いもある。三人がいたこと、共に冒険したこと、苦心を分かち合ったこと。それを忘れてしまいたくはない。 「本当に行ってしまうんですよね」 「勿論だ」  沈黙が場を支配する。この沈黙は、もう俺にしか破ることはできないはずだ。  俺は好機とばかり、鍵を組み立て始めた。  かちり。かちり。金属の掠れる音すら、叙情的に感じられる。潮騒の如く、静寂な空気を色めき立たせる。完成が近づくにつれ、少しずつ高まりゆく鼓動を感じて、指先に力が入る。 「たとえいなくなったとしても、リュウのこと忘れないからね」 「リュウさんと冒険できて本当に楽しかったです」 「リュウはいつまでも私たちのリーダーよ」  かちり。最後のピースが組み合わさり、正三角形が顕現された。黄金の眩い光が鍵から発せられる。それが広がり、周囲を満たしていく。すぐに光は消えた。光が消えると、もう鍵は手元からなくなっていた。  代わりに、目の前に扉が現れる。身長の倍はある高さ。両開き戸が開かれている。先は暗く、何も見えない。  よく観察すると、扉は綽々と、縮小していっている。時間制限があるようだ。  目の前に立つと、その迫力に、飲み込まれそうになる。ぐっと立ち止まって振り返った。俺は微笑んだ。 「俺がいなくなったらもう喧嘩するなよ。止められるやついないんだからな」  俺は前を向いて、一歩を踏み出した。 「私、頑張るよ」 「心配しないでください」 「喧嘩なんてそもそもしてないわ」  三人が慌てて反応する。  それを聞き終え、更にもう一歩を踏み出せば、意識は闇に落ちた。    消毒液の匂い。俺は目を覚ました。  暗闇から突然に光を浴びた気がするが、目はしばしばしない。周囲を見渡す。しんと静まりかえっている。光源は、蛍光灯の明かりのようだ。  すぐに、病院であると分かった。俺は受付の待合室のソファに座っていたのだ。  長く深い眠りだった気がする。しかし、その割に眠った感触はしない。何か重大なことを達成したのだという満足感とは裏目に、体全体がざわついている。  そうだ。俺は異世界にいたのだ。風が、空気感が、色が、それらすべてが違和感である。  ソーニャ。ゴン。ティムリ。三人の名前は思い出せる。確か、一緒に様々な冒険をしたのだ。三人は仲が悪くて、よく喧嘩していた。つい先程まで、側にいた気がする。  いや、全ては夢だったのかもしれない。俺は頭を押さえて立ち上がった。色々と混乱しているが、頭痛はしない。 「確か、アイの看病に来たんだったな」  改めて見渡せば、院内はどこも見覚えがあり、道を迷う心配はない。  エレベーターに乗って、アイの入院している514号室まで向かった。歩いている途中も、やはりまだ頭がもやもやする。記憶がどこか安定しない。例えば、今朝の朝食を答えられない。  514号室は個室である。ノックをしてからドアを開ける。 「あれ、お兄ちゃん」  俺の姿を見つけると、アイは驚いた表情をした。 「どうしたの? 随分久しぶりじゃない」 「久しぶり?」 「そうだよ。一年半ぶりくらいじゃないかな」  では、俺は異世界にいたのだろうか。異世界に転移者として訪れた。三人の仲間と出会った。彼女たちと、様々な冒険をしたのだ。  しかし、粉々の断片は、部分的にしか見当たらず、それぞれの記憶が独立して存在している。  異世界にいた当時、俺は何を考えていたのか。冒険の目的は何なのか。何故俺は再び地球に戻ってこられたのか。  俺が黙っている間に、アイは咳き込み始めた。喉より、体全体でしているという痙攣のような咳だ。点滴の袋が揺れ、顔は青ざめている。 「大丈夫か」  俺はナースコールを押そうとした。それをアイが、手で引き止める。  五分くらいして落ち着いたところで、アイはがなり声で喋った。 「こんなのいつものことだよ。この前は一日中こんな感じだったんだから。その時は、ほんとに喉がもげるかと思ったよ。ねえ、これまでどこに行っていたの? お母さんも、お父さんも、随分心配していたのよ」  俺は今日の西暦と日付を聞いた。アイは、不審な顔つきをしたものの、素直に答えてくれた。  「2024年10月14日」  おかしい。  俺の誕生日は10月10日なのである。そして、2024年にふさわしい年齢を、地球にて迎えた覚えがあるのだ。  それなのに、アイは一年半も、俺が看病に訪れなかったという。そんなことがあり得るだろうか。 「そんなはずはないよ。夢でも見てるんじゃないか」 「夢を見てるのはどっちよ、お兄ちゃん。一年半前、私、いまでも覚えてるわ。久しぶりに戻ってきて、お母さんとお父さんも随分心配していたね。手に職つけず、ぶらぶら、一体何をしているのかしらって。そしたらお兄ちゃん言い放ったのよ」  アイは早口で、俺の口調を真似て言った。  「俺はこんな世界で生きるのはもう嫌だ。空気が汚いし、人間の心も汚い。文明というのは全く愚かだよ。息が詰まらない世界、開放的で自由な世界、皆が愛着を持っている世界というのが望ましい。そして、俺にもスキルが必要だ。抜群の経験値取得率。それだけでは物足りないから、一撃必殺という決め手も欲しい。後は俺を慕ってくれる仲間たち、猫耳の女の子も欠かせない。俺は英雄として、目的と生きがいに溢れた日々を送るんだ。そのための手段も発見した。伝説の書に書かれていたんだ。鍵を探せばいいと。三本の鍵だ。それは世界のどこかに絶対存在する。俺はそれを探す旅に出るんだ。そしてここじゃない世界、異世界に行くんだ」  アイは続けて言い放った。 「挙句の果てに『こんな病気の妹を持って俺は不幸だ』とまで言ったのよ。その後のことは知らないわ。お母さんによれば怪しい人と会話していたらしいけども」  アイの話を聞いても、俺の記憶は蘇らなかった。それどころか、まだ夢を見ている心地さえある。  ソーニャ。ゴン。ティムリ。異世界に残してきた三人の黒いシルエットが浮かんだ。容姿は鮮明でない。  青。黒。赤。その瞳が俺を見つめる。  今頃喧嘩していないだろうか。俺がいなくて大丈夫だろうか。  俺の居場所はここではない。そう思った途端、三人のシルエットが白く光り輝き、三本の鍵が浮き上がった。鍵を集めなければならない。戻るのだ。俺の居場所に。  アイは、また咳をしている。黒い瞳がじっと俺を見つめる。俺は病室を飛び出した。
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