たからばこはすぐ傍に

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──子どもの頃に大事にしていた宝物は強くて格好良くて優しい、友達みんなが憧れた注目の的。正義を掲げて悪を挫く、誰もの視線を集めてやまない存在。幼い心の支えであり『こうありたい』と願う生き方。 「すっげー!やっぱ凄いよ、最強!!」 休みの日の朝の心は、いつも高揚と熱気に包まれていた。 ただ、倒される悪にも悪のプライドがあって、信念がある。人としての在り方を曲げることは許されないが『誰かの信念を否定すること』は存在自体を否定するのと同じこと。人間、そうそう生まれながらの悪は居ない。 俺は日々を重ねて誰かの考えに触れるたび、心は芽を出した時はみな同じ背丈だと思っていた。いや。今も思っている──雨風はあっても心の芽に水をやり曲がらず腐らず育てていくのは、他の誰でもない自分自身の役目だ。 「俺もいつか、あんな風に……!」 それすら誰かに委ねて曲がった茎を嘆くのはお門違い。人を恨むな、嫉むな、見下すな。子どもの頃に憧れた彼らのように、他人のために強く優しく在れ。 だが、夢を描くばかりの心はいつか瓦解する。 「ごめん」 他人のために生きることが出来るのは、他者に喰われぬ心の強さがある人間だけ。大概は重圧に耐えかねて、全部、ぜんぶ。全部を放り出す。自分自身の心すらも。 俺は重圧に耐えられなかった。繋いだ優しい手を振りほどいて、肩を叩く温かい掌から逃げて、心の奥底へ逃げ込んだ。弱い自分を恥じて呪った。子どもの頃に憧れて、いつも身近に感じられた彼らがひどく遠く思えた。 「ごめんな」 俺は彼らの痕跡が残るものを箱の中に閉じ込めた。今は向き合える時じゃない。いつか、自分の存在を恥じることが無くなる瞬間が来たら──そのときはまた開こう。そう決めて、これまで集めてきた憧れと夢のカケラを片付けた。 それが『大人になる』ことだと、思っていた。 でも、月日が経つにつれ徐々に気付く。 この世界は弱さと脆さと澱みのうえに成り立っている。でも同じくらい、憧れと眩さにも満ちていることに。 子どもの頃の憧れは名を変え「推し」になり、年月を重ねたらきっと「人生の軸のひとつ」となっていくはずだ。 それは、 取り除けるはずもないし、取り除いてはならない存在。 自分を恥じた時にこそ、何よりまっすぐに向き合わなければならない存在。 さあ、もう一度勇気を出して。 暗い場所に押し込めた箱を開けて、憧れに会いに行こう。 集めて詰め込んだまばゆさから、今度は目を逸らさないように。
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