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男の悪態に後輩は苦笑した。しかしさして堪えていない様子で首を傾げると、今何時ですかねとダウンジャケットからスマートフォンを取り出す。
バックライトで浮かび上がる後輩の顔はいいところの坊ちゃん風だった。苦労を知らないような灰汁のない整った顔立ちに、のほほんとした表情。
実際至って一般的な家庭に育った彼は品行方正で、学業も優秀だった。大した悪さをするわけではないけれど授業のサボタージュが当たり前だった男や友人たちとは全く毛色が違う。
到底合いそうもないのに何故か学生時代はよく一緒にいた。気づけばこの後輩が男たちの中に混ざり込んでいた。
そして何くれとなく無計画な男たちの面倒を見るのだった。
「お前、なんでいんの?」
「え、そこからですか」
「女いんじゃないの?そっち行けばよかったのに」
「いまは居ません。じゃなかったらさすがにこんな所来てませんよ」
「可哀想なやつ」
「先輩に言われたくないです」
余計な一言に、問答無用で鳩尾に拳を埋める。もちろん手加減はしている。けれど可愛げのない後輩は顔を顰めて一歩後ろに下がった。
男の体格はどちらかというと細いのだけれど、喧嘩慣れしているので人を殴ることに躊躇いがない。なので彼の拳は後輩が言う通り些か受けるには重いのだった。
軽く噎せた後輩は用の足りたスマートフォンを上着のポケットにしまった。その手でふいに男のコートの衿を掴む。
驚いた男が攻撃を加える前に、徐に後輩は男のコートのポケットへ右手を突っ込んだ。骨張った長い指がメビウスの箱を取り出す。そして断りも得ずに一本振り出すと唇に咥えた。
「へんぱい、火、くらはい」
「お前よぉ」
「いはりょーです」
図々しく言い切った後輩に呆れながら彼の持つ箱から自分も一本抜き出し、オイルライターを擦る。ジッと石のこすれる音がして闇に温かな火が立った。手のひらに収まる小さな火を挟んで男と後輩は煙草の先を炙る。
女とならキスの距離だ。目を伏せた後輩の妙に長い睫毛が震えるのを見つめる。育ちの良さそうな素直な瞼にはうっすらと血管が浮いていた。香水のラストノートが微かに香る。
火がつくと後輩はうまそうな顔をして離れていった。細かな星がちらつく空に紫煙を吹き上げてにこりと笑う。品の良い口元に不似合いな仕草だったけれど、不思議とこの男らしいなと思った。
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