夜明け

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もっとも時々顔を合わせるだけの後輩のことなど、殆ど何も知らないのだけれど。 暫く二人で黙々と煙草を()んだ。まだ夜明けは来ないので海の向こうは暗いままだった。 寒さに悴んだ指でフィルターを抓む。凍えた指先は痛くなっていた。体温の下がった体はほんの少し、死に近づく。緩慢になってゆく意識と落ち着いた拍動が否が応にも男を魅了する。 「先輩」 「ん」 呼びかけられたら声に虚に応える。 死は想像よりもずっと近くにある。人は容易く死んでしまう。生き物として脆弱な肉体。外から力が加われば簡単に壊れてしまう。 割れた頭部や折れた肢体、破けた肉の包みを思い出した黒い瞳が、うっとりと熱を帯びたように曇る。 男のこの傾向を知っているから、友人たちは彼をひとりにしない。放っておけば簡単に彼岸へと惹かれる友人を、彼らは何度も何度もこちらへと呼び戻す。 「先輩」 吸い始めたばかりの煙草をコンクリートの地面に捨てる。革靴の底で踏むと白い紙巻煙草はくの字に折れ曲がった。理不尽な暴力に見舞われた無辜の人のように、吸い殻は哀れに横たわる。 「先輩」 固い靴の底で踏み躙ると紙の破れた吸い殻は汚らしく煙草の葉を撒き散らした。その行為に耽溺するように男は、何度も、何度も靴で地面を擦り付ける。 「晶さん」 長い腕で拘束される。男より背の高い後輩の吐息が旋毛にかかる。剥き出しの首筋にダウンジャケットの冷えた表面が掠って、ぞわりと鳥肌が立った。 男が動きを止めると、腕の力は抱きしめる緩さに変わる。子どもの機嫌を取るように、後輩の手が一定のリズムで男の腹の上を叩く。 「覚えてて下さい」 掠める低い声で耳が濡れる。芯まで冷えた体にその熱は刺激的で、男は思わずぶるりと身震いをしてしまう。 「俺がここにいるのは、先輩がいるからです」 腹に回った長い腕が、ぐっと男を引き寄せる。 「あなたがいるからですよ」 ゆるりと視界が明るくなる。遠く、水平線の向こうで白い光が弾ける。さらりと水面を撫でられた海は瞬く間に色を変えた。 黒から群青へ。三角の白が無数にきらきらと光り輝く。 「夜が明けましたね」 ふわりとベージュのマフラーを男の首に巻きつけた後輩が煙草を持つ手で海の先を指す。ゆっくりと瞬きをした男は束の間、上ってくる朝日を眺めた。
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