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別に平気な人は平気なのかも知れない。
両親にそれぞれ愛する人が居て、私が鎹になってしまったが故に、ひとつ屋根の下で生きていくために必要なことだけの時間を、必須科目のようにただ熟していくことなど。過保護に育った友人からすれば、放任主義の我が家は自由に溢れているようで羨ましいのかもしれない。私はむしろ「親がウザくて」という台詞がマウントを取られたように思えて仕方が無かった。だって、それだけ大切に思われてる証でしょう?
雨が止んで私の涙もようやく枯れて、なんの脈絡も無く、ぽつり、ぽつりと話す私の身の上話に黙って耳を傾けてくれていた彼が、突然立ち上がった。
「ついてきて下さい」
真っ白な袴を着た神主とおぼしき美しい彼は、私にそれだけ言って山道を登り始めた。
「えっ……?」
人の手が最小限加えられた獣道のような道をすいすいと進んでく。
「あの、待って……!」
私は急いで彼の後を追う。
雑然としながらも事前に敷かれた道しか歩んでこなかった私に、足元に注意を払いながら彼の後を追うことはそう易くはなかった。
それでも必死に追い掛ける。
先ほどまで、全てを見透かされる恐怖で早く逃げおおせたいと思っていたのに、なぜだろう。きっと肩から入ってきたぬくもりがそうさせるのだ。ぬくもりを求めていた人間に、それは甘美すぎて一瞬でえあろうと忘れられない代物となってしまったのだ。
ゆるい登り道に細い丸太が横倒しで埋め込んである。地面を這うように自生する植物に同化したそれに狙いを定め、滑らないように足をかけて進む。
木々は鬱蒼と生い茂り、辺りは少し暗い。所々にゴツゴツと岩肌が姿を現していて、気を緩めると足首を挫きそうだ。
自分の足が踏むであろう地面と、彼のかかとが辛うじて見える視界のちょうど真ん中、良い案配で両方を見ることができる位置を見つけた。息が切れ始めてようやく少しの心の余裕が持てるなんて、なんて滑稽なこと。
「――あれ?」
ぬかるんだ地面にはいたる所に泥の水たまりがあって、私のスニーカーはほんの数分で泥だらけだというのに、彼の白い足袋と袴は白いままだ。泥はねの跡がひとつも無い。
―――どんっ。
もう一度自分のスニーカーに目を向け直すと、堅くはない何かに頭をぶつけた。それは前を歩いていた彼の背中だった。長く艶やかな髪がさらりと揺れる。
「す、すみませ……」
彼はそんな私に構うことなくゆっくり深呼吸して空を仰いだ。
私もなんとなく深呼吸をして、それから同じように空を見上げてみた。青々とした木の新芽の隙間から、ちらちらと空が見える。その隙間を通る光が筋となって地面まで伸び、それに沿って視線を落とすとそれは土や草花の上で風とともにキラキラと揺らいでいた。
「きれい――……」
思わず零れた言葉。
全てが日常の延長線上にあると思っていた。でも違った。なんだ、世界はこんなにもきれいだった。今まで生きていて初めてそう思った。ここに来て世界が彩りを取り戻すなんて皮肉もいいところだ。この世に別れを告げようと決めたその日に思い知らされるなんて、神様は本当にズルい。
「この世に留まりたいと思いましたか?」
「――え……?」
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