100回目の気まぐれ

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 *  いつにも増して、今宵はきらびやかだ。  クリスマスのせいか人も街も気忙しい。  不夜城。  あらゆる人の欲望が渦巻き、束の間の幻想に迷い込ませる。  どれくらいの人間がこの街で謳い騒ぎ、そして狂い散っていっただろうか。どれくらい、自分はそうなるよう仕向けただろうか。  スモークガラス越しから見える深夜の花街を見つめながら、柄にもなく哲学めいたことを思い耽る。  自分を乗せた車が目的地前で停まると、長い沈黙が破られた。  「兄貴。これ」  そう言って運転席からふり返り舎弟のマサが渡してきたのは、オビも表紙カバーもついていない、一冊のしみったれた文庫本だった。  所々ついている斑点のような茶色いシミは、お茶か珈琲だろうか。昨日反対車線で車に惹かれて死んでいたブチ猫の残像が思わず頭を過る。  「何だこれは」  「今日はその……兄貴の誕生日、なんで」  「俺への誕生日プレゼントにはボロボロの本一冊で十分って訳か。お前も随分と偉くなったもんだな、マサ」  「い、いえ……そんな訳じゃねぇっす。これは兄貴を護る為用にと思って」  「相変わらず馬鹿なやつだ。そんな薄っぺらいもんで銃弾(タマ)から心臓守れるか。いらねぇよ」  「お願いします。兄貴、心臓は多分大丈夫だと思うんで(・・・・・・・・・・・・・・)、こいつをどうか左脇腹のちょい後ろらへんに挟んでおいて下さい。今ここで」  「どういうことだ?」  「とにかくこれを……後生です、兄貴。今日だけは俺の言うことを聞いて下さい」  先日獄中で亡くなった兄貴のシマの相続についての大事な話し合いだ。他の幹部連中らは既に到着済みだ。親父もじきに着く。遅れることがあってはならない。  いつもなら一喝して終わりにするところだったが、マサの切羽詰まった表情での懇願ぶりに気圧され、何故か無視出来なかった。  「……仕方ねぇな。今日だけだぞ」  舌打ちしつつ差し出された文庫本を受け取り、それを指定された場所に挟んで見せる。  すると、それまで張りつめた顔をしてじっと食い入るようにしていたマサの顔が、一気に安堵の表情へと変わった。  「兄貴、ありがとうございます」  「おう」  何故そんなにもマサが嬉しそうに笑っているのかは分からなかったが、キツく締めたベルトで挟まれた文庫本の違和感を感じつつ外に出た。  *  2時間後。  見送りの女を伴い店を出た俺の左側から、何かがいきなり突っ込んでくるのが視界に入った。  「西条っ!往生せぇやぁあああっ」  それが敵対している組織の下っ端だと気づいた瞬間には、俺の足元に血の雫が幾つも滴り落ちていた。  女の悲鳴とマサの怒鳴り声が遠くの方で聞こえてくるも、意識はそこで途切れた。  *  「兄貴っ!良かった、無事で」  目が覚めると、視界に白い天井と見慣れたマサの顔があった。  「……ここは?」  「病院っす。兄貴、別の組のモンに刺されて」  目に涙を溜めて覗き込むマサが手を握っていたことにそこで気がつき、振り払った。  「気持ち悪ぃんだよ」  「あ、いや……こうしてたら、兄貴の目が覚めるのが早ぇ気がして」  「んな訳ねぇだろ」  「す、すみません」  そう言って申し訳無さそうに頭を掻くマサを見て思わず目を細めると、気づいたマサもまた嬉しそうに顔を綻ばせた。  「本当に良かったっす。これでようやく、兄貴の気まぐれ世界線に辿り着けたっす」  「……何だそりゃ」  「兄貴の気まぐれは100回に1回っすからね。気の長ぇ俺でも流石に途中で心折れそうになりましたよ。まぁ……23回目と65回目の時はこれはこれで悪くないって一瞬思っちまいましたけど……でもやっぱり俺、兄貴には生きてて欲しかったから」  「あ?さっきから何言ってんだお前」  さっぱり理由(わけ)がわからず睨み上げると、マサは慌てた素振りで腰を浮かせて床頭台へと手を伸ばし、寝ていた俺の目の前に両手で掲げて見せた。  それは、店に辿り着いた時にマサが渡してき文庫本だった。  「この文庫本を、兄貴がようやく受け取ってくれたんすよ。100回目にして」  「100回、目?」  目尻から溢れ出る涙を自らの人差し指で拭いながら、マサが語り始めた。  「……もう10年も前のことだから覚えてないっすよね。この文庫本、おふくろの唯一の形見だったんすよ。俺が8歳の頃病気で亡くなった……それからずっと肌見放さず持ってたんすけど、暴走族同士の抗争で喧嘩してた時に相手に奪われたんすよ、それ。その時の俺、1対4でボコられて……でもこれだけは絶対に失いたくなくて。そしたら、偶然通りかかった黒塗りの高級車から降りてきた黒いスーツを着た……やたらかっこいい人が相手全員ボコって蹴散らしてくれて。すみません。今まで黙ってたんすけど、初めて兄貴と会ったのは実はその時だったんすよ。兄貴、ぶっ倒れてる俺にこの文庫本渡してくれて助けてくれて……その時から兄貴はずっと俺の憧れの存在で……」  そう言えば、そんなこともあったか。  マサの話に黙って耳を傾けながら、記憶の淵からある記憶を引きずり出した。  あの時は、別にマサを助けた訳じゃなかった。  マサをボコっていた相手の4人に店を荒らされたと、その当時(ねんご)ろだった女から報告を受けて落とし前をつけに行っただけのことだ。  ――ありがと……ございました。これ、母ちゃんの……形見で……  ――ばーか。男だったらな、てめぇの大事なもんはちゃんとてめぇで守れ。  あぁ、そうだ。  あれはジメジメした梅雨真っ盛りの時期だった。    高架下。  電車の通り過ぎる音が聞こえる。    地面に落ちた文庫本の泥を手ではらって、仰向けに倒れていた青臭い金髪のガキに渡したんだっけ。  そんなこともあったな。  そうか。  あの時のガキだったのか…………  「兄貴が他の組の奴に刺されて死ぬって件、俺は99回経験してるんすよ」  「は?」  「兄貴が最初に刺されて亡くなる日の朝、自分ちの部屋の押し入れにしまってた筈のこの文庫本が、どういう訳か車のダッシュボードの上に置かれてあったんすよ。それで何でこんな所にと思って手にとってみたら、本の間に挟まってた紙きれがヒラヒラ落ちてきて。何だと思って読んでみたら……兄貴が刺されて亡くなる予言が書かれてたんすよ。俺もうびっくりして。いつ、どこでどんな風にして兄貴が亡くなるのか。しかも俺の字で。書いた覚えなんか全然ねぇのに。紙きれには、兄貴が死なない唯一の回避方法はこの文庫本で身を守ることだって書かれていて……だから俺、その後乗り込んできた兄貴に文庫本渡そうとしたんすよ。でも、兄貴に99回断られて……それで、兄貴が息を引き取るタイミングで、俺のそれまでの記憶は残ったまま、車のダッシュボードの上で形見の文庫本を見つけた時間に巻き戻ってて……100回、やり直してるんですよ」  「……訳わかんねぇこと言ってんじゃねぇよ」  「俺も何がどうしてこうなってるのか全然訳わからないんすけど……良いんすよ。兄貴が生きてさえいてくれたら、それで」  後から来た医者の話で、文庫本のお陰でぎりぎり致命傷にならなかったと聞き、マサの言うことはほんの少しだけ本当なのかもしれないと思った。    *  襲撃を受けたクリスマスの日から、あっという間に1か月が過ぎていた。  「なぁ、マサ」  「何すか、兄貴」  「何で99回もやり直してくれたんだ?お前、組1番の面倒くさがりじゃねぇか」  「それは……兄貴が100回に1回は気まぐれおこす人だからっすよ」  珈琲の入ったカップを差し出しながら、マサが笑う。  そもそも気にしたことがないから分からないが、ずっと傍にいるマサ曰く、自分という人間は100回に1回は気まぐれとやらをおこすらしい。  だとしたら、あの日倒れていたマサに文庫本を渡したのも、1/100の確率だったのかもしれない。  まるで何かのおとぎ話みたいだ。  そんな低い確率の気まぐれで拾った形見の文庫本が、まさか自分の命を救ってくれるなんてな。  それも100回目で。  「ところで23回目と65回目に何があったんだよ。そろそろ吐け」  「俺の口からはとてもじゃないけど言えないっすよ。言えば兄貴、絶対俺のことボコるし」  「は?お前、俺にボコられるようなことしでかしてんの?」  「いや……あんま詳しいことは言えないんすけど……どっちかっていうと、兄貴が俺に」  「俺がお前に?何したんだよ」  「だからそれは言えないんすよ。言ったら、また101回目からやり直しになっちまうんで。そういう予言なんで」  「そう言えば俺が納得すると思ってんだろう」  マサが素早く差し出したZIPPOで、咥えた煙草に火をつける。  わざと早めにフゥと息をつく。  煙が近づいたマサの顔にかかる。  「……ったく、ムカつく野郎だよ。お前は」  俺のその言葉にも、マサはいつも通り嬉しそうに笑うのみだ。  「兄貴。今夜は雪みたいっすね」  マサの言葉に窓を見やると、確かに粉雪がちらつき始めていた。          ――END――  
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