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彼奴
まさか女だと思われているとは暁月は考えてもいなかった。
昨晩の宴会の時だって霧谷総裁は……霧谷総裁は何て言っただろうか。確か楊一族には絶世の美人がいる、そう言っていた。
美人というのは男にも女にも使える言葉だが、まさか龍瀏が暁月を男だと打ち明けずに霧谷一家に売り込むはずが無い。性別の事で偽っても枕の仕事ならば必ずバレてしまうから。それに、楊一族の楊暁月は裏社会ではかなり名が知れているはずだ。それだけ多くの相手をして来たし、かなりの評判だから。
もしかしたら霧谷総裁が鳳来蓮に伝え忘れていたのかもしれない。昨日の様子からして鳳来蓮はかなり自由人のようだし、昨日の宴会も何故か欠席していた事から、本人は裏社会についてはあまり関わるつもりは無いようにも見える。
一族や血の繋がりを最重要とする中華圏のマフィアではあまり聞かない事だが、日本の暴力団というのは案外そういう所は緩いのかもしれない。
とはいえ、暁月は昨日の蓮の態度には思う所があった。
紳士的だし優しい、自分の事を気遣ってくれた。そこは良い。
しかし、暁月に誘惑されても一切手を出さなかったなんて。今まで暁月に誘惑されて断った人物なんて一人もいなかった。
例え男色家でなくとも暁月という存在は性別をも超えた魅力があるようで、誰もその暁月を自ら拒むなんて出来ない。
なのに鳳来蓮という男は暁月のペースに飲まれなかったどころか、まるで子供を扱うような言葉遣いや態度であった。
別に好き好んでこの仕事を引き受けているわけでは無いし、出来ることなら今すぐ辞めてやりたいのだが、暁月は自分の美しさには多大なる自信がある。だからこそ昨晩、そして先程の出来事はとても悔しく、暁月のプライドに傷を付けたのだ。
「随分ご立腹のように見えますが、昨晩何かあったのですか?」
楊家の日本の拠点に帰り道、車のバックミラー越しに運転手であり暁月の護衛も任命されている張偉が少し心配そうに暁月へそう聞く。
プライドを傷付けられた暁月は腕を組んで不機嫌な様子を隠せずにいる。
先程のお嬢様発言も張偉ははっきりと耳にしたはずだし、暁月と蓮が身体を重ねていないのは分かっているはずだ。
「別に。さっきの男が気に入らなかっただけだよ」
素っ気なく答えるが、イライラは隠せていない。
張偉は暁月よりも十歳年上であり、暁月が中国の本家に引き取られた時から監視役兼護衛として誰よりも傍にいる。
龍瀏の命令で監視役として傍にいるが、それ以上に暁月には情があり、楊一族の中で唯一と言っていい暁月の味方だ。暁月の心配をしてくれる人物なんて張偉ただ一人だと言える。
「やはり昨晩、何か横暴な事をされたのでは?お怪我は?」
「そんな事されていない。いいから気にするな」
やがて都内の高層ビルに到着すると、暁月は車から降りた。
ここは表向きはただの医療関係の会社だが、実は楊一族の日本の拠点である。
顔認証でゲートを潜ると、既に龍瀏が待ち構えていた。
「先程若君がとても満足する一夜だったと報告が入った。これから先も良き取引相手でありたいから決して鳳来蓮の期限を損ねるなよ」
龍瀏は鳳来蓮の機嫌がどうのこうのと言うが、暁月にはそれが理解出来なかった。
霧谷一族は確かに日本の暴力団ではかなり有力で権力を持つ暴力団ではあるらしいが、それは数あるうちの一つに過ぎない。
対して楊一族といえば広い中華、そして全ての華僑を纏めているマフィアであり、霧谷一家と比べても、いや、世界中のマフィアと比べても大規模で権力を持っている。
正直に言えば霧谷一家と楊一族は比べ物にならない程権力の差があるのだ。
楊一族が下手に出る事は無いのに、何故そうも向こうの顔色を伺うのだろうか。それでは示しがつかない。
しかしここで龍瀏に口答えのような真似をすれば龍瀏の期限を損ねるだけだとわかっているため、暁月はただにっこりと笑ってみせた。
「それは良かったです。もちろん、その事は承知していますよ」
すると龍瀏は満足そうに言った。
「出来損ないのお前の唯一の取り柄はその顔と身体、そして頭だけなんだ。それを活かしてやるだけ有難いという事を忘れるなよ」
暁月心の中で龍瀏を罵りながらその表情を崩す事無く黙って聞いていた。
逆にお前には何の取り柄があるって言うんだ。
「上海に戻ったらカナダからの来客がある。夜は相手をしろ。協力の礼だからそこまで謙らなくて良いし、この先使えないと判断したら用済みだから殺せ」
楊一族は明日には本拠地である上海へと帰る。そして帰って早々また仕事らしい。
そこまで重要な相手では無いらしいから、暁月が鬱憤を晴らすのには丁度良いだろう。
「分かりました」
*
帰国するなり暁月はまた侍女達の手によって着飾られていた。
入浴を済ませた後はいつものように手入れをされ、今日は旗袍を着させられる。
霧谷一家との宴会の時のような重要な場では漢服を着用するが、このようなお礼やただ客人をもてなす時は旗袍を着させられることが多い。
そして今夜もまた仮面を被って、穢らしい男に媚びなければならないのだ。
楊一族の指定したホテルへ到着すると、相手の男は鼻息を荒くして暁月を部屋に入れた。
そして何の会話をするでも無く性急に暁月をベッドに押し倒すと、唇を重ねてきた。
こんなのいつもの事であるが、つい蓮と対比してしまう。
本来なら皆この穢らわしい男のように発情して暁月を無我夢中で貪るはずなのに、蓮は暁月に一切触れなかった。
「何を考えているんだ?今は俺以外の事を考えるな」
やっと唇を離されたと思えば、首筋に顔を埋めて男はそう言った。考え事をしていたのを分かられてしまった。
「ごめんなさい。久しぶりでちょっと緊張しちゃったみたい。優しくして、ねっ?」
ちょっと熱を含み潤んだ目で訴えかけると、男は気持ち悪く顔を紅潮させる。そして再び暁月の服を脱がすと、色んな所へ舌を這わせた。
ああ、気持ち悪い。死にたい。
心の奥底に眠る感情を押し殺して、出したくも無い喘ぎ声を上げる。
これじゃあ自分もこの穢らわしい男共と同類では無いか、と暁月は自虐する。
乱暴な手つきでその羊脂玉のような麗しい身体を扱われながら、同時にまた蓮の事が頭に浮かべた。
もし蓮があの晩に暁月を抱いていたら、こんなに酷く扱っただろうか。本性なのかはさて置き、あのいかにも善良そうな蓮の事だ。きっとこんな風には扱わない。
らしくもなく鳳来蓮ならきっと、とそんな事ばかり考えてしまう。
その事に再び自分で腹を立てた暁月は、ベッドサイドに置いてあった銃を手に取り、憂さ晴らしにと自分の上に乗っていた男の頭を撃った。
先程とは違い力無く自分の上に倒れ込んで来た男を蹴り落とすと、淡々とした様子でシャワールームへと向かう。
どうせ放っておいても後処理は楊家の者がするだろう。
人を殺しておいて何か感じる物は無いのか、と思われるかもしれないが、暁月にとってはこれは日常茶飯事の事である。
暁月は母を惨殺されたあの日から人の心を持ち合わせていない。それは何より暁月自信が理解している事である。
穢らわしい自分の身体、そして返り血を洗い流しているとふと冷静になる。
蓮の事を何度も頭に思い浮かべる程あの晩の事が悔しかったのであれば、蓮を自分に夢中にさせてしまえばいい。
そう思ったのだ。大層な事に聞こえるかもしれないが、そう言った分野は暁月の得意分野であり、百発百中という自信がある。
今度会った時はただじゃおかない。
暁月はそう心に決めた。
バスローブを羽織り、シャワールームを出る。
電話で外で待機していた張偉を呼び出すと、すぐにスペアキーで張偉が入ってきた。
返り血と飛び散る精、鼻をツンと指す独特な匂い。そして乱雑に放られた暁月の来ていた服を目にして張偉は顔を歪ませた。
「こんなのは毎度の事なのに、逆にお前はよく慣れないな」
暁月は毎度そんな表情を見せる張偉に呆れていた。何故お前がそんな顔をするんだ、と。
「……慣れてたまるものですか。」
張偉は暁月に自分の来ていたコートを掛けると、誰かに電話を掛けた。
間もなくして後処理のための者が来ると、張偉と暁月はホテルを後にする。
「殺すなんて、何をされたんですか?」
「別に。何となく、さっさと帰りたくなって」
「酷い事をされたので無ければ、良かったです」
帰りの車の中、暁月の心情とは逆に輝く美しいネオン街を見つめながら暁月は張偉に言った。
「霧谷一家の若頭、鳳来蓮について調べろ」
予想外の命令に張偉は驚いた。今まで暁月に客について調べろなんて言われた事が無かったからだ。
そんな張偉の様子なんて気にせず、暁月は続ける。
「素性もそうだが彼の友人関係や過去の恋愛遍歴まで全てだ」
「恋愛遍歴、ですか?」
張偉はぽかんとしたが、すぐに問い返した。
「そうだ。あの男、次に会った時には骨抜きにしてやる」
闘争心にも近い感情を燃やし、珍しく暁月が他人に興味を持った事に対して張偉は驚きを隠せずにいた。
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