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4
次の日。女子になって3日目の朝。
今日が、ボクが女子でいられる最終日だ。
でもボクは朝から心臓も頭もドッキドキだ。
早く昨日のことを奈々子たちに弁解しなきゃなのに、今日に限って朝の通学路では奈々子にも友達にも会えなくて。
玉城さんがどうやってみんなの記憶を変えてボクを女子って認識させてるのかは分からないけど、もしかしたら昨日の出来事のせいで、ボクが男子だって思い出しちゃったかもしれない。
そう考えると不安で頭が真っ白になって、昨日はろくに寝れなかった。
そして、そのまま学校に着いちゃったよ!
ボクは恐る恐る教室の扉を開いて中に入った。気分が重い。
だって女子で自分の子を『ボク』呼びする子なんて、いないよなぁ……。
「葵ちゃん。おはよう」
まず一番に声をかけてくれたのは、後ろの席で本を読んでいた女子。
ボクが横を通ったから、顔をあげて挨拶してくれたんだ。
「お、おはよう」
……昨日と、変わりない?
クラスを見渡すとまだ奈々子と友達は来ていないみたいだ。
「おはよ〜」
と思ったら早速、奈々子が教室に入って来た!
ボクは奈々子の姿を目視した途端、ダッシュで駆け寄る。
「な、奈々子!」
「葵!おはよ〜」
奈々子は、普通に挨拶してくれた後、机に荷物を置きながら朝の支度を始める。
よ、よしっ。今だ!ちゃんと訂正するんだ!
ボクは素早く息を吸い込む。
「お、おはよっ。あのね、昨日さ、自分のこと『ボク』って言っちゃったじゃん?あれ間違えちゃってっ、」
ボクは早口でまくしたてるけど、奈々子は逆にのんびりとボクに顔を向ける。
「え?葵、いつも自分のこと『ボク』って言ってるじゃん」
「……え?」
思わぬ言葉にボクが拍子抜けした。
同時にサーッと青くなる。
そ、それって、やっぱり普段の男子のボクが自分のことを『ボク』って言ってるってことを思い出して……⁉︎
言葉が出なくなってしまったボクを見て、奈々子は不思議そうに首を傾げた。
「だいじょぶだよ、今さら言い方変えなくたって。葵が『ボクっ子』ったことは、みんな知ってるから」
奈々子は一瞬手を止めて、ボクを見ながらニコニコと笑う。
ボクは初めて聞く言葉に思考が停止する。
……ボクっ子?
「ボクっ子、って?」
訳がわからず聞くと、奈々子は今度こそ動きを止める。
そして、「一体どうしたの」って顔でボクをまじまじ見つめてきた。
「え?今の葵のことだよ?女子なのに、自分のことを『ボク』って言う人のこと」
奈々子は最後まで不思議がりながらも、説明してくれた。
「どうしちゃったの葵?」っていう奈々子の声が右から左へ流れていく。
——ボクっ子って言葉があるんだ。
女子でも『ボク』って言う子もいるんだ……!
「だ、だよね!別におかしくないよね!」
突然笑顔になるボクに、奈々子はびっくりして目を見開く。
「う、うん?」
一気にして気持ちが晴れる。
自席についたボクは嬉しくて、机に突っ伏して嬉しさを抑えこむ。
なんて優しいんだ。誰もボクを責めない。誰もボクに文句をつける人なんていない。
男子みたいなケンカができないひ弱なボクでも、誰もいじめてこない。
ここ三日間ずっと思ってたけど、男子の時の窮屈感が全くないんだ。
……すごく生きやすい!
ウソみたいに楽しい。こんなの幸せすぎる。
「嬉しそうなところ失礼しますよ」
またボクの耳に突然声が響く。バッと顔をあげた。
「玉城さんっ」
「ご機嫌ですね。別にそれは良いんですけど、期限は今日までですよ。5時には部屋にいてくださいね」
「あ、うん。分かった」
ボクの目の前まで移動する玉城さん。
クラスの子と同じように動いているのに、誰も彼女の存在に気づかない。
彼女は幽霊だから、みんなに見えないのは当たり前なんだけどね。
ボクが机にかけている体操袋に、彼女の体が当たらないでスゥッと通り抜けた。
……こういうのを見ると、ボクは普通に話してるけど、彼女はやっぱり人間じゃないんだな……とか色々考えてしまう。
玉城さんも、生きてたらもっと楽しいことあったのにな。……かわいそうに。
今さら彼女が死んでしまっていることに対しての実感が出てきた。
「同情しないでください」
目の前の玉城さんが、ボクを見下ろした。その冷たい瞳の色。
あまりに軽蔑するようなその色にゾッと背筋が凍った。
な、なに?
「あなたにはどうせ何も分かないから。望月くんも、結局『そっち寄り』。わたしに同情しないでください」
玉城さんは、そう強く言いきった。
……そっち寄り?なに、それ。どういうこと?なんのそっち寄り?
ボクの考える顔を間近で見た玉城さんは顔色を和らげた。
その明らかに作られた顔に頭が動かなくなる。
「ごめんなさい、忘れて。それでは時間厳守でお願いしますね」
淡々と言い切って彼女はスッと姿を消した。
……ボク、また何か怒らせちゃった?
今の会話を振り返るけど、何も彼女を傷つけるようなことは言っていないはずだ。
でも玉城さんは、確かに怒っていた。
ボクは、確実に自分が怒らせたことは分かっているのに、それがなぜなのかが分からなくてモヤモヤと解消しきれない不安感を胸に抱える。
玉城さんって、思ってることを素直に言ってくれないこと多い気がする。
なんで怒っているのかを、ハッキリ教えてくれればいいのに……。
ボクは机におでこをくっつけて考える。
……玉城さん、何かボクに言えない事情でもあるのかな。
学校のチャイムが鳴る。
6時間目が終わった。あとは帰り支度をして家に帰るだけだ。
女子としていられるのはもう今日で最後なのに、朝、玉城さんを怒らせてしまったことがずっと胸に引っかかっていて気分は沈んだまま。
「ねえねえ、葵」
帰る支度をしていたら、奈々子に声をかけられた。
後ろにいつもの友達もいる。
「みんながウチに来たいって言ってるんだけどさ、葵も来なよ」
えっ……。
ボクは時計を見た。今は4時を指している。
これから家に帰って、玉城さんを呼ばなきゃいけない。
玉城さん、5時5分には部屋に着くようにって言ってたから。
で、でも、せっかく誘ってくれたんだし、奈々子の家行きたいな……。
「今日予定あるの?」
「え、いや予定というか……」
なんて言おうか口ごもっていると、奈々子はガシッとボクの手をつかんだ。
「じゃあ、ちょっとでいいから来てよ!」
奈々子はスタスタと歩いて行ってしまう。
それに引きずられるようにして続きながら、ちょっぴり嬉しい気持ちも湧き上がってくる。
……ちょ、ちょっとだけなら大丈夫だよねっ。
もう一度時計を確認してから、ボクは奈々子たちと共に教室を出た。
校門を出て、ボクの家とは反対方向に進んでいく奈々子。
奈々子の隣にボク、後ろには友達ふたりが並んでる。
昨日、みんなでカチューシャ買ったメンバーだ。
「奈々子の家ってどこなの?」
「そっか。葵、来たことなかったっけ。えーと、あそこの緑公園を曲がって歩いて15分ぐらいかな」
「15分……」
緑公園って、この近所で一番大きな公園。
面積がすごく広いからよく小学校の遠足の場所になっていた。
ボクも何回か行ったことあるけど、広すぎて敷地内全部は知らない。
裏側は木だらけで遊具はないらしい。
しかも今、ボクたちが進んでる目の前にその緑公園がある。
ここからさらに歩いて15分か……。
もし、帰り道に迷ったりしたら怖い。
それに玉城さんとの約束時間に間に合わなかったらどうなるんだろう……。
「や、やっぱり、ボク先に帰、」
「あー!」
ボクに被せるように、突然後ろの友達が叫びだした。
「やばい、学校に漫画置いてきた!」
ま、漫画?学校って、漫画持ち込み禁止だよね?
男子は結構隠れて持っていってる人何人かいるけど……、女子もそういうことするんだ。
「やばいじゃん!先生に見つかったら没収だよ⁉︎」
「しかも、結構キスシーン多めの恋愛漫画っ。わたし、ちょっと取りに帰る!」
友達はバッと踵を返す。
えっ、ここから学校まで結構距離あるのに?
その子が走り出そうとする直前、ずっと黙ってた奈々子が後ろを振り返った。
「え?今から?」
「だってバレたらやばいもんっ。奈々子、先に葵と家行ってて!わたしたち、取りに帰る!」
「ええっ、わたしも行くのーっ?」
一緒に連れていかれた友達は、不満そうな顔をしながらも走って行く。
「ありゃ……。大変だね」
ボクは二人から目を離して、苦笑いで奈々子に顔を向けた
……そして心臓が止まるぐらいの衝撃を受けた。
奈々子の目が、完全に死んでいた。
温度のない、冷めた瞳が走り去っていった二人に向けられている。
「な、奈々子?」
「……ハア」
奈々子は重い深いため息をついた。
そしてランドセルの紐をぎゅっと掴み、奈々子はゆっくり歩き始める。
ボクは慌ててそんな奈々子の隣に並んだ。
「今日家に来たいっての、向こうなのに。なんで忘れ物なんて今から取りに行くのかな」
ボソボソ、彼女らしからぬ声色で愚痴をこぼし始めた奈々子。
「そ、そうだったんだ」
……友達が家に来たいって言ったのに、その子が忘れ物したって勝手に帰られたら気分悪くする……かな。
そう考えたら、ボクがこのまま家に帰ったら奈々子、ひとりになっちゃう。
帰るタイミングを見失ったボクは、奈々子の隣に身を置いたまま一緒に歩き続ける。
夕陽が、ボクたちの影を長く伸ばしている。
隣り合う影は、背の高い奈々子の方が長い。
それは少しの差なのに、どこかぎこちない距離を感じる。
「漫画なんて持っていったあの子が悪いのにね。それになんでひとりで行かないのかな。誘われた方も、嫌なら嫌ってハッキリ言えば良いのに」
……無理やり連れて行かれた子、そこまで嫌がってるように見えたけどな。
それに、だんだん奈々子の怒りが大きくなってる気がする。
だ、大丈夫かな。
「……ごめん。葵は、なにも悪くないのに。わたし、正直あの子たちあんま好きじゃないから、葵も来て欲しかったんだ」
「えっ、そうだったの⁉︎」
今日一番びっくりした。
奈々子とあの二人、いつも一緒にいてすごい仲良しだと思ってたのに!
それに今さっきも一緒にいた子たちには、なにも悪口言ってなかった。
相手が気分悪くすると思って、わざと隠してたのかな。
「……ハッキリ言えば良いのに、ってブーメランだね。アタシもちゃんと言えてないよね」
奈々子は力なく笑う。
……奈々子のこんな顔、初めて見た。
「葵も巻き添えくらわしてごめんね。用事あるんだっけ。帰っていいよ、大丈夫」
「え、でも……。そしたら奈々子がひとりになっちゃう……」
ボクには話してくれたけど、あの子たちは奈々子が我慢してることなんて知らない。
そしたら、気持ちの逃げ場がないまま奈々子がひとり思い詰めることになるんじゃ……?
「ううん。あの子たちには悪いけど、やっぱ今日は家には上がってもらわないようにする。無理に我慢する必要ないしね」
奈々子はそれきり、遠くの夕陽を見つめて黙ってしまう。
「奈々子……」
ボクは、なんて言葉をかければいいのかわからない。
こういう時、女子ならなんて言葉をかけるだろう。
どんな風に寄り添って、一緒に悲しんで、分かりあうんだろう。
いくら今のボクが周りから女子って思われてても、中身は男子のまま。
今、奈々子のことを助けてあげられないのがもどかしくてしょうがない。
「……葵は優しいね。世の中の女子が、みんな葵みたいな優しい子だったら楽なのに」
奈々子は最後、ボクの頭の頭の上にポンと手を乗っけて、まっすぐ歩いて行ってしまった。
トボトボ、ひとりで歩きながら、ランドセルのヒモを掴み、下を向く。
……奈々子は、友達に合わせてたんだ。
ボク、最近ずっと一緒にいたのに気付かなかった。
さっき玉城さんは思ってることを素直に言ってくれない、って思ったけど。
玉城さんだけじゃなくて、奈々子もそうなのかな。
太陽がおちてきて辺りが薄暗くなってくきた。
みんな多分言いたいことはたくさんあるのに相手に合わせたり、その場の空気をよんで言うのを躊躇ったり。
それは自分のためだけじゃなくて、相手のことも思って。
女子は表でケンカはしないけど、そのかわりに一人で溜め込んだりしてる……って、そういうことなのかな。
永遠に連なる緑の木々が、暗いボクの気持ちを表しているようだ。
……ん?待って、ここどこ?
唐突に立ち止まり、キョロキョロ辺りを見渡す。
見覚えのない景色……いや、見覚えはないけど見たことのある大木は延々と連なっている。
これ、緑公園の大木?
あそこの公園、裏側は木が生い茂って、大木が大量に立ってるんだ。
冷静になって今の状況を確認する。
多分ボーッとしてたら、曲がらなきゃ行けないところも真っ直ぐ歩いてきちゃったんだ。
やばい。早く引き返さないと、5時5分に間に合わなくなる!
ボクは急いで来た道を戻る。
でもいくら走っても景色に見覚えがない。
緑公園、こんなに広いの⁉︎校庭の2倍ぐらい広くない⁉︎
それでも必死に走ったら、緑公園の大きなジャングルジムが見えてきた。
相当真っ直ぐ歩いてたんだなっ。
多分考え事しながらだったから、余計に。
息切れしながらも見覚えのある緑公園の入り口戻ってきた。
早く帰らなきゃっ。
ゴーンゴーンゴーン
ボクの頭上に低い鐘の音が響いた。
…………これ、5時の鐘、だ。
慌てて公園の時計を見る。時刻はちゃんと5時を指している。
迷ってるうちにこんなに時間が過ぎてる……!
ボクは急いで家までダッシュする。あと10分っ。
「た、玉城さんっ!」
ボクは走りながら玉城さんを呼ぶ。
お願い、出てきてっ!
でも、玉城さんは出てこない。
「玉城さんっ!ねぇ、玉城さんっ!!」
いくら呼んでも玉城さんは出てこない。
なんで!最近ボクが呼ばなくても勝手に出てくるのに、必要な時は出てきてくれないの!?
とにかく一生懸命走って、家にたどり着く。
そして、急いでボクの部屋の扉をバンッと開け放つ!
「1分オーバーです」
部屋に入った途端目の前に立っていたのは、朝よりももっと冷たい氷のような瞳でボクを見すえる、玉城さんだった。
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