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行きつけの書店は、アパートの向かいに建っている。
僕の住むアパートは、商店街とは名ばかりのうらぶれたストリートに面していて、書店はその一角に、古着屋や小汚い居酒屋なんかと一緒に雑然と並んでいる。ただ、不思議と品揃えは悪くなく、店に並ぶ本はどれもそれなりに面白い。店主の目利きが良いのだろう。
本が生まれると、親は書店にそれを託す。引き取り手が見つかると、仲介料として幾ばくかの金を書店に支払う。出費惜しさや子(本)への愛着から、あえて手元に置きたがる親もいるが、多くの親はなるべく店に出したがる。友人に言わせれば、自分の子が誰かと結ばれ、そこで新たな命や本が生まれる可能性は、親としては抗いがたい魅力に満ちているのだそうだ。
ただ、書店側としては誰の本でも歓迎できるわけじゃない。
特に、こういう小さな店は本を置けるスペースも限られている。どうせ引き取り手の見つからない本まで置いて、ただでさえ狭い本棚を圧迫するわけにはいかない。彼らも商売なのだ。
重いガラス戸を押し開き、薄暗い店内を、本棚の森を縫うようにして奥へと進む。最奥のカウンターでは、例によって店主の爺さんが、眼鏡を上げたり下げたりしながら本を読み耽っていた。
「親父さん、新作入ってる?」
読書の邪魔になるのを承知で声をかける。あっちは商売で、こっちは客なのだ。
「ああ、あんたか。入ってるよ。二冊ほどだが」
「貸してもらえないかな」
「構わんが、うち一冊はまだ読み終えていないんじゃ。悪いの」
そして爺さんは、手元に開いたままの本をひょいと持ち上げる。何とも緩い商売だなと思う。貸本業だってそれなりに大事な収入源だろうに。
基本的に客は、気になった本があればまずそれをレンタルし、もし運命を感じたなら買い取る仕組みになっている。
僕も、店に新作が入るたびにそれを借りては読み込んでいる。ジャンルは問わない。血沸き肉躍る冒険小説。心を引きちぎられるほど切ない恋愛小説。抱腹絶倒のコミカルなエッセイに手を出す時もあれば、ページを捲る手が止まらないサスペンスやミステリーを読むことも。
だけど。
そうした本を面白いとは感じても、世界が変わるほどの驚きや感動を得たことはない。が、普通は、これだけ読めば一冊ぐらいはそうした本に出逢えるものらしい。
つまり……問題は、明らかに僕の方にある。要するに、死んでいるのだ。感性が。
「じゃ、今日はその一冊だけで」
レンタル代を払い、借りた一冊を抱えてアパートに戻る。本は、いわゆる本格推理物だった。優秀な頭脳を持つ名探偵が、やや鈍臭い刑事とコンビで殺人事件の犯人を追うミステリー。ただ、伏線の張り方やトリックは掛け値なしに面白いのに、読み終えた僕の心には結局、何も残らなかった。
翌日、爺さんが読み終えたもう一方の本も借りてみたが、結果は変わらなかった。壮大な歴史小説だった。
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