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運命扉
ある夏の終わり、海辺の小さな町でのこと。青い空と静かな波の音が広がる砂浜で、二人の若い男女が静かに過ごしていた。彼らは偶然出会った旅行者で、お互いの名前さえ知らないままだった。
彼らは、運命的に引き寄せられたかのように、ふとした瞬間にお互いの目が合い、どちらともなく声をかけたのが、きっかけとなり一緒にいた。
一方、遠く離れた山間の村にて。険しい山道を歩いていた中年の男女がいた。彼らもまた、偶然の出会いだった。互いに見知らぬ者同士でありながら、共に道を進むうちに奇妙な絆が生まれつつあった。
海辺の二人は、穏やかな波に誘われるように、ゆっくりと海へと歩みを進める。波打ち際で足を濡らしながら、彼らはお互いの話をし始めた。会話は弾まず、どこかぎこちない。だが、不思議と心地よい沈黙が広がり、二人は少しずつ深い海へと進んでいく。気づけば、彼らの足は地面から離れ、次第に体が海に引き込まれていった。
一方、山道の二人は、道に迷い始めていた。標識もなく、太陽が沈む中で、彼らは次第に不安を募らせていく。気温は下がり、薄暗い森が周囲を包み込み、足元も不安定になってきた。進むべき道が分からなくなり、二人は立ち止まる。山の奥深くで彼らの心には漠然とした恐怖が広がりつつあった。
海の中で、男女は溺れ始めていた。恐怖が募る中、互いの手を強く握り合ったが、波の力に抗うことはできなかった。水中で苦しむ彼らの意識は次第に薄れていった。
だがその刹那、不思議な感覚が広がった。それはどこか別の場所、見知らぬ山道での出来事だった。
同時に、山の中で立ちすくむ二人は、突然不思議な感覚に襲われた。目の前に広がる山々がぼやけ、遠くに聞こえる波の音が頭の中で響く。そして、一瞬にして彼らは海の中で溺れる男女の意識と一体化した。
彼らは互いに異なる場所にいるはずなのに、まるで同じ瞬間、同じ出来事を経験しているかのようだった。海で溺れる感覚と山での不安が交差し、現実が崩れ始める。二つの場所、二組の男女が絡み合い、互いに分かちがたい運命に引き寄せられていった。
くるくると時空を飛び越えたように思えた瞬間、四人はふわりと浮いた空間に集められた。そこには一冊の本が置かれてあった。表紙に「運命の一冊」と書かれていた謎の本だった。
海で溺れた若い男が本を手に取ると、このシュールな出来事全てがそのページに書かれていることに気づいた。
山で遭難した中年の女も、本を手に取ってみた。
「なんてこと!気味が悪い。なぜ、本がわたしのことを知っているのよ」
「これは、夢だ。現実じゃない…」中年の男も本を読み、驚愕していた。
「だったら、なぜわたしたちはこの空間にいるのかしら。なぜ、脈絡なく集められたの?わたしは海にいた。そして、溺れかけていたわ。すると不思議な感覚に見舞われて…」若い女は、冷静に考えてみようとしていたが、頭が混乱するばかりだった。
最後のページの一文がさらに混乱させたのだった。
''まだ物語は終わっていない"
この一文に、四人は互いに顔を見合わせた。
すると、目の前の風景がまた一変した。海辺にいた二人は、山の中に立ち、山にいた二人は突然海辺に引き戻されていた。
まるで、彼らの体そのものが「運命の一冊」によって操られているかのようだった。
「これはどうなってるんだ?」と、若い男が取り乱して叫んでいた。山に立つ二人は息を切らしていたが、不思議と溺れていた時の苦しさは消え去っていた。そして山道を進むうち、彼らは再びあの本を見つける。それは、先ほどとは異なる場所にぽつんと置かれていた。
海辺に戻った二人もまた、同じように自分たちの足元に落ちていた本に気づく。彼らがページを開くと、そこには「選択の時が来た」と書かれている。
「選択?何のこと?」中年の女がページを読み上げると、突然、周囲の風景がぐにゃりと歪んだ。海と山が溶け合い、空は上下が逆転したかのように感じられる。四人は一瞬にして同じ場所に引き合わされ、広大な空間に立っていた。その空間はどこか現実離れしており、空も大地もなく、ただ彼らと「運命の一冊」だけが存在していた。
本から不気味な声が響き渡る。「あなたたちは、二つの運命に絡め取られた。ここで決断をしなければならない。どちらの運命を選ぶか――海で溺れて終わるか、山で遭難しかけるか」
「でも、運命って何だろう?」若い女がぼそっと呟いたかと思うと、
「なぜ、海で溺れるか、山で遭難するかを選ぶのが運命なの。おかしすぎる!」呟きが怒りに変わり、声を荒げて叫んだ。
「そうだ!なんでこんな本に運命を決められなきゃいけないんだ!」若い男も同調するように叫んだ。
中年の男女にも若い男女の怒りが伝播した。
「なんで、本が話す!」中年の男が言った。
「こんな本、破ればいいのよ」中年の女がそう言った瞬間、本を手に取り破ろうとした。そうすると、
「破っていいのか?わたしは、君たちの運命を握っているのだ」本からまた声がした。
「運命を握っている…?」女は本が話す言葉に驚いたのか、破く手を緩めた。
本は、声を出し続けた。
「海か、山か。さあ、どちらにするか」
「どちらもいやよ。ここから逃げたい」若い女が言った。
本は、「それはできないのだ。もう、きみたちは『運命』を絡めとられたからな。二つしか、選択がない。海か山のどちらか、なのだ」
「こんな理不尽なことってあるかよ」若い男は憤慨していた。
「そもそも、本と会話が成り立つっていうのが変だな」中年の男は怒りより、この場の展開についていかれない物腰で呟いた。
「やっぱり、破いてしまおう」中年の女が再び、本を破ろうと手に取った。
「待って。破いたら、どうなる?この空間から逃げだせるの?」
「それは、わからないわ」中年の女も確証は持っていなかった。だが、この訳の分からない空間や本からは逃げ出したかったのだ。
「破いたら、元に戻るかもしれないし、ずっとこのままかもしれない。元に戻るっていうのは遭難しかけた時のことだったら、それも、なあ…」
「あなたは、山で遭難しかけたのですよね?ぼくは海で溺れるところだった。その元に戻るのもどうかと。本の声がいう二つのどちらかという選択もあまり意味ないような…」
「わたしはなぜ、海に引き込まれていったのかしら」
「そうさ。ぼくたちは、知り合ったばかりで砂浜にいたはずなのに…」
「これも、本が言う『運命』なの?
「まさか」
中年の女は、彼らの話を聞きながらも本からは手を離さないでいた。
本は、彼らの話を知ってか知らずか女の手からするりと抜け出て
「さあ、扉を開けて。運命の選択をするのだ」と、声を出したかと思うと、本は消え、運命の扉と書かれた扉が彼らの前に立ちはだかっていた。
開けてみるか。
ここに留まるか。
留まってみても、何も起こらない。不毛のなかに存在し続けるのみだ。だが、扉を開けて、何が待っているのか。
海のバージョンか?
山のバージョンか?
きっと、そのどちらかをそれぞれ選べということなのだろう。
違いがあるとしたら、選ぶ四人のパターンが同じ組み合わせではないとき。
四人同じ選択をしたら?三対一だったら?ペアが違ったら?
シュールな運命を創られているとしたら。もう、それに従うほかない。
さあ、扉を開けて…。
運命が、待っている。
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