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side Shizuku 覚醒
月初めの一時限目は、全校集会って決まっている。
ただでさえ面倒なのに、立ったまま校長先生の話を聞かなくちゃならなくて、しかもいつも同じような内容で、全校集会なんてなんの意味があるんだろうって毎月思う。
私が欠伸を噛み殺したその時、すぐ後ろでドサッという音が響いた。
……またか。
一瞬、体育館内がざわつくけど、教頭先生の「静かに」という声で、そのざわめきも小さくなっていく。
その間に私は、その音の主に近付いた。
「おい、邑井、大丈夫か?」
担任に抱きかかえられた男子生徒は返事はしなかったけれど、意識を失っているわけでもなさそうだった。
「先生、私行きます」
「ああ光浦、保健委員だもんな。ついてきてくれ。邑井、立てるか?」
担任は男子生徒を抱えるようにして、立ちあがった。
「貧血? ……あら、また邑井くん?」
「そうなんです。寝かしてやってください」
「どうぞ、こちらのベッドに」
養護教諭のミドリ先生が、ベッドを囲むカーテンを開ける。
「私、少しついてます」
「じゃ、頼むわ。二時限目には教室に戻れよ」
「はーい」
担任の背中を見送ってから、ポケットに入れてあった安全ピンを取りだす。
ベッド周りのカーテンを半分引いて、ミドリ先生には見つからないようにしてから、小指の先にほんの少し、針を突き刺した。
ぷつっとした感触とともに、痛みが走る。
指先をギュッと爪で絞ると、小さな赤い玉が出来上がった。
その玉を、ベッドに横になった彼の口元に撫でつける。
「……ん……」
彼は反射的にその唇を舐めた。
それだけで、真っ青だった顔色が少し良くなるのがわかる。
それでも透き通るような肌色の白さは変わらないけれど。
「……サンキュ、雫(しずく)」
彼……満(みちる)は、目は閉じたまま、掠れた声で囁いた。
……綺麗な顔。
具合が悪い人にこんなふうに思うのは申し訳ないけれど、本当に彼は綺麗な顔をしていた。
カフェラテのような色の髪がふんわりとゆるく波打ち、額にかかっている。
閉じた目を縁どる睫毛が長くて、羨ましく思うくらいだ。
「もう四回目くらいじゃない? こうやって倒れるの。だから無理しないで夜間でも行けば……」
ミドリ先生にはできるだけ聞こえないように、小さな声で話しかける。
満は私の言葉を遮るように、
「だって、雫と同じ学校に行きたかったんだもん」
と、弱々しくも悪戯っぽい笑顔を浮かべた。
薄く開いた睫毛の間から見える瞳の色が、少し薄い。
髪の色もあって、よくハーフなの? とか聞かれてる。
「……ばっかじゃないの」
本当に、馬鹿にしている。
「大丈夫だよ」
言葉とは裏腹に、辛そうに深い溜息をつく。
「大丈夫だったら最初から倒れてない」
「鉄剤飲むの忘れてただけ。ホント大丈夫だから」
「鉄剤なんか……」
もう、飲んだって効果がほとんどないってことだって、知ってる。
満の家族は皆、吸血鬼だ。
私がいつ、そのことを知ったのかは覚えていない。
小さいころから家が隣同士で、家族ぐるみでつきあっていて、父親同士は親友で。
彼の家族のことを知らないでいることのほうが難しかった。
人間と同じに成人する頃を境に、吸血鬼の身体に変わる。
その後生きながらえるためには、パートナーとなる人間が必要だった。
それは、その人間も吸血鬼になるということ。
そして互いに血を与えあい、永遠にも近い時間を共に過ごしていくということ。
元々吸血鬼の一族であった満の母親と共に生きることを、父の親友である満の父親は選んだ。
その話を聞いた時、想像もできないほどの葛藤があったんじゃないかと考えたことがある。
「ねえ、……朝、つらいんでしょ?」
家は隣だから、朝は一応迎えに行くけど、まともに出てくる日は少ない。
満につきあって遅刻するのも嫌だし、仕方なく一人で学校に来るけど、満が学校に着くのはいつもギリギリの時間だ。
「……雫に嘘言ってもしょうがないから言うけど。まあ、楽ではないかな」
「だったら……」
高校に行きたいんだったら、夜間でもいいじゃない、と思う。
今日みたいな朝会の日はここ4カ月連続で倒れているし、朝一の体育の授業は何かと理由をつけて見学している。
朝は通学するだけで精一杯なんだ。
でも午後からなら、体調も悪いことはないと言っていたことがある。
「でも、できるとこまで、普通にしたいんだ」
そう言う満の眼は、どこか遠くを見ているような、まだ力が戻っていないような。
でも何か強い決意みたいなものを感じさせる、そんな表情をしていた。
「ホント大丈夫だって。週末はスッポン食いに行く予定だし」
「す、スッポン?」
「そ。生き血が効くんだ」
と言ってニヤッと笑ったとき、1時限目が終わるチャイムが鳴った。
「どう? 二時間目出られそう?」
と、ミドリ先生が声をかけてきた。
椅子がガタリと音を立てて、こちらに向かってくるのがわかる。
「私は授業行きます。でも、み…邑井くんは、もう少し休んだ方がいいんじゃないかと」
カーテンを開けて覗きこむミドリ先生に、返事をした。
「そうねえ、まだ顔色良くないわね。あと1時間くらい寝ていった方がいいわ」
「じゃあ、そうします」
満はそう言って毛布を口元まで引き上げた。
「先生によろしく言っといて、ミツウラさん」
……なんか感じ悪い。
「じゃ、失礼します」
ミドリ先生に軽く会釈をして、満に背中を向けた。
「あれ、雫一人? 満は?」
家に帰って玄関のドアを開けようとした時、声をかけられた。
「おじさん」
声の主は、満の父親だった。
庭の手入れをしていたらしく、手には剪定ばさみが握られていた。
「『今の』彼女と帰るって言ってた」
私の言葉を聞いて、おじさんは苦笑する。
おじさんは『おじさん』と呼んでしまっているけど、見た目はオジサンには見えない。
どう見ても三十代前半って感じだ。
人によっては二十代って思う人もいるかもしれない。
元々はいわゆる『普通の人』だった人だけど、吸血鬼の血が入ると、老化が緩やかになると言う。
「あいつもあれで、いろいろ考えてるんだろうけど」
そう言って、肩をすくめる。
「そうかなあ」
ふと、朝の満の言葉を思い出す。
『雫と同じ学校に行きたかったんだもん』
……それならどうして、私じゃない人が彼女なのよ。
しかも高校入ってから何人目? って感じだし。
中学の時からそんなだったし、いちいち数えてられないけど。
あんなこと言うくせに、私とはそういう風になったことなんて一度もない。
そう、間違っても、ない。
「満、また朝会の時に倒れたよ」
玄関ドアに背中を向けて、おじさんに向き合った。
「またか」
おじさんはそう言って短く溜息をつく。
「ホント、午前中は辛そうで。……でも、勉強はがんばってるよね」
いつも夜遅くまで、満の部屋の灯りがついてる。
午前中の様子を見てたら、授業なんかまともに頭に入っていなさそうだけど、成績は赤点取るどころか優秀な方だった。
私なんか全然及ばない。
……そのせいで朝が辛いってこともあり得なくはないけど。
「うん、がんばってるよ、あいつは。普通でいたいって。うちでもいつもそう言ってる」
「でも……」
「雫の言いたいことは、わかるよ。そろそろ限界だろうね」
今時の子は成長が早いね、と呟く。
そのおじさんの顔は、どこか悲しそうに見えた。
「ねえ、おじさん」
「うん?」
「……おばさんと結婚したこと、後悔したりしたことってないの?」
自分の親でもないのにこんなこと聞くのは、普通だったら失礼なのかもしれないけど、赤ちゃんの頃から隣に住んでて半分親みたいな感じだし、おじさんには割とこういう話は聞きやすかった。
おじさんはちょっと考えるような表情をしてから、
「しんどいなあって思うことは、たまにあるけど。でも、後悔はないな」
「なんで?」
「なんでって言われても……そうだなあ。あの人を死なせずに済んだから、かな」
「おばさん、死にそうだったの!?」
「そういうわけじゃないけど、そうだな、今の満みたいな。あんな感じだったよ」
「そう、なんだ……」
「生きていくには、誰かを犠牲にしないといけない。そういう『生き物』だから仕方ないんだけどさ」
吸血鬼と言っても、彼らはそんなに特別な能力は持ってない。
いや、もっとたくさんの人の血を吸っていれば違うのかもしれないけど。
そんなこともなく、ひっそりと静かに、『普通の人』の中に紛れて生きている。
そういう『生き物』は意外に側にいるものだよ、と前におじさんが言っていたことがある。
「……満は、どうするの?」
これからも生きていくつもりなのか、それとも……。
満がどう考えているのか、全然わからなかった。
「さあ、おじさんもわからないよ」
おじさんがそう言った時、邑井家の玄関のドアが開いた。
「話し声が聞こえると思ったら、雫ちゃんだったの」
顔を出したのは、満の母親だった。
瞳と髪の色は、満と同じカフェラテのような色だ。
満の顔立ちはおじさんに似ているのだけど、雰囲気はおばさんに似ている気がした。
「おばさん、こんにちは」
挨拶をすると、やさしい笑顔で応えてくれる。
おばさんもおじさんと同じく、オバサンには見えない。
どちらかと言えば『お姉さん』という表現のほうがぴったりなくらいだ。
「おかえりなさい。ねえ智さん、担当さんからお電話があったわ」
「え」
おじさんの表情が変わった。
「おじさん、締め切り?」
おじさんは小説家だ。
けっこう人気があって、単行本を出せば本屋さんでは毎回平積みになって売っている。
「うん、まあ」
でも、この様子だとまだ原稿はできていないみたい。
現実逃避に庭いじりというのは、おじさんのいつものパターンだ。
そうして邑井家のきれいにガーデニングされた庭ができあがっている。
「担当さん、五時頃に原稿取りにいらっしゃるって」
「あー……、続きやってくるか……」
「おじさん、がんばってー」
家に入って行くおじさんの背中に声をかけると、片手を上げて行った。
「今日は満と一緒じゃないのね」
「今日はというか、今日もね」
「そうね、高校入ってからは、ほとんど一緒じゃないものね」
それぞれに友だちとの付き合いもあるし、幼馴染だとか家が隣同士だからって、一緒に行動するわけではない。
……だけど。
正直、おもしろくない。
「ま、彼氏でもない男子と一緒に帰るのもちょっとね、誤解されても困るし」
そういう気持ちも、少しある。
自分でも自分の気持ちが掴みきれてない。
「それもそうねえ。あ、そうそう、チーズケーキ焼いたから、半分持って行ってくれる?」
「わあ、うれしい。おばさんのケーキ美味しくて好きー」
落ち込みかけた気持ちは、その一言で元に戻る。
まだ、私の中では満のことはそんな程度なのかもしれない。
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