運命の書

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 あなたは今、この物語を読んでいる。  俺はそこにいた。  自室のベッドに横たわり、天井のシミを眺めていた。  午後2時。  大学の講義をサボったことへの後ろめたさは、もはやほとんど感じない。  それどころか、俺は大学2年生となってから、慢性的に授業をさぼっている。 「はぁ…」  小さなため息が漏れる。  カーテンを閉め切った薄暗い部屋に、ペットボトルや菓子袋が散乱している。  洗濯物は山積みで、部屋中に生乾きの匂いが漂っている。  俺が気がついた時には、いつの間にか、大学2年生の後期となっていた。  周りの友人たちは就活セミナーに参加したり、資格の勉強を始めたりしているというのに、俺には何の目標もなかった。  いや、正確に言えば、目標を見つける気力すらなかった。 「大学生活を楽しもう」 「新しいことにチャレンジしよう」  大学入学直後は、本当にそう思っていた。  しかし、気づけば毎日がこんな調子だ。  朝は起きられず一限をサボる。  起きてもスマホをいじるだけで二限も逃す。  昼過ぎになってようやく重い腰を上げ、コンビニ弁当を買って帰ってくる。そしてまた、ベッドに横たわる。  スマートフォンを手に取り、SNSをだらだらとスクロールする。  友人たちの楽しそうな投稿が流れてくる。サークル活動の写真、アルバイト先での出来事、恋人とのデートの様子。  特に面白いとも思わないのに、ただ惰性で親指を動かし続ける。  こんなんじゃダメだ、そう思うこともある。  でも、その思いはすぐに消えてしまう。  変わりたいと思う自分と、このまま流されていく自分。  しかし、怠惰という人間最大の欲求には勝てない。  結局、後者が勝ってしまう。  部屋の隅に目をやると、積み重ねられた教科書や専門書が目に入る。  入学当初に購入したものだ。  俺は、高校時代、とても模範的な生徒だった。  大学受験をして、いい大学に合格する。  その目標があった。  しかし、今やその目標は、遠い過去のものになってしまった。  あの時の、何かを求めて手に入ることがない辛さと、その心地よさはどこへいったのだろうか。  俺は思い出す。  人間、手に入ってしまえば飽きてしまうのだ、と。  欲望の対象は、それを獲得した瞬間から色褪せていく。  手からすり抜ける砂のごとく。  すべての事象がそうなのだ。  真理を知ってしまった俺は、今や何もやる気が起こらなくなってしまった。  …知らない方が良かった。  心底、そう思った。  俺は気分を変えるべく、部屋を見回した。  ふと、目の端に見慣れない本が映った。  本棚の隅に、古びた革表紙の分厚い本が置かれている。  埃をかぶっているようには見えないのに、どこか年季の入った雰囲気がある。  タイトルは、『運命の書』。 「こんな本、いつからあったんだ…?」  思わず声を出してしまう。  こんなもの、買った記憶はまったくない。  今いる部屋に引っ越してきたのは、大学へ進学するときだった。  そのときから、丸2年。  こんな本を今まで一度も見たことがなかった。    興味本位で手に取る。  予想以上に重い。ベッドに戻り、本を膝の上に置く。  古い革表紙だ。  辞書にも見えるような重厚な作りの本。  それはまるで魔術でも記されているような雰囲気だ。  指先がページに触れる。  開くべきか迷う。  この本には、何か特別なものがありそうな気がした。  どこか、この得体も知れない本を開いたら何かが変わってしまいそうな予感がした。  だからなのか、自堕落な最近の俺にしては珍しく、この本を読んでみたいと思った。  久しぶりに感じた好奇心に従って、俺は本を開いた。 「あなたは今、この物語を読んでいる。」  なんということはない書き出しだった。  ふっ、と息を吐きだした。  このまま、文章を読み進めていく。 「俺はそこにいた。自室のベッドに横たわり、天井のシミを眺めていた。午後2時。大学の講義をサボったことへの後ろめたさは、もはやほとんど感じない…」  そのまま読み進めていくと、本の中の「俺」も同じように部屋で退屈し、そして奇妙な本を見つけていった。  その本のタイトルは…『運命の書』。  不思議には感じなかった。  なぜならそれが運命だからだ。  俺は何かに突き動かされるように、その本を読み進めて行った。  読み進めると、本の中の「俺」も同じように本を開き、そこで本を読み始めた。  そして、その物語の中にもまた『運命の書』が登場する。  本の中の俺が、本の中で本を読んでいた。  その層にいる俺が本を読む。  本の中の本の中の本…。  それぞれの層にいる「俺」は、驚きと好奇心に従って、本を読み進めていく。 「あなたは今、この物語を読んでいる。」  あなたは今、この物語を読んでいる。
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