サインアップ1

1/1
前へ
/3ページ
次へ

サインアップ1

 「十⋯⋯九⋯⋯八⋯⋯」  望遠ウィンドウの向こうで優雅に羽ばたく青い鳥を眺めながら口ずさむ。  星の光が瞬く夜空の下で飛行するそれは、青い残光を伴って、まるでほうき星のようだ。 「五⋯⋯四⋯⋯三⋯⋯」  カウントが近づく。  落ち着いているのか、緊張しているのか。短い間に役体のない考えが浮かんでは消えていく。  集中!   「二⋯⋯一⋯⋯っ!」  飛翔を続ける青い鳥の前に無数のブロックが音もなく現れることを認めて、左手に掴んでいる操作レバーを引き倒す。  ぐんっ、と上方を仰ぎ見た彼女は大きく羽いて浮き上がり、先頭のブロックを回避するが、それだけでは終わらない。  サイドロール。  ドロップダウン。  ライズアップ。  レバーの動きに合わせて翼を唸らせ次々にブロックを躱していく。 「いいぞ、そのまま⋯⋯」  レバーを掴む手に力が入るが、未だ好調。それが油断を招いたのか、翼の先端がブロックを掠めてバランスがわずかに崩れる。  落ち着け。まだ一回だけ。まだ⋯⋯!  あちらが立てばこちらが立たず。  ミスをフォローしようとレバーを手繰るがその度次々とブロックを掠めていき、ついには「あっ」と息がこぼれると同時にコースからはじき出されてしまった。 「⋯⋯っだめだぁ」  望遠ウィンドウの右下のパネルを押してからウィンドウを消すと、足元の草原に倒れるように体を投げ出した。  つやつやした草原の感触を後頭部に感じながら、このままふて寝でもしようかとも思うがそんな時間はない。  ほんの少しだけぼーっと現実逃避をしてゆっくりと体を起こす。  左手首に嵌っている銀色の腕輪をさすると目の前にマイクが描かれたポップアップが現れる。  そのポップアップに「ガレージ・ON」と呟くと、周囲の景色が一変する。  煌めく星々に彩られた夜の草原に格子状のラインが引かれ、区分けされた景色がぱたぱたと小気味よい音をいくつも重ねながら反転し、景色がすり替わる。  そこは鈍色に包まれた空間だった。  狭い天井からは煤けた電球がぼんやりと室内を照らしている。  壁には無骨な鉄板が張られており無数の工具が彩りを添え、剥き出しのコンクリートの床には古びたタイヤやコンプレッサーといった機材が雑多に配置されている。  もちろんこれらはすべて飾りだ。  先月セール中だった工業系の内装アセットに手を加えて、適当に並べているだけ。  もう少し時間があればもっと様になるのだが、衝動買いで買ったものなのでそこまで時間を割く気は今のところない。  僕はさっきまで腰を下ろしていた草原からすり替わった革張りのソファーから腰をあげると、向いの壁沿いに設置した作業台に向かった。  そこには先ほどまで夜空の下を飛行していた青い鳩型の擬似飛行モデル、愛称シルフィーが鎮座している。  作業台の丸椅子に座るとシルフィーの前に青いウィンドウが浮かび上がり、彼女の運動パラメータが表示される。 「やっぱり操作にラグがあるし、反応速度をあげた方がいいかなぁ。それかぶつかるの覚悟でボディの耐久値を向上させるか、いやバランス制御に尾羽根でも⋯⋯」  なにをするにしても追加の拡張パッチを買うにはお金がない。  週末にはバイトでもしないと、と思いながらいま出来る限りでシルフィーの調整を施す。 「こんなところかな。いくらパラメータいじっても操作の腕が悪かったら意味ないし、今は練習あるのみ! コマンドコール、ガレージ・OFF」  僕は立ち上がってボイスコマンドから個人用拡張領域(プライベートルーム)を消失させる。  現れたときと同じように格子状のラインが引かれ景色が反転し、目の前に星空に彩られた夜の草原が姿を見せた。  吹き付けてくる湿った風が頬をなでて気持ちがいい。  僕はシルフィーを右手首に乗せ、昔映像アーカイブで観た鷹匠のように振りかぶり、そしてーー。  BEEEEEEEEEEEEEEEE!! 「うわっ!」  突然鳴り響く警告音に驚いて、その場に転んでしまった。 「一体なにが⋯⋯」  地面から起き上がると目の前に、大きく黄色いフォントで【連続した接触振動を検知しました。安全確認のため、ただちにログアウトを行ってください】と、メッセージが表示されている。  こんなことをするヤツはひとりしかいない。  ああ、もうっーー。 「ログアウト!」 ※ ※ ※    頭部に装着したHMD(ヘッドマウントディスプレイ)のランプが赤く点灯する。 「あ、やっと戻ってきた」  苛立ちながらHMDを剥ぎ取り、僕は声の主をにらみつけた。 「綾子!」  閉め切られた遮光カーテンが勢いよく開かれ、暗かった第三電脳室に青空の光が降り注ぐ。  急に明るくなった狭い室内に目を(すが)めると、赤い体育着を着たひとりの女子生徒がこちらに振り向いた。  セミロングの黒に近い茶髪に特徴的な可愛らしい大きな瞳。スっとした鼻筋に丸みを帯びた顎のライン。  彼女は本庄綾子。僕の幼なじみだ。 「なによ、この引きこもり」  う、ぐ⋯⋯。  綾子の冷たい言葉が胸に突き刺さり、ぎくりと肩が揺れる。 「⋯⋯ひ、人がダイブ中に勝手に触るなって、いつも言ってるだろ」  どうにかして動揺を取り繕おうとして上擦ってしまった僕の声に、綾子は不機嫌を隠そうとせず、形の良い眉を吊り上げた。 「はあ!? 晴人が午後の合同体育サボってこんなところにいるから、わざわざ来てやったんじゃない! いくら晴人の運動神経ナメクジだからって、このままだと単位落とすわよ!」  近くで叫ぶな。鼓膜が破ける。  僕は耳鳴りのする両耳を抑えて、綾子から逃げるように座っているデスクチェアの背を向けた。 「別に単位を落とそうがなにしようが、綾子には関係ないだろ。いま忙しいんだから放っといてよ」 「⋯⋯あっそう。そんなこと言うんだ? これ、なーんだ?」  首だけを綾子の方に向け、掲げるように彼女の手に握られたものを見た。  黒くて細長いメモリーチップ⋯⋯? 「っ! 僕のセーブチップ!? いつの間に!」 「さっきログアウト処理している時に晴人のHMDから抜き取ったのよねぇ。ふふん、なかなかの早業でーー」  言うが早いが、僕は綾子に飛びかかりセーブチップに手を伸ばすがーー、 「おおっとぅ」  ひょいと身を引き、綾子は事も無に僕を躱すが、そのせいで僕は彼女の背後にあった音響機器の角に頭から追突する。  床に崩れ落ちる僕を見ながら、処置なしとばかりに大きなため息をつく綾子。 「本当に晴人ってダメダメな運動神経よね。ちょっと不憫かも」 「あ、綾子ぉ⋯⋯」 「そんな情けない声出しても、返してあげないんだから。⋯⋯見学でもいいから授業出てよね。あたしもう行くから、ちゃんと来るのよ」  痛みで涙が出そうになっている僕を尻目に綾子は足早に部屋から出ていく。  もうなんだか、色々死にたい⋯⋯。
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!

6人が本棚に入れています
本棚に追加