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「行ってくる。インターホン鳴っても開けちゃ駄目だよ」
「わかってるよ」
スーツに着替えて可燃のゴミ袋を片手に出勤する私を、隼人はスウェットのまま見送った。階段を降りた先のごみステーションに見知った顔がある。隣の部屋の住人だ。
「吉崎さん。おはようございます」
「おう、ドーモ」
長髪を後ろで纏めた目付きの悪い男だ。人相は悪いが、地区のルールや当番をしっかり守る、きっちりした人だった。
「今日も仕事か?」
「ええ、まあ」
言葉を濁す。今月何度目かになる休日出勤だった。最近はまともに休みをとっていない気がする。けれど、2人分の生活費を稼ぐためなので、文句は言えない。
見透かしたように「社畜だねぇ」と呟きながら、タバコに火をつける彼から逃れるように、ゴミ袋を置いて立ち去った。
日曜日だというのに駅周辺にはスーツを着た企業戦士がちらほらと見える。お互い大変ですね、そんな気持ちで人通りの多いコンクリートジャングルを早足で駆け抜ける。電光掲示板ではもはや見飽きたニュースが垂れ流されていた。
天使病の罹患者は、今月で3000万人を越えたらしい。
日本の総人口のおよそ10分の1の人間が、飛べもしない翼を持っている計算になる。だが、すれ違う人々の中に翼を持つものはいない。ただの、1人も。
天使病が発見されて1年と少し。
原因もわからず、治療法も確立されていない病に対する風当たりは強かった。発覚した当初は空気感染するのではないかと思われていたために、いつかのパンデミックを想起させる『天使狩り』が横行した。目に見えて身体に異常が出る病は、隠し立てすることもできない。
空気感染しないとわかった発表された後も、1度貼られたレッテルを剥がすのは難しく、そのために隼人は強く望んで入った会社を辞めなくてはならなかった。
今は、家で出来る仕事をしながら、国から出るなけなしの給付金を生活費の足しにしている。
最近では天使教などという謎の宗教も流行りだしていた。信者が罹患者の家に押し入ったなんて事件も起きたくらいだ。いよいよもって彼らには居場所がない。
………………。
隼人が自由に暮らせる日は来るのだろうか。
彼に翼が生える前の暮らしを、私はもう思い出すことができないでいる。
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