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Steal&Steal
【また会えますか?】
愛のない平坦な文字を、僕はスマホで綴り、普段あまり使わないメールアプリで、身体を重ねたあのヒトへ送った。
もうすぐ大学も卒業。就職先も無事決まったし、単位も取り終える事が出来た。惰性のままゼミだけを履修し、社会人として羽化する時間をただ待つばかりの日々。
だがそんな日常に、あのヒトが現れた。
正直、最初は興味本位だった。ただの気まぐれである。
僕はすぐ、ネットで同性専用のマッチングアプリがある事を知り、すぐに登録をした。以前、友達がふざけて僕の事を撮った写真をアイコンに設定し、顔と身体が好みの人を片っ端から探し続けた。そして、ようやく見つけたその人。ドキドキしながら、メッセージを送ると、トントン拍子ですぐに会える事になった。所謂、割り切った身体の関係を相手は求めていた。そこに愛はない。僕はそれでも良かった。
ただ一度だけ、経験出来れば良かったのだから。
とある土曜日の午後。
郊外にあるコンビニの駐車場で待ち合わせ。
すると白いファミリーカ―が一台、僕の前で停まった。運転席から降りて来たのは、好青年と言う言葉が似合う程、若々しい男性だった。身長はそこまで高くないが、醸し出される大人の色気がそこにはあった。
「はじめまして」
顔だけでなく、声も良かった。僕はその一言を聞いただけで、身体が震えている事に驚いた。初めて抱く感覚だ。
「写真と同じで、可愛い顔しているね、キミ。さてと。時間もないから、移動しようか」
自分の容姿が褒められた事など一度もない。
これは世辞であり、その一言だけで、僕はただの性の捌け口でしかない事を思い知らされた。だがそんな事はどうでも良い。
はい、とだけ小さく僕は返事をし、静かに助手席に乗り込んだ。
目的地までの車内は本当に当たり障りのない話で場を繋いだ。
耳心地の良い声を聴く度に、僕は運転席の彼を見る。
その度に、ハンドルを握る左手薬指に目が向かってしまった。
僕達はイケない事をこれからしようとしているのに、何故、ヒトの理性はこの身体を突き動かすのか。
それから数十分後、幹線道路から離れた白い車は、まるで城のような施設に吸い込まれて行った。
部屋に入った途端、僕はそのヒトに唇を奪われた。
身体を清める前の儀式だろうか。そこに愛はないと分かっているのに、頭の奥が痺れてしまう程の熱いキスだった。
僕の初めてはあっさりと剥奪された。それと同時に、一瞬で理性なんてどうでも良くなった。お互い触れる所が、ジンジンと熱を帯びて行く。
シャワーを浴びながらも二人は接吻を交わす事を止めない。
裸体に飛沫が当たり、弾ける。
その度に、何かを失っていると知りながらも、二人は己の欲望に抗う事は出来なかった。
ベッドに転がり込み、さらに二人は互いを求め合う。
(嗚呼、これが大人の営みなんだ)
この頃の僕は、もう語彙力を無くし、ただこのヒトに抱かれ続けるだけの器でしかなかった。このヒトにとって、僕は二番目(いや、それ以下かも知れない)の存在。彼のしなやかな肉体から放たれる性の衝動を受け止めるだけの入れ物。その身に初めて、他人の怒張を受け入れた僕は飛びそうな意識の中、そんな事を考えていた。
それから僕達は何事もなかったように、初めて出会ったコンビニで別れた。
嬌声を上げ過ぎたせいで喉が痛い。身体が軋む。だけど、形容し難い満足感だけが、心の奥で鎮座していた。
ただ凄く気持ち良かった。
あのヒトに触れて貰うのがこんなにも嬉しいなんて。身体が完全に憶えてしまったようだ。
【ココ、気持ちいい?】
【もっと声、出して?】
【ああっ、最高。キミの中、温かいよ】
いつまでも脳裏の何処かに、あのヒトの声が残響し続けていた。
それから僕達はアプリでのやり取りを止め、直接メールでやり取りをするようになった。この方が、あのヒトにとって都合が良いらしい。
月に一度ではあるが、僕達は人知れず逢瀬を重ね続けた。
そして彼と会う度に、僕の中で、何かが壊れて行った。
愛は要らない。ただ、快楽を与え続けて欲しい。その為には、あのヒトを手に入れなければならない、と。
そう、僕はあのヒトの一番でありたいと思う様になった。
彼のSNSのアカウントを探し当てた時は正直、小躍りした。
そして、投稿している内容から大まかな所在地を推測すると、僕は家から飛び出していた。電車を乗り継ぎ、彼が住んで居そうな地域を虱潰しに練り歩いて行く。さながらそれは奇譚であり、歪んだ執着心だけが僕を突き動かしていた。
そして僕は見つけた。あの白い車が置かれた家を。宝の在処を。
(嗚呼、ココだったんだね)
気配を消して、家垣の隙間から中を覗いてみた。
カーテンに遮られているが、そこからは走り回る子供の声が聴こえて来た。
その瞬間、僕はスッと足を一歩下げた。
(そう、だよな。分かっていた事じゃないか。何を今更…)
そこには「家族」があったのだ。眩く、他人が決して壊してはいけない聖域。
だが、残念な事に、今の僕にそんな理性など在りはしなかった。
僕はすぐさまスマホを取り出し、メールで次の予定を自然な文章で紡ぐと、迷いなく送信ボタンを押していた。
怪しい笑みを浮かべながら、僕は静かにその場を離れた。
それから、何も知らないあのヒトから返信が返って来たのは、三時間後の事だった。だがその文章はいつもと様相が異なっていた。
【時間は〇〇日の〇時で。あと、次で会うのは恐らく最後になる】
(最後?)
僕はその意味を理解するのに時間が掛かった。
まさか、先程の行動がバレていたのか。
あのヒトは何かを悟ったのかも知れない。しかし、今の僕は、驚きはしたが、何故か不安はなかった。
分かりましたと言う返信を返した瞬間、何か絶対に押してはいけないタイマーのようなモノが僕の深い場所でカチリと音を立てて動き始めた感覚を抱いた。
それから時は過ぎ、二人が逢瀬を重ねる日となった。
僕は待ち合わせの時間よりも前に家を飛び出し、あの場所へと向かう。
どのみち今日で、あのヒトと会うのは最後になるらしい。
それなら、最後くらい、今までで一番の日にしたいと僕は考えていた。
身体は自然とあのヒトの家へと向かう。
そのタイミングで僕の視界には、玄関から一歩足を踏み出したところの彼の姿が映っていた。
(嗚呼、良かった。ちゃんと会えた)
僕は全力疾走のまま、彼の家へ侵入していた。
「こんにちは。今日で会うのが最後だと言う事なので、サプライズで来ちゃいました」
僕の抑揚のない言葉を聞いた彼は、今まで見た事もないような驚きと、恐怖で青ざめた表情を浮かべていた。
「な、なんでキミがここに…」
「決まっているじゃないですか。貴方の全てを奪うために来たんですよ」
そう言って僕は全身の力を小さな両手に集めて、彼の両肩を掴み、そのままグイグイと玄関まで押し込んだ。
リミッターが外れた今の僕に、不可能はなかった。
抵抗する彼の動きを全て読み切り、あっと言う間に彼を拘束してみせた。
他人の家の玄関先で、僕は彼の自由を奪っている。
僕は舌なめずりをしながら、玄関のドアに手を伸ばした。
「これでもう、誰にも邪魔されない。僕達、何もかも失ってもきっと大丈夫です。貴方が僕を一番と思ってくれるまで、一生懸命、気持ち良くさせてあげますから」
僕の台詞を聞いた途端、彼の目が大きく見開いたのが分かった。
不安に震えるその表情すらも、僕にとっては愛おしい。
それからすぐ、玄関の扉は無情にも閉まり、ガチャリと言う重い金属音が辺りに響き渡るのだった。
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