1話:ボーイ・ミーツ・エルフ

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1話:ボーイ・ミーツ・エルフ

 アンデレ村は周辺の村や街と比べても良い意味では牧歌的、悪い意味では発展途上の村であった。  近くに河川があるため、河の氾濫があれば大惨事だが、農業と畜産業に強く、河では魚を採ることもできる。林業もあるため、村は発展しなくとも繁栄できたのだ。  不満としては最新の技術に触れられないこと、そしてもう一つは金属製品や宝石類、変わった嗜好品を手に入れるためにはなんと片道五日間かけて、それも隣の都市まで行く必要があることだ。  その買い物は屈強な力持ちを集めて、村一番の早馬を使って行うのだが。 「僕は街に行く。子供こそ外の世界を学んで視野を広げる必要があるから!」  七歳のヴェヒター少年は、大人たちが行う村の会議に乗り込んで宣言をする。  二日後にアンデレ村では一か月ぶりの買い出しがある。  ヴェヒターは肉食獣のような八重歯と目付きの悪いつり目、全身泥だらけの姿が特徴的な元気なひねくれ者だった。 「ヴェヒター、村の人を困らせてはいけないよ」  村長があやすように言う。  ヴェヒターは村長を睨みつけた。 「まあまあ。ヴェヒター、今回の買い出しはヴェヒターも連れていこう」  買い出しのリーダーは顎髭を撫でて言う。 「分かった。任せよう」  村長は折れた。  ヴェヒターの母はヴェヒターを産んだときに不運にも出血が多く、その後衰弱して亡くなった。そして、父は二年前の河川の氾濫で河に魚を釣りに行って死んだ。リーダーはヴェヒターを喜ばせるために買い出しの許可を出したのだ。  買い出し当日、ヴェヒターは小さな背負いバッグを持っていた。  村の力持ち四人と一番速い馬、そこにヴェヒターがいる。  五日間、美味しくない干し肉やより乾燥させて固めたパンなど保存食で食いつなぐ。  野営の見張りは大人のみで行っていたが、七歳のヴェヒターは四日目の時点でひどく疲れているようだった。  五日目は熱を出したため、ほとんど馬車で眠っていた。  大人たちの看病のおかげで街に着くころには元気になっていたのは幸運である。 「ヴェヒター、俺たちから離れるなよ」  買い出しのリーダーが言うとヴェヒターは頷く。  レンガ造りの家、広場にある噴水、鮮やかな服飾、商店街の活気に魅せられる。  ヴェヒターが周りを見ていると大人たちは笑った。  リーダーが露店で買った砂糖と果汁を練り固めた菓子を与える。 「これは?」 「移動中は食べ物で苦労をかけただろう。美味しくないのは承知だ。口直しとでも思ってくれ」 「あ、うん。これ、美味しい。美味しいね!」 「そうか。今までこんな甘いものがあるなんて知らなかった、最先端の食べ物は美味しいな、とか思ってないだろうな?」 「ごめんなさい、それは」  ヴェヒターが俯く。  村の食べ物だって美味しい、それは分かっていても鮮やかな菓子の見た目、口に入れたときに広がる甘味という魔力には正直になるしかなかった。  申し訳なさそうにしているとリーダーはヴェヒターの頭を撫でて笑う。 「俺は思っている。街に出るのは面白いからな。今回は買うものが多いが、余裕があるときは劇場を見に行ったり、酒を飲んだり、踊ったりして楽しんでいる。内緒な?」  リーダーはヴェヒターが食べていた菓子を食べる。  これも一度食べたら忘れられないんだ、と愉快そうに言う。  ヴェヒターはリーダーが楽しそうに、村のときよりも穏やかな顔をしていて、街というのはなんて素晴らしいと感じた。  一方で、両親が死んだ村の魅力が劣っている気がして帰りたくないと思ってしまった。  買い物は続く。ヴェヒターは大人たちに付いていきながら、時折食い物や飲み物を与えてもらった。中でもアイスクリームや果汁入り砂糖水は冷えていて大変気に入った。  今回の買い物は日帰りである。  空が茜色に変わると、視線の先が紺色に、さらには深い黒色に見える。  同時に日を背にするとシルエットだけが浮かび上がって、目の前の大人たちが知らない何者かにすり替えられている気がした。  ヴェヒターは背後からは影しか見えない大人たちの後ろに続く。疲れてとぼとぼと歩くと、ハッと気づいたときには置いていかれそうな距離で、慌てて追いつくことを繰り返していると胸がきゅっとなって、そういえば自分には両親がいないなと思ってしまった。  リーダーはリーダーで、母は母。あるものはあって、ないものはない。  甘い菓子も飲み物も翌日の露店にはあるだろうけど、手元のものは終えてしまって空の容器は放ってしまって何も残っていない。  ヴェヒターは一瞬俯くと大人との距離が開いてしまって、追いつこうにも走るしかなくて、その間も大人たちは敵わない歩幅で進んでしまう。  悔しくなって。 「見てないよね」  後ろを見て走り出した。  リーダーたちが追ってくるがもう構わない。 「ヴェヒター、待て。一体どうしたッ! ほしいものなら」  リーダーは言う。  ほしいものは菓子じゃない、たぶん買えない。  嫌な気持ちになって胸の奥にどすんと錘があるような気がしたから、走って振り払うつもりでいたのだ。決して大人たちに反抗したいわけじゃない。 「危ない」  ヴェヒターが小石に躓いて前に倒れる。  一瞬驚いてしまって、手を出すのが遅れた。  顔に地面が迫ってきて、予想もできない痛みに怯えながら目を瞑ってみた。  が。  眩しい光が見えて、鳥の白い羽が散って、端正な顔たちのお姉さんが微笑む。  温かい。  ヴェヒターは柔らかくも力強い腕に抱かれて大事には至らなかった。  ヴェヒターは目を開ける。 「少年、気を付けなよ」 「綺麗」  ヴェヒターはその端正な顔立ちの女性に見惚れていた。  女性は笑ってヴェヒターの額を指で弾く。  ヴェヒターは痛がって額に手を置いた。  腫れて膨らんではいないだろう。 「少年」 「痛いよ、何だよ」 「私はエルフェン。ヴェヒター、君に許してもらいに来たの。ねえ、妖精って分かる?」 「分からない。けど綺麗な人」  リーダーが駆けてくる。 「ヴェヒターを助けてくれてありがとう。お礼をする」 「分かった。私ね、アンデレ村に向かっているから。罪を許してもらうために」 「罪は分からない。用は分からないが、アンデレ村は俺たちの村だ」 「連れていって。あなたは天を信じる?」  エルフェンが微笑むとリーダーは手を合わせる。  続いて、他の大人も同様に。 「決まりね」  エルフェンの腰には巾着袋が入っている。  中には光沢のある完全な球体が入っている。  それは天高く育つという種子である。  残り四つ。  これは『世界樹』に関する一つの物語である。
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